友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

高齢者の愚痴を聞くことのようだ

2025年01月31日 17時55分50秒 | Weblog

 先輩から電話が入って、久しぶりに喫茶店で会うことになった。先輩は87歳で耳が遠いので、ついつい大きな声になってしまう。格別な用件がある訳では無く、誰かと話がしたいのだ。先輩がバックからスマホを取り出して、ふたりの間に置いた。

 何をするのだろうと思っていると、スマホがふたりの会話を文字にしていく。さすがに三菱重工で宇宙開発チームにいたと言うだけあって、最新技術を駆使できる。いつものように行政への不満を声高に語る。

 「行政に文句を言うと、議員を通してくれと言う。それで、議員に話しても、ちっとも役に立ってくれない。議員は何をやっているのか」と愚痴を言う。議員ひとりの力は小さくても、議会の決議は大きいと話す。

 先輩のカミさんは、喉頭ガンで話すことが出来ない。今は身体の調子も良くないみたいで、彼が流動食を作っているようだ。ふたり暮しの高齢者は、行く先の不安を抱えている。そんなケースは彼だけでなく、私の周りでも見聞きする。

 ダンナの定年を契機に、離婚する夫婦もある。長年暮らしてきたのに、カミさんは「解放されたい」と願うようだ。カミさんの苦労を見ていないダンナは、何が不満なのか分からない。熟年離婚のふたりは、これからどう生きていくのだろう。

 私は昨日のブログで「思うように生きればいい」と結んだが、若い人たちがブログを見たら、「ジジイはお気楽でいいね」と嘲笑されそうだ。昨年の小中高生の自殺者は527人、高校生が349人、中学生が163人、小学生が15人とある。

 生きていることが辛い、いっそのこと死んで楽になりたい、そんな苦しい思いをあの子たちにさせてしまっているのかと驚く。いや、大人も自殺する人が多いから、生き辛い世の中になっているのだろう。

 私にはどうしたらいいのか分からないが、せめて話す相手がいれば、もう少し変わるのかも知れない。ジイジでよければ聞くよと伝えたいが、高齢者では無理かも知れない。私が出来ることは、同年代の高齢者の愚痴を聞くことくらいのようだ。

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思うままに生きればいい

2025年01月30日 18時02分02秒 | Weblog

 朝から冷たい風が強く吹いている。西の伊吹山から吹いて来る伊吹おろしだ。それでも小学校の運動場では子どもたちが元気に飛び回っている。ジッとしていては寒いから、動き回ることで身体を温めているのだろう。

 私の子どもの頃も、寒い時は陣取りとか馬乗りなど、激しくぶつかり合う遊びが多かった。子どもは元気だというより、それくらいしていないと寒さで凍えてしまう。教室に戻っても、エアコンは無いから、廊下側の席は隙間風で寒かった。

 家には火鉢しか無かったから、冷たくなった足の指先を火鉢で温めていると、祖父に「行儀が悪い」と叱られた。でも私は、祖父が火鉢に足を乗せているのを知っていた。年寄りは自分勝手だと思ったが、口答えしたことは無かった。

 今から70年も前のことだ。結婚して子どもができ、子どもたちを連れて旅行したり、私は典型的なニューファミリーだった。子どもを叩いたり叱ったりしたことは無く、他人に迷惑をかけてはダメと言ったが、基本的には自由にさせていた。

 その娘たちも今や団塊ジュニア世代として、世間をけん引する立場にあり、社会の規範や価値観を創り出している。それがいいか悪いかは、誰も分からない。親としては、落ちこぼれずに、普通の暮らしが出来ていれば安心する。

 昨夜,NHKテレビの『クローズアップ現代』を観ていて、とても考えさせられた。ゲストは歌手の「ちゃんみな」さんで、団塊ジュニア世代の子どもたちくらいの女性だった。『美人』という歌を披露したが、子どもの頃から「ブス」とか「デブ」と言われ続けたそうだ。

 大人が「人それぞれだから」と多様性を持ち出して慰めてくれても、「ウソ臭さ」や「無責任」を感じたと話す。「評価は他人がするものではない」と彼女は言い切る。Z世代の価値観や生き方を見た気がした。

 長女のところも次女のところも、これから青春を迎える娘がいる。どんな風に育っていくのか、楽しみである。ジイジとしては怖さもあるが、なあーに、思うままに生きればいい。

