友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

小説家志望の友だちに読ませたい

2025年01月12日 17時23分48秒 | Weblog

 ノーベル文学賞を受賞した韓国の女性作家、ハン・ガンさんの『すべての、白いものたちの』を読み終えた。書店で訊いたら、「ウチにはこれしか置いてないです」と言われて買って来たが、この本が受賞作品なのか分からない。

 読み始めて、頭が混乱した。難しい言葉は無く、とても読みやすいのに、何が何だか分からない。まるで、詩なのだ。1ページから2ぺージごとに書かれた詩を読み進むような感じで、どうなるのと思いながら読んでいった。

 最後まで読んでみて、これは詩の形をした小説なのだと理解できた。この作品を書く前に、執筆していたという『少年が来る』という作品を読んでみたい衝動に駆られた。作者があとがきに、「(『少年が来る』)が無事に刊行された後、しばらくどこかへ行って休むのはよさそうに思えた」と書いていたからだ。

 それほど、心血を注いて書かれた作品を読まないことは無いと思った。『すべての、白いものたちの』には、韓国だけでなくポーランドの街の風景も出て来る。『少年が来る』は、韓国の民主化を象徴する「光州事件」を扱ったものらしい。

 ポーランドの街は、ナチスドイツに破壊されたワルシャワのようだが、生まれ変わっている。今、韓国は大統領支持の人々と、野党を支持する人々に二分されている。GDPでは日本を抜いた韓国なのに、国の行先は混とんとしている。

 アメリカもヨーロッパ諸国も、自国優先を主張する人々が多勢になってきている。みんなで仲良く助け合っていこうと、ならないのはどうしてなのだろう。ハン・ガンさんはこの世界をどう見ているのだろう。

 『すべての、白いものたちの』は、詩のような展開だけど、哲学的でもある。「しなないで、しなないでおねがい。それを力をこめて、白紙に書きつける。死なないようにと。生きていって と」。

 詩のような形の小説。小説家志望の中学からの友だちに読ませたい。

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こんなに楽だったのかと反省する

2025年01月11日 18時12分12秒 | Weblog

 どこへも行かないし、誰にも逢う予定は無いから、今日は髭も剃らず、顔も洗わないで置こうと思っていたのに、時間が来ると洗面台の前に立っている。鏡に映る自分を眺めて、貧相な顔を消すために顔を洗うがやっぱり変わらない。

 年賀状のお礼のハガキを書き終えた。26枚あった。今年から年賀はがきを終了しましたと、メールで送ってくれる人もいた。年賀はがきは止めたけどと、作品をはがきで送ってくれる人もいた。自分は出さないのに、いただくと嬉しい。

 お礼の文面は以下の通り。

 「 賀状ありがとうございました。

 私は元気に暮らしています。昨年の1月、脳梗塞を発症しましたが、発見が早かったおかげで、16日間の入院で済みました。それでも、体力・気力は以前ほどはありません。今年の4月に誕生日を迎えると81歳となる年寄りを実感しております。NPOで行っていた井戸掘りも、皆さん高齢で、口は動いても身体が伴わず、解散しました。

 家に籠って、何する訳でもなく毎日を過ごしています。ただ、中学からの友だちとの約束で、ブログ『友々素敵』は、毎日続けるように努力しています。

 あなたとの出逢いに感謝しています。           2025年1月15日 」

 日付を15日と書いてしまったのは、プリンターのハガキ印刷に自信が無かったので、余裕を見込んだからだ。文字を打ち込むだけなのに、行間やレイアウトを変更すると、もう忘れてしまって戸惑うことばかり。上の文章も「 」では無く、罫線で囲みたかったのに、それも出来ない。

 カミさんは新年会に出かけて行ったから、今晩は自分で料理して食べなくてはいけない。食べさせてもらっていることは、こんなに楽だったのかと反省している。今日は鏡開き、でも私は冷蔵庫のもので済ましてしまう。

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小学校の校庭はドロドロに

2025年01月10日 18時02分43秒 | Weblog

 朝、窓外を見ると銀世界だった。「わあー、キレイな雪景色!」と思わず写真に収めた(写真)。そしてすぐ恥じ入った。雪国は豪雪に見舞われ、死亡者も出ているのに、キレイなどと浮かれていて申し訳ないと。

