友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

そんな「べらぼう」なことでゴメン

2025年01月07日 18時11分22秒 | Weblog

 日曜日のNHK大河ドラマ『べらぼう』が始まった。同じ時代ものでも平安時代の『光る君へ』とはガラリと変わり、江戸時代の活気に満ち溢れた始まりだった。平安時代も江戸時代も、3百年から4百年も長く戦争が無くて、人々は生活に楽しみを追い求めた。それが平安時代は貴族の優雅な文化を生み、江戸時代は庶民の快活な文化を生み出した。

 「べらぼう」は威勢のよい江戸言葉と知ってはいたが、どういう意味か知らなかった。パソコンで調べてみると、江戸時代に見世物小屋で人気になった奇人とある。化け者のような風体の人物で、見物人を笑わせていたようだ。そう言えば、私が子どもの頃、サーカスに醜い女が出ていて、わざわざ嘲笑されるような仕草をしていた。

 醜いことを笑いものにするなど、今では許されないことだけれど、人は自分よりも劣る者を辱めるようだ。だから、「べらぼう」はバカとかアホの総称とされた。『べらぼう』の主人公の蔦屋重三郎が色街の吉原で、どんな活躍を見せてくれるのか楽しみだ。

 初回では、品川などの宿場町に売春宿が出来て、吉原に人が来なくなって女郎が生活苦になっている、それを立て直す手立てを考えるというところまでだった。吉原は幕府から認められた色街だが、そんなに儲かるなら内緒の売春宿が出来てきても不思議では無い。

 繁栄し続けるには、何か工夫が必要になる。日本製鉄がアメリカのUSスチールを買収しとしたのも、両社の生き残り作戦だった。時代には波があり、乗り損ねたら沈むしかない。江戸時代のような平穏な時であっても、浮き沈みは必ずある。これを乗り越えなくてはならないのは、いつの時代も同じだ。

今、アメリカは世界の覇者だけれど、第1次世界大戦まではイギリスが世界を支配していた。そんな風に常に変わっていく。白人だとか黒人だとか、人種などは存在しないという学説も生まれてきた。絶対はいつか崩れる。自分が思うこと、考えることに従って生きていく以外に無い。そんな「べらぼう」なことでゴメン。

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賀状へのお礼のハガキを準備しよう

2025年01月06日 17時00分07秒 | Weblog

 明けましておめでとうございます。しかしもう、年が明けて6日目ともなると、明けましてとは言いづらく感じてしまう。今日は雨降りだが、元日からの5日間、朝は雲一つ無く穏やかで美しい毎日だった。

 新しい年はこんなにも平和で美しいのかと思ったが、世界のどこかで戦争が続いている。昔は人を殺して物を奪えば、一時的には豊になったのかも知れない。けれど、長い人間の歴史を振り返れば、人殺しで豊かになったことなど無い。

 奪った物や土地を奪い返す、そんな馬鹿気た殺し合いに終止符を打つ、新しい時代が始まる年にして欲しいものだ。ガザでもウクライナでも、人々はもう「たいがいにしてくれ」と思っているのに、指導者は「最後まで戦う」と言う。だったら、戦いたい者だけで1対1で戦えばいい。

 そんな勇気も根性も無いくせに、人に向かって「戦え」と言う卑劣な指導者に従う必要は無い。しかし、どこもかしこも、卑劣な指導者が権力を握っている。抵抗すれば監獄に繋がれるか、運が悪ければ殺される。何という世の中だ。なぜ、人々は抵抗できないのだろう。

 毎年行って来た3日の我が家の新年会、泊まっていく者がいなかったので、あんなに準備にあくせくしたのに何か拍子抜けだった。泊まるはずだった次女一家が、娘と次女がインフルエンザに感染してしまって来れなくなった。長女のところの中3の娘も風邪気味で家での留守番となった。

 まあ、老いたジジババにはよかったのかも知れないが、それでもババは「疲れた」と言う。私は食事が変わったためか、便秘気味で排便に苦労している。これからはますます、開催が難しくなりそうだ。やれるうちはやろうと思うけれど、本当にどこまで続けられるのだろう。

 年賀状は減っているが、頂いた賀状へのお礼のハガキは出すので、明日からはその作業にかかるつもり。今年もよい年でありますようにと祈りながら。

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