さくらの日々是好日

余命半年から生還♪今年21年目の【金つなぎ勝ち抜きRoad】を走り続ける、多重がん患者の病老の日々や患者会活動をご紹介!

♪ Hirono-family,only  昨年までは無かったのに、今年から?  お賽銭が上がっているよ!

2023年06月08日 22時18分26秒 | さくら的非日常の日々
6月8日(木)   曇のち雨

午前9時2分新大阪発ののぞみ5号で、岡山着が9時45分。 駅構内を移動して、10時5分発の在来線特急・南風5号に乗り込み、高知着が12時29分だ。

駅前で待ってくださった高知よさこいタクシーさんに4時間の墓参のお付き合いを願って、公文家、田村家、森家の三代ご養子の実家の墓を手始めに、母の実家の山崎家、姻戚の山本家、潮江のお釈迦様、父方の青木家の墓所を巡った。
激しく降り出した雨の中、「張り子の達磨じゃないんだから!」と自らに言い聞かせて、廻った。 持参した折りたたみ傘で受けられる雨ではなく、運転手さんが大きなビニール傘を貸してくださり、傘の中でお線香に火を点けた。

30年前携帯電話も無い時代、さくらの抗がん闘病の看病に、毎月3㌢ほどの厚さのテレホンカードを持参し、仕事の連絡・調整をしておられた恭子ねえさま、「社長が2週間留守にしたからって潰れるような会社なら、ここで潰したほうが従業員のためなんだから」と言い切って、毎月大阪のホテルを取って名古屋から通ってくださった恭子姉さま。 わが姉ながら、まことにありがたく力強く、【命をいただいた】ご恩は、今も忘れられない。

私にできることは、生きている限り、恭子姉さまの墓前に感謝の誠を捧げ、敢えて言うけれど、ついでに、両親の実家や姻戚の墓所に詣でさせていただく。
不埒なことだけれど、恭子姉さまが高知の墓所に眠っておられなかったら、これほど長く毎年高知に通うことは無かったに違いない。

それほど、30年前の抗がん闘病はつらく厳しく、姉の優しさが身に染みた・

帰途は、午後4時13分発の南風22号で18時47分に岡山着。
18時58分発の新幹線のぞみ54号に乗り継ぎ、新大阪着は19時43分着
という強行軍だけれど、このスタイルが定着して、毎年思い出に浸ることが多く、楽しくて仕方がない。

たとえば、「金つなぎふれあいツアー」で、【旅の非日常】に癒される旅を敢行したのは、平成15(2003)年11月のことであった」。 『紅葉を求めて~いのち養う祖谷のかずら橋』(大鳴門橋~新祖谷温泉~かずら橋~大歩危峡) を訪ねるバスの旅』で、高知のすぐ傍まで来たのだった。

当時のさくらは、「余命半年」を覚悟した身で、同行の皆さまもそれぞれに重い症状を抱えてのバスの長旅は、さすがに疲れたけれど、仲間との絆の強さが打ち消してくれた。

あの日、祖谷のかずら橋を渡った高所恐怖症のさくらは、足元の急流に落下するような感覚が怖くて、恥も外聞もなく大騒ぎをしたのだった。

始発・終着の路線とあって乗り越しの心配もなく、「寝る!」と決めていたのに、思い出が次々に脳裏を駆け巡り、折々に届く病友や友人がたへのメール返信に、「いま児島を過ぎたところ」「祖谷のかずら橋が雨に濡れてます」「大歩危峡では水かさを増した波が岩を食んで、川が真っ白に見えてるわ」などと実況を書き送り、寝ている間もなく高知に着いた。

最初はもちろん、飛行機で1泊2日の墓参旅であった。
ある年、搭乗前に「高知空港の上空が悪天候のため【条件便】となります」とアナウンスがあり、引き返すこともあり得ると知らされてホテルをキャンセルし、数日後に新幹線と在来特急乗り継ぎの旅に代え、日帰り弾丸ツアーの決行となり、今に至っている。
                   ◆
家族への報告のブログとあって、ついつい、よしなしごとを書き連ねた。

ついでに。
鶴恵おばさまが独力で建立為された『潮江(うしおえ)のお釈迦さま』の足元に、今年初めて1円、10円、100円硬貨が上げられているのを見つけた。

どなたかが小さな境内の清掃をしてくださり、いつも花筒に緑木が絶えないのは、「信者さま」のような方がおられるのかもしれない、と思っている。
いつであったか境内で、初老の男性にお会いしたこともあった。 「市内の者です」とおっしゃっておられた。

さくらも、「ご縁を2度いただけますように」と願って、10円硬貨を置いてきた。





                     
潮江のお釈迦様は、急な石段を二曲がりした上の境内に鎮座なされ、眼下に広がる潮江地区の有縁無縁の諸精霊の鎮魂・安寧を祈っておられる。
                     
公文家、田村家、森家の墓所のうち、森家のお墓に、恭子姉さまは眠っておられる。
雨の中、感謝の草引きをして帰った。
                        
篠つく雨の中、風もないのに不思議にも、お線香が消えることなくひたすら燃えて、さながら花のように美しく見えた。
恭子姉さまが喜んでおられると思った。                       
                     
山崎本家の新しい大きなお墓。
山崎家の墓参のあいだ中、雨が止んだ。
                     
母の実家の山崎分家には、苔むした古いお墓に江戸時代の年号が刻まれている。 先に墓参に来られた義光さん(山崎義光・AMC西梅田クリニック理事長、サインポスト代表ほか)が、墓所の樹木の伐採と草刈りを頼んでくださったおかげで、やぶ蚊やムカデを見ることもなく、有難かった。
                    
青木家は父の姉上(青木千代さま)の嫁ぎ先である。
夫君の治さんは海軍の将校でいらした方で、古いアルバムに凛々しく美しい写真が残っていた。
娘の美智子さんは、30年前、お遍路に出たさくらの宿に会いに来てくださって、「お医者は患者を選べんけんど、患者はお医者を選(よ)れるんよ!」と、適切な医療を選んで生き延びるよう、励ましてくださった。
生きて来た年月のそこかしこに、ありがたい方々が居てくださる、幸せ‼

難有り、有難し。
ありがとうございます。
ほんとうに、ありがとうございます。



                                        

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