 私の教え子に、山形県の山奥で自給自足の暮らしをしている女性がいる。育てている羊の毛を刈り、毛糸を作り、編んでくれたチョッキは温かく、寒い冬には無くてはならない。今年は大雪と予想されているので心配である。

 当事者とそうで無い者では、受け取り方が全く違う。自分のことばかりを優先させてしまい、他人を思う気持ちを忘れてはならないと、改めて気を引き締める。小学校の校庭から、子どもたちが雪合戦に興じる声が聞こえる。

 子どもは素直でいいなぁー、人間は何歳くらいから他人のことも配慮するようになるのだろう。人間は共同生活をするようになって、言語を習得したと言われている。サルからどのように変化して人間になったのだろう。

 友だちが、ゴリラの研究家で元京都大学の総長、山極寿一先生の講演会に誘ってくれた。日時は1月18日土曜日の午後1時半から、会場は八事興正寺の光明殿大ホール、参加費2千円、講演名は「共感革命」である。興味のある方は八事興正寺に問い合わせて欲しい。

 山極先生は言う。「ゴリラ社会は人間社会の縮図であり、原点」「人類は言葉を獲得し、発展させ、そして思想や宗教を生み出してきた」。どんな講演が聴けるのかとワクワクしている。雑誌『文芸春秋』12月号に、有働由美子さんとの対談が掲載されていたが面白かった。

 人間は知恵を得て発展して来た。今では地球の支配者であるが、個別に見れば、諍いが絶えない。もっと仲良くする知恵を得たいと思うが、どうして進まないのだろう。今朝の雪は、午後には溶けてしまった。小学校の校庭はドロドロになっている。

 

 

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出逢いで人は変わるから

2025年01月09日 17時40分09秒 | Weblog

 東京の大手予備校が倒産した。予備校に入校する学生が減ったことが原因らしい。東京の大学に在籍する地方出身の学生も少なくなっているから、昔のように、高学歴を目指す若者が減少しているのだろう。

 私は希望する大学に入れなかったので、翌年の合格を目指して通う塾が予備校だと思っていたが、高校生のうちから予備校で、受験勉強をする風習が生まれていたとは知らなかった。

 高校で勉強し、それでも不安なので塾でも勉強する。勉強が好きでなければ、とっても出来ることではない。私は余り勉強しなかった。学校のテストは、教科書を暗記しておけば回答出来たので、前日に教科書を見て置けばよかった。

 しかし暗記ではなく、思考を要する問題は出来なかった。理数には全く興味が無かった。計算すれば答えがでるのに、なぜ勉強する必要があるのだろうと思っていた。数学の先生に「推理するのが数学」と教えてもらったが、時すでに遅かった。

 高校は父も兄も通った学校へ行くのが当然だと思っていたし、大学まで考えたことは無かった。しんどいことはしたくない、楽しんで生きていきたい、そんなナマケモノだった。「トップになったら付き合ってあげる」と、言ってくれる女の子はいなかった。

 学年でいつもトップの女の子を見て、「凄い」と称賛できても、自分も頑張ろうとは思わなかった。もし、彼女が「一緒に勉強しよう」と言ってくれたら、勉強したかも知れないが‥。競争心の無い、流される性格は、社会人になって苦しんだ。

 他人が出来ないことをやらなければ、落伍者になってしまう。追い詰められてやっと、頑張る気持ちが生まれてきた。頑張れば成果が出て、働くことが楽しくなり、アレもコレもと考える欲も生まれてきた。

 長女は中3の娘が、必死に勉強しないと苛立っている。両親がそんな子に育ててしまったのだから、今更ヤキモキせずに温かく見守って欲しい。人生は山あれば、谷もある。どこで誰と出逢うかで、人は変わっていく。