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世の中は親切な人で本当に良かった

2025年01月29日 17時57分32秒 | Weblog

 体調は戻ったので、水曜日デートを計画しなくてはと思い、新聞に告知が載っていた「三岸節子記念美術館へ行こう」と提案すると、「大丈夫?」と心配そうにカミさんは言う。「心配なら、あなたが運転してくれる?」と聞くと、「それは出来ない」と首を振る。

 そんなこんなで出発が遅くなったので、先に昼食とする。先回、寄った喫茶店がいいと言うカミさんの希望に応えようと、車を走らせたがなかなか見つからない。確か、高速道路沿いの道の西側にあったと巡回すると、何となく見覚えのする通りに出会った。

 グランドピアノがある喫茶店で、フランス語の店だった。店内は空いていて、年寄りや家族連れが目立つ。保険か何かの勧誘の女性が、一生懸命で話していた。ランチを注文し、置いてある週刊誌を見る。

 「週刊現代」を手にしたが、これまでの物とは大きく違っていた。「週刊現代」も「週刊ポスト」も中高年の男性をターゲットに、ヌードグラビアが必ず何ページかあったが、それが無くなっていた。記事もゴシップネタというより、役立つものを取り上げている。

 週刊誌を自分で買って家で読むことは無く、喫茶店でしか読まない男性が多いのに、これでは喫茶店にあっても誰も読まないだろう。ひとりで入って来た中年の男性は、置いてあった週刊誌をペラペラと見て、ヌード写真のある方を手にして席に座った。

 さて、肝心の三岸節子記念美術館の催しは、三岸節子さんと女流画家協会で活躍した『中谷ミユキ展』だった。30歳になってから洋画の道に進んだ女性なので、描写力は今一つだけれど、迫力では負けていない気がした。

 受付の女性に、「この近くで椿が見られる、公園か神社か寺はありませんか」と尋ねた。奥の人たちにも聞いてもらったが「分かりません」と言う。余分なことをしたためか、ここで障害者手帳を落としたようで、節子さんの作品を観ていると、男性に「手帳を落とされませんでしたか」と声をかけられた。

 ビックリしてバッグの中を見ると無い。手帳を失くすなんてとんでもないことだ。失くしていたら、カミさんに叱られる。有難い、世の中は親切な人で本当に良かった。

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大らかな国民性の日本

2025年01月28日 18時09分09秒 | Weblog

 フジテレビの記者会見を、どこの局も取り上げていて、少々食傷気味だ。これでは私の胃腸もますます不調をきたすだろう。目にしなければいいのに、テレビ局だけでなく新聞も取り上げているから仕方ない。

 フジテレビが、中居正広さんによる不祥事に、キチンと対処出来なかったことはよく分かった。けれど、中居さんが何をやらかしたのか、フジテレビがどうしたのか、それが分からないから消化不良である。

 あんなに長い時間、報道では10時間を越したそうだが、ネチネチと質問を繰り返す必要があったとは思えない。確かにフジテレビの社長らの対応はお粗末だったが、記者会見の場はまるでイジメのようだった。

 質問する記者は、事前に何をどう聞くかを考えてきているはず、しかし、前の質問を把握していないような質問や、何を導き出そうとしているのか分からない、演説のような質問が飛び出しウンザリした。

 記者たちの質問に答える社長らは、とにかくこの場を乗り切ればいいという決意が見える。確かにこんなにも長い時間吊るし挙げられたのだから、その見返りは計算しているだろう。翌日の今朝、テレビ・新聞の見出しは、会長と社長の辞任が大きく出ていた。

 これだけ叩かれたのだから、あるいは叩いたのだから、みそぎは終わったと、フジテレビも国民も受け止たことだろう。

 こんな風にして、日本人は過去を清算してきた。誰かをいけにえに捧げ、みんなで悔い改めた気持ちを示し、さあー、明日からはみんな団結して頑張ろうと唱えて来た。だから国を二分するような対立は生まれなかった。

 フジテレビもこれを機会に変わっていくのだろうが、全く逆のフジテレビにはならないだろう。「みんなで渡れば怖くない」は、元々はお笑いのギャグだったが、今では日本のことわざ扱いである。

