日曜日のNHK大河ドラマ『べらぼう』が始まった。同じ時代ものでも平安時代の『光る君へ』とはガラリと変わり、江戸時代の活気に満ち溢れた始まりだった。平安時代も江戸時代も、3百年から4百年も長く戦争が無くて、人々は生活に楽しみを追い求めた。それが平安時代は貴族の優雅な文化を生み、江戸時代は庶民の快活な文化を生み出した。
「べらぼう」は威勢のよい江戸言葉と知ってはいたが、どういう意味か知らなかった。パソコンで調べてみると、江戸時代に見世物小屋で人気になった奇人とある。化け者のような風体の人物で、見物人を笑わせていたようだ。そう言えば、私が子どもの頃、サーカスに醜い女が出ていて、わざわざ嘲笑されるような仕草をしていた。
醜いことを笑いものにするなど、今では許されないことだけれど、人は自分よりも劣る者を辱めるようだ。だから、「べらぼう」はバカとかアホの総称とされた。『べらぼう』の主人公の蔦屋重三郎が色街の吉原で、どんな活躍を見せてくれるのか楽しみだ。
初回では、品川などの宿場町に売春宿が出来て、吉原に人が来なくなって女郎が生活苦になっている、それを立て直す手立てを考えるというところまでだった。吉原は幕府から認められた色街だが、そんなに儲かるなら内緒の売春宿が出来てきても不思議では無い。
繁栄し続けるには、何か工夫が必要になる。日本製鉄がアメリカのUSスチールを買収しとしたのも、両社の生き残り作戦だった。時代には波があり、乗り損ねたら沈むしかない。江戸時代のような平穏な時であっても、浮き沈みは必ずある。これを乗り越えなくてはならないのは、いつの時代も同じだ。
今、アメリカは世界の覇者だけれど、第1次世界大戦まではイギリスが世界を支配していた。そんな風に常に変わっていく。白人だとか黒人だとか、人種などは存在しないという学説も生まれてきた。絶対はいつか崩れる。自分が思うこと、考えることに従って生きていく以外に無い。そんな「べらぼう」なことでゴメン。