 賀状へのお礼のハガキを書いていて、つくづく出逢いで人は変わると思った。

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学問の神様が祭られている江南市

2025年01月08日 18時04分31秒 | Weblog

 新しい年を迎えた最初のデートの日である水曜日、正月飾りを持って国府宮神社に行くには早すぎるしと思案していると、カミさんが「江南市の北野天神社へ合格祈願に行こう」と言う。今年は長女の中3の娘が高校受験の年、希望の高校へ合格出来ますようにとお願いに行くことにした。

 北野天神社(写真1)は学問の神様、菅原道真を祭った神社である。江南市に10年くらい住んでいたので、駅の案内に神社があったからすぐ近くとは知っていたが、お参りに行ったことは無かった。神社の裏手に駐車場があり、車を止めて正面に向かう。書の神様でもあるので、御影石の筆が飾られている。

 子どもたちの書初めが、社殿の横に掲げられていたが、どの作品も上手だ。牛の像も何体かある。「牛に引かれて善光寺参り」は聞いたことがあるが、これは何だろうと思い、社務所の人に聞いてみた。「いわれは分かりませんが、牛に導かれたのだと思います」と聞き、きっとそんなものだろうと納得した。

 合格祈願の御守をいただき、駐車場へと向かった。その足元に、松ぼっくりのようなものが落ちている(写真2)。見上げても松の樹は見当たらない。松ぼっくりよりも平たくて、形がいいので思わず拾って来た。神頼みでの合格は気に入らないが、合格できれば何でも構わないかと切り替えた。

 江南市に新しく図書館が出来たと新聞で報道されていたので、どんな図書館なのかと行って来た。まさかスーパーのバローと一体型とは知らなかった。駐車場も共有なので、戸惑った。3階と4階が図書館で、作りとしては小牧図書館と似ている。4階からは図書館に入れないし、エスカレーターは登りしかない。

 「使い勝手が悪い」と愚痴を零すと、カミさんは「慣れていないからよ」と言う。始めて来た年寄りでも、スムーズに動けるのが公共施設だろう。これはもう、江南市長に手紙を送るしかないと思う。でも、じゃーどうするか、別の案が出てこない。きっとそのうちに改善されることだろう。市には学問の神様が祭られているのだから。

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そんな「べらぼう」なことでゴメン

2025年01月07日 18時11分22秒 | Weblog

 日曜日のNHK大河ドラマ『べらぼう』が始まった。同じ時代ものでも平安時代の『光る君へ』とはガラリと変わり、江戸時代の活気に満ち溢れた始まりだった。平安時代も江戸時代も、3百年から4百年も長く戦争が無くて、人々は生活に楽しみを追い求めた。それが平安時代は貴族の優雅な文化を生み、江戸時代は庶民の快活な文化を生み出した。

 「べらぼう」は威勢のよい江戸言葉と知ってはいたが、どういう意味か知らなかった。パソコンで調べてみると、江戸時代に見世物小屋で人気になった奇人とある。化け者のような風体の人物で、見物人を笑わせていたようだ。そう言えば、私が子どもの頃、サーカスに醜い女が出ていて、わざわざ嘲笑されるような仕草をしていた。

 醜いことを笑いものにするなど、今では許されないことだけれど、人は自分よりも劣る者を辱めるようだ。だから、「べらぼう」はバカとかアホの総称とされた。『べらぼう』の主人公の蔦屋重三郎が色街の吉原で、どんな活躍を見せてくれるのか楽しみだ。

 初回では、品川などの宿場町に売春宿が出来て、吉原に人が来なくなって女郎が生活苦になっている、それを立て直す手立てを考えるというところまでだった。吉原は幕府から認められた色街だが、そんなに儲かるなら内緒の売春宿が出来てきても不思議では無い。

 繁栄し続けるには、何か工夫が必要になる。日本製鉄がアメリカのUSスチールを買収しとしたのも、両社の生き残り作戦だった。時代には波があり、乗り損ねたら沈むしかない。江戸時代のような平穏な時であっても、浮き沈みは必ずある。これを乗り越えなくてはならないのは、いつの時代も同じだ。

今、アメリカは世界の覇者だけれど、第1次世界大戦まではイギリスが世界を支配していた。そんな風に常に変わっていく。白人だとか黒人だとか、人種などは存在しないという学説も生まれてきた。絶対はいつか崩れる。自分が思うこと、考えることに従って生きていく以外に無い。そんな「べらぼう」なことでゴメン。