 こんなに大らかな国民性の国は、世界に類を見ないだろう。

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私だけの症状のようだ

2025年01月27日 17時06分27秒 | Weblog

 マンションのご近所の人たちとの新年会は無事に終わった。23歳の男性が参加してくれたので、うんと盛り上がった。彼は小学生の頃から私たちの集まりに来ていたし、夏祭りで屋台を出していた時は、飲み物の当番を引き受けてくれた。

 素直で明るくて、ちょっとひょうきんなところもあり、大人からモテた。余りにも素直だったので、中学校へ上がる時が心配だったが、案の定、学校へ行けなくなってしまった。それが今では営業を担当する社会人である。

 毎朝、新聞に目を通し、話題になりそうなネタは仕入れていくそうだ。「営業の基本は謙虚ですかね」と、営業畑を歩いて来た先輩と話していた。その先輩は3月に86歳を迎える高齢で、昔から焼酎のお湯割りが好きだ。

 この日もカミさんや娘から、「飲み過ぎないでね」と念を押されていた。高齢のせいか、よく転ぶ。今は杖を突いているが、歩き方はおぼつかない。居酒屋の常連で、先輩の知り合いの坊主たちが来ていて、助かった。

 帰る時、先輩が車に乗り込むまでは、23歳の男と私で手を引いていったが、坊主たちの手を借りなければならなかった。まあ、そんなこんなで、先輩を家の中に連れ込んだ。23歳の彼が参加してくれなかったら、とてもこんなスムーズにいかなかっただろう。

 やれやれと、歯磨きをして床に入った。しばらくするとお腹がズキッと痛む。何だろうと思ったがそのまま寝てしまった。けれど、便意が来てトイレに駆け込んだ。凄まじい水便だった。今日の昼まで5回、この症状は変わらない。

 日頃、粗食で済ましているのに、余りに立派なご馳走を一杯食べたので、胃や腸がビックリしてしまったのだろう。しばらく絶食をして、胃腸を休めてやろう。聞くと、カミさんも他の人も何事も無いようなので、私だけの症状のようだ。

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久しぶりに顔を合わせる

2025年01月26日 16時01分47秒 | Weblog

 大阪女子マラソンを観てしまった。カミさんが友だちとランチに出かける時、「車はあるわよ」と言ってくれたのに、番組表を見て、少しだけ観て、詰まらなければやめればいいと思いながら、最後まで観てしまった。

 そして、いつものことながら、日本人選手がゴールした時、涙を流していた。歳を取ると涙腺が緩むと言うが、必死でただただ走っているだけなのに、どうしてもその一生懸命さに弱い。野球やサッカーで泣くことは無いのに‥。

 私は自分が頑張った経験が無いためか、頑張っている姿を見ると感動してしまう。頑張るという行為は、人間だけが持つものなのだろうか。サルやライオンだって、食べ物や異性を獲得するために必死になって戦うからそうとも言えないか。

 NHKの朝ドラ『おむすび』は、だんだん面白くなるのかと思っていたが、ドタバタが続いているだけだ。先輩に「見てますか?」と尋ねると、「ギャルの肌の露出度を観察している」と言う。「どの子の素足がいいとか、肌がキレイかとか、見ている」と説明する。

 そう言われてみれば、私も橋本環奈さんの脚ばかりに目がいく。ストーリーも演技も全く関心が向かない。神戸と東北の大震災を取り上げているのに、取って付けたようで、何がテーマなのだろうと思ってしまう。

 男が女の身体に関心を抱くのは、本能だろうけれど、衣服を纏っているから、目に付くのは顔と手足になってしまう。私より5歳も年上の先輩でも、テレビを観るのは女性の露出した肌というのも、ただ美しいものへの憧れなのかも知れない。

 高齢の男性はもう、一生懸命に努力を払うことも出来ないから、せめて美しいものを眺めて男の本能を満たしたいのだろう。今晩は、長く出来なかったご近所との「誕生日会」だ。以前のように飲むことはないが、久しぶりに顔を合わせるだけで嬉しい。

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地球は世界人ばかりになる

2025年01月25日 17時55分09秒 | Weblog

 インフルエンザが流行っているらしい。その原因を外国人のオーバーツーリズムにあるような報道があるが、キチンと調べているのかと不審に思う。愛知県の知多半島の鶏舎で、鳥インフルエンザに罹った鶏が百万羽も処分されている。