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賀状へのお礼のハガキを準備しよう

2025年01月06日 17時00分07秒 | Weblog

 明けましておめでとうございます。しかしもう、年が明けて6日目ともなると、明けましてとは言いづらく感じてしまう。今日は雨降りだが、元日からの5日間、朝は雲一つ無く穏やかで美しい毎日だった。

 新しい年はこんなにも平和で美しいのかと思ったが、世界のどこかで戦争が続いている。昔は人を殺して物を奪えば、一時的には豊になったのかも知れない。けれど、長い人間の歴史を振り返れば、人殺しで豊かになったことなど無い。

 奪った物や土地を奪い返す、そんな馬鹿気た殺し合いに終止符を打つ、新しい時代が始まる年にして欲しいものだ。ガザでもウクライナでも、人々はもう「たいがいにしてくれ」と思っているのに、指導者は「最後まで戦う」と言う。だったら、戦いたい者だけで1対1で戦えばいい。

 そんな勇気も根性も無いくせに、人に向かって「戦え」と言う卑劣な指導者に従う必要は無い。しかし、どこもかしこも、卑劣な指導者が権力を握っている。抵抗すれば監獄に繋がれるか、運が悪ければ殺される。何という世の中だ。なぜ、人々は抵抗できないのだろう。

 毎年行って来た3日の我が家の新年会、泊まっていく者がいなかったので、あんなに準備にあくせくしたのに何か拍子抜けだった。泊まるはずだった次女一家が、娘と次女がインフルエンザに感染してしまって来れなくなった。長女のところの中3の娘も風邪気味で家での留守番となった。

 まあ、老いたジジババにはよかったのかも知れないが、それでもババは「疲れた」と言う。私は食事が変わったためか、便秘気味で排便に苦労している。これからはますます、開催が難しくなりそうだ。やれるうちはやろうと思うけれど、本当にどこまで続けられるのだろう。

 年賀状は減っているが、頂いた賀状へのお礼のハガキは出すので、明日からはその作業にかかるつもり。今年もよい年でありますようにと祈りながら。

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ツーカーといかないのが夫婦

2024年12月28日 18時08分45秒 | Weblog

 風が吹いて冷たかったけれど、今日、飾らないと一夜飾りになってしまうので、玄関のドアを雑巾掛けした。インターホンもキレイに拭いて、誰が来ても恥ずかしくない玄関に仕上げた。そして、玄関飾りを吊るした。

 「風に飛ばされない?」とカミさんが心配するので、見えないところにテープを貼って固定した。30日に正月花が届けば、玄関周りの正月を迎える準備は完成する。カミさんは相変わらず、断捨離する物品の整理を頑張っている。

 私もそうだけれど、書類や表や賞状など、決してこの先も見ないだろう物がキチンと集めて仕舞ってある。これからも見ることは無いし、必要になることも無いのだから、処分しても構わないはずなのに思い切れない。

 クリスマスが終わり、今年もあと3日になってしまった。年末だからなのか、昨日の中日新聞は『つれあいにモノ申す』の特集を掲載していた。クスッと笑えるこの蘭が私は好きだ。そんな中から、選んでみた。

 『物を捨てられなかった夫。「これ要る?」と聞けば「取っておいて」。ときめかないものは捨てればいいのに「全部ときめく」と。もうすぐ3回忌。許可なく処分したわ。でも、一緒に暮らした記憶までは捨てないから安心して』。

 『「物を捨てるとスッキリするわね!」と夫に言ったら、黙って私をジーッと見た。こらこら、私を捨てたら困るのはあなたよ!』。『「居酒屋の常連さんになりたいなあ」と言う夫。何故?365日晩酌を欠かさないあなたのために、おいしい手料理を作る美しい女将が目の前にいるじゃない。ホント、鈍感なんだから』。

 どこの夫婦も同じだね。50年も60年も付き合ってきたのに、ツーカーとはいかないのが夫婦なのだろう。だから、そこが夫婦の面白いところかも知れない。明日から1月5日まで、ブログを休みます。よいお年をお迎えください。