 人間には感染しないと言うのに、何故なんだろう。知多半島は国際航空の空港があるし、渡り鳥の飛来もあるから、鶏が感染するのも仕方ない気がするが、そんなに大量の処分を行う必要はどこにあるのだろう。

 得体の知れない病気が流行ると、なぜか外国から来たものだと決めつけたがる。日本は長い間鎖国していたが、それでも江戸時代には遊郭で梅毒が流行った。梅毒に罹ったことを自慢する輩もいたと言う。

 梅毒はスペイン人がアメリカ大陸から持ち込み、世界に拡げたと言われている。人の交流が盛んになれば、病原菌も各地に持ち込まれる。人類が発展している証拠のようなものだから、目の敵にすることは無い。

 なのに、トランプ大統領は移民を犯罪者と断定する。しかもトランプ大統領はメキシコ湾をアメリカ湾にとか、カナダをアメリカの51番目の州にとか、途方もないことを言い出している。そんなに領土が欲しいのなら、世界を全てアメリカ合衆国にすればいい。

 世界が1つの国になれば、戦争も無くなるし、不平等も次第に改善されていくだろう。トランプ大統領が、そんな先を見越して発言しているなら、「平和では儲からない」と主張する実業家を抑えた、偉大な政治家と称えられるだろう。

 「皮肉屋」と陰口をたたかれるイチローさんが、アメリカの野球殿堂入りした。カミさんの友だちに、イチローさんを中学校で教えた人がいる。どんな生徒だったのか、一度聞いてみたい。

 世界で活躍するのは日本人だけでなく、世界各地の人が、世界各地で活躍する時代である。「どこどこの人」などとレッテルを貼ることは無い。もっと交流が進めば、地球は世界人ばかりになる。新しい病気も流行するかも知れないが‥。

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まあまあのデートだった

2025年01月24日 18時00分29秒 | Weblog

 まるで春のように暖かな日だった。今日はクリニックでの定期検診。医師は笑顔で「どうですか?」「お酒は飲んでいますか?」と訊く。私は正直に、「毎晩ではありませんが、飲んでいます」と答えると、「血圧の数値もいいですから、この調子でいきましょう」と言ってくれる。

 「この調子って、何ですか」と聞きたくなったが、「ありがとうございます」と答えた。本当はもう一つ、「私が死んだ時は、先生が死亡診断書を書いて下さるのですよね」と聞きたかったけれど、みんなのいる診察室で聞くのは野暮かと思い、止めた。まあ、その時が来れば、どうにかなるだろう。

 クリニックを出て早めの昼食をとり、小牧市役所を目指した。「市内で椿の名所はどこかありますか」と聞くためだ。市役所の案内係の女性はとても親切で、「そういう所は分かりませんが、四季の森で椿が咲いているか聞いてみますので、少しお待ちください」と言う。

 小牧市の四季に森なら椿はあるはず。待っていると、「係りに尋ねたところ、咲いているそうです。私も今度、行ってみようかな」と嬉しそうに話す。私としてはもう少し近いところで、寺でも神社でもいいからと思たが、そんなにみんなが知っているような所は無いようだ。

 ナビは四季の森の北駐車場に案内してくれるが、私の記憶としては東駐車場から入るとありそうだったので、東へと回る。東駐車場の方が広いし、平日でも車が何台か止まっている。椿を眺め(写真)、広場へと向かうと、赤子を連れて来てる母親たちに出会う。孫娘もそうだけれど、親子で、こんな風に遊びに来るようだ。

 幼児がセキレイを追いかけていた。捕まえることが出来なくて、空を見上げている。「どこへ行ったのかな」と声をかけると、「お食事に帰ったの」と教えてくれる。「そうか、じゃー、しっかりお弁当食べてね」と手を振って別れた。

 一足早く春を満喫した一日だった。けれど、少し時間が経つと、風が冷たくなった。椿の花はもう終わる。これからは梅、そして桜の季節へと進むだろう。水曜日のデートは行先を調べて出発するが、今日は急の思い付きだったにしては、まあまあのデートだった。

 

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残念に思っていることだろう

2025年01月23日 18時09分10秒 | Weblog

 タレントの中居正広さんが今日の正午、「本日をもって芸能活動を引退いたします」と表明した。これだけ大騒ぎになってからでは遅すぎた。なぜ、もっと早く記者会見でもなんでもいいから、説明の場を設けなかったのだろう。

 古市憲寿さんが、中居正広さんの印象を「勘が鋭い、聡明な人」と評していたが、いくら「真摯に向き合い、誠意を持って対応して参ります」と文書で表しても、問題を起こした政治家の弁明を見ると同じ気がする。

 今日のニュースの中で、凄い人がいると思ったのは、トランプ新大統領の就任を祝うワシントン大聖堂の礼拝だった。多分、カトリックの教会だと思うが、司祭が説教の中で、「慈悲の心をもって」とトランプ大統領に語り掛けた。

 人種差別や移民廃止を進めようとしている大統領を、「愛を持って真実を語り、神と謙虚に向き合いなさい」と諫めているのだ。。トランプ大統領は「謝罪せよ」と怒っているようだが、誠に神に仕える、勇気のある人だ。

 人は大きな力を持った人の前では、なかなか本当のことは言えない。ドラマ『坂の上の雲』で、旅順の要塞を攻落するために、たくさんの日本人兵が死んでいった。要塞を守るロシア兵も死に、戦争がいかに無意味な殺し合いであることを示していた。

 けれど一方で、「勝った。勝った」と喜ぶ人々がいる。戦場の現場にいない人には、悲惨な現実は見えない。どんなに大義があろうとも、戦争は殺し合いである。「やれ、やれ」と叫ぶ人だけで戦えばいいのに、叫ぶ人は無傷のところにいる。

 だいぶ陽が沈むのが遅くなった。午後5時、南西の空を見ると、夕陽で空が赤くなっていた。先日はもっとキレイだったが、風が強くて撮れなかった。今日は穏やかだったので、スマホを向けてみた。

 神は人の世界をどう見ているのだろう。愛と慈悲を説かれたのに、残念に思っていることだろう。

 

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疑問が湧いてきた

2025年01月22日 17時42分51秒 | Weblog

 「だいたいできたと思う。ヒントのある方は百点」と、カミさんは誇らしげに言う。今日は西枇杷島警察署での認知機能検査のため、カミさんを午前9時までに送り届けなくてはならなかった。私は自分の時よりも、遅れてはならないと緊張した。

 15分ほど前に到着したからか、駐車場はまだ余裕があった。けれど、邪魔をしてはいけないので、近くの喫茶店を探して時間の来るのを待った。ここの喫茶店も年寄りばかりで、「古紙よりもアルミ缶の方が儲かるぞ」とか話していた。

 10時前に迎えに行き、そこから名古屋法務局へと向かった。NPO「おたすけ」は解散したけれど、その登記を取ってくるようにと県生活部から電話が入ったためだ。役所というのはめんどくさいけれど、それが決まりなら仕方ない。

 法務局の後、「いい時間だから、名古屋市美術館で開催している『FOLON展』を観に行こう」となった。白川公園には子どもたちがたくさん来ていた。フォロンはベルギーのアーティストで、アメリカで有名になった。その作品は発想が奇抜で、まるで漫画のようだ。

 私が勤めていた高校のデザイン科の生徒の方が、面白い作品を描いたかも知れない。どこでどんな風に評価されるか、時代と社会が大きく作用する。美術館の地下1階は、所蔵作品の展示を行っているが、今日は市内の中学生が校外学習で来ていた。

 モディリアーニの作品の前で、ボランティアの人が中学生に説明していた。余りに熱心だったので、私も少し聞かせてもらった。でも、絵は感性から入った方がいい。まず鑑賞し、質問があったら答える手順でないと、知識が先では退屈になってしまう子もいる。

 観終わって、最後にウイルあいちへ、法務局で発行してもらった登記を持って行った。けれど、工事中で建物の中に入れない。警備の人に聞いても、「駐車場は無い」と言う。今日で全て完了するはずだったのにと情けなくなる。

 家に帰って、封筒に入れて郵送で送る。カミさんは全て順調なのに、どうして私はダメなのだろう。「あなたは思い込みが強いのよ。合理的に考えないし」とカミさんに指摘され、そうかと納得するが、今日の半分はカミさんのために働いたのにと疑問が湧いてきた。

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