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明日もまだまだ掃除は続く

2024年12月27日 18時01分41秒 | Weblog

 今朝から大掃除に着手する。念願だった断捨離を実行し、使わない物は処分するつもりで始めたが、実際はそうならなかった。しばらく検討してみたいという物品があり、とりあえずはそれを一か所に集め、捨てていい物だけに限定した。

 それでも初日としては、まずまずの成果だと思う。寝室にあった大きなタンスの中身を別のところに移し、空になったタンスを隣りの部屋へ移動させた。空と言えども随分重い。背丈もあるので横にして、カミさんとふたりで運び出した。

 私よりもカミさんの方が力があるのか、ふたりで息を合わせて持ち上げるのだが、カミさんから「もっと上、もっと左、そこで降ろして」と指示が飛ぶ。家具を3点ばかり移動させただけで、息が上がる。今も腰や手足が痛い。

 ついこの前までは、重い物も持ち挙げられたのに、なんという体力不足なのかと情けなくなる。こうして高齢者は、自分の歳を実感していくのだろうか。正月に子どもたちがやって来るから、どうしてもキレイな部屋で迎えたい。

 テレビで、日本はGDPが下の国になってしまったと報じていた。国の政策に問題があるという指摘だったけれど、これだけ高齢化が進めばGDPが下がるのは当然だろう。我が家を見てもそうだけれど、新品の物は何も無い。

 高齢者が消費するのは、毎日の食事だけであり、生活するための最低限の水と電気だけだ。旅行も行かないし、映画も観ないし、服も買わない。じっと家に居るだけだから、生産もしなければ消費もしない。これではGDPが上がる訳は無い。

 人間はそんなことを繰り返してきた。いい時もあれば悪い時もある。子どもを産めと言う人もいるが、それは当人の問題で、どんな社会になっても、みんなが幸せに暮らせる仕組みを作るのは政治の責任である。明日もまだまだ掃除は続く。頑張らなくては。

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市町村議会はどうあるべきなのか

2024年12月26日 17時33分16秒 | Weblog

 懐かしい人から、「念願の本を出版した」と連絡をもらった。彼と最初に出会ったのは、私が地域新聞を発行していた頃だと思う。その頃、彼は読売新聞の記者で、この地方を担当していた。

 大手の新聞社から見れば、地域新聞など紙屑のようなものだっただろう。私が議会を傍聴していた時、中日新聞の記者に「オイ、どけ。ここは記者席だぞ」と怒鳴られたことがあった。「私も記者です」と言えずに、黙って退いた。

 大新聞の記者は、取材してやっているという態度の人が多かった。けれど、読売新聞の彼は、大人しくフレンドリーな印象だった。そんな彼と次に会ったのは、私が町会議員だった時だ。

 彼が市議会議員に立候補したいというので、私たちが行っていた勉強会『無党派・市民派 自治ネット』に参加して来た。東海地方の議員が何人か集まって、それぞれの課題をみんなで話し合う、そんな勉強会だった。当時の仲間で今も活躍しているのは、彼と瀬戸市議の臼井淳君だけになってしまった。

 彼とは松阪市の市議で、6期21年目になる海住恒幸君である。議会を傍聴したことのある人は、まるで国会の小型版かと思われるだろう。どこの市町村議会も大して変わりないほど似ている。中には形だけの議会もある。

 彼が著した『議員も知らない?議会の深層・真相』(あらま出版)は、議会はどうあるべきなのかを訴えた渾身の1冊である。議会は、議員同士が熱い討論を交わして、住んでいる市町の住民の声を行政に活かす機関でなくてはならない。

 それには、議員が諦めずに求め続けることが大事であり、市民の応援が必要である。さすがに記者していただけあってとても読みやすい。政治に興味の無いカミさんにも、「よく分かるワ」と受けがいい。

 議会や行政に興味のある人、いや私たちの生活そのものに関心のある人、ぜひ手にして読んで欲しいと思う。もうそろそろ、次の時代へと向かっていく頃だから。

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