友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ツーカーといかないのが夫婦

2024年12月28日 18時08分45秒 | Weblog

 風が吹いて冷たかったけれど、今日、飾らないと一夜飾りになってしまうので、玄関のドアを雑巾掛けした。インターホンもキレイに拭いて、誰が来ても恥ずかしくない玄関に仕上げた。そして、玄関飾りを吊るした。

 「風に飛ばされない?」とカミさんが心配するので、見えないところにテープを貼って固定した。30日に正月花が届けば、玄関周りの正月を迎える準備は完成する。カミさんは相変わらず、断捨離する物品の整理を頑張っている。

 私もそうだけれど、書類や表や賞状など、決してこの先も見ないだろう物がキチンと集めて仕舞ってある。これからも見ることは無いし、必要になることも無いのだから、処分しても構わないはずなのに思い切れない。

 クリスマスが終わり、今年もあと3日になってしまった。年末だからなのか、昨日の中日新聞は『つれあいにモノ申す』の特集を掲載していた。クスッと笑えるこの蘭が私は好きだ。そんな中から、選んでみた。

 『物を捨てられなかった夫。「これ要る?」と聞けば「取っておいて」。ときめかないものは捨てればいいのに「全部ときめく」と。もうすぐ3回忌。許可なく処分したわ。でも、一緒に暮らした記憶までは捨てないから安心して』。

 『「物を捨てるとスッキリするわね!」と夫に言ったら、黙って私をジーッと見た。こらこら、私を捨てたら困るのはあなたよ!』。『「居酒屋の常連さんになりたいなあ」と言う夫。何故?365日晩酌を欠かさないあなたのために、おいしい手料理を作る美しい女将が目の前にいるじゃない。ホント、鈍感なんだから』。

 どこの夫婦も同じだね。50年も60年も付き合ってきたのに、ツーカーとはいかないのが夫婦なのだろう。だから、そこが夫婦の面白いところかも知れない。明日から1月5日まで、ブログを休みます。よいお年をお迎えください。

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明日もまだまだ掃除は続く

2024年12月27日 18時01分41秒 | Weblog

 今朝から大掃除に着手する。念願だった断捨離を実行し、使わない物は処分するつもりで始めたが、実際はそうならなかった。しばらく検討してみたいという物品があり、とりあえずはそれを一か所に集め、捨てていい物だけに限定した。

 それでも初日としては、まずまずの成果だと思う。寝室にあった大きなタンスの中身を別のところに移し、空になったタンスを隣りの部屋へ移動させた。空と言えども随分重い。背丈もあるので横にして、カミさんとふたりで運び出した。

 私よりもカミさんの方が力があるのか、ふたりで息を合わせて持ち上げるのだが、カミさんから「もっと上、もっと左、そこで降ろして」と指示が飛ぶ。家具を3点ばかり移動させただけで、息が上がる。今も腰や手足が痛い。

 ついこの前までは、重い物も持ち挙げられたのに、なんという体力不足なのかと情けなくなる。こうして高齢者は、自分の歳を実感していくのだろうか。正月に子どもたちがやって来るから、どうしてもキレイな部屋で迎えたい。

 テレビで、日本はGDPが下の国になってしまったと報じていた。国の政策に問題があるという指摘だったけれど、これだけ高齢化が進めばGDPが下がるのは当然だろう。我が家を見てもそうだけれど、新品の物は何も無い。

 高齢者が消費するのは、毎日の食事だけであり、生活するための最低限の水と電気だけだ。旅行も行かないし、映画も観ないし、服も買わない。じっと家に居るだけだから、生産もしなければ消費もしない。これではGDPが上がる訳は無い。

 人間はそんなことを繰り返してきた。いい時もあれば悪い時もある。子どもを産めと言う人もいるが、それは当人の問題で、どんな社会になっても、みんなが幸せに暮らせる仕組みを作るのは政治の責任である。明日もまだまだ掃除は続く。頑張らなくては。

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市町村議会はどうあるべきなのか

2024年12月26日 17時33分16秒 | Weblog

 懐かしい人から、「念願の本を出版した」と連絡をもらった。彼と最初に出会ったのは、私が地域新聞を発行していた頃だと思う。その頃、彼は読売新聞の記者で、この地方を担当していた。

 大手の新聞社から見れば、地域新聞など紙屑のようなものだっただろう。私が議会を傍聴していた時、中日新聞の記者に「オイ、どけ。ここは記者席だぞ」と怒鳴られたことがあった。「私も記者です」と言えずに、黙って退いた。

 大新聞の記者は、取材してやっているという態度の人が多かった。けれど、読売新聞の彼は、大人しくフレンドリーな印象だった。そんな彼と次に会ったのは、私が町会議員だった時だ。

 彼が市議会議員に立候補したいというので、私たちが行っていた勉強会『無党派・市民派 自治ネット』に参加して来た。東海地方の議員が何人か集まって、それぞれの課題をみんなで話し合う、そんな勉強会だった。当時の仲間で今も活躍しているのは、彼と瀬戸市議の臼井淳君だけになってしまった。

 彼とは松阪市の市議で、6期21年目になる海住恒幸君である。議会を傍聴したことのある人は、まるで国会の小型版かと思われるだろう。どこの市町村議会も大して変わりないほど似ている。中には形だけの議会もある。

 彼が著した『議員も知らない?議会の深層・真相』(あらま出版)は、議会はどうあるべきなのかを訴えた渾身の1冊である。議会は、議員同士が熱い討論を交わして、住んでいる市町の住民の声を行政に活かす機関でなくてはならない。

 それには、議員が諦めずに求め続けることが大事であり、市民の応援が必要である。さすがに記者していただけあってとても読みやすい。政治に興味の無いカミさんにも、「よく分かるワ」と受けがいい。

 議会や行政に興味のある人、いや私たちの生活そのものに関心のある人、ぜひ手にして読んで欲しいと思う。もうそろそろ、次の時代へと向かっていく頃だから。

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評価してくれる人に出逢えた

2024年12月25日 17時36分24秒 | Weblog

 我が家には、抹茶の茶碗がたくさんある。抹茶を入れる壺やぐい飲みの茶碗などを含めると、かなりの数になる。飾り棚に並べて、来た人が興味を抱くように陳列してある。興味を持った人は、「どなたの作品ですか?」と作家名を知りたがる。

 これらの作品の作家は、カミさんの父親である。義父は趣味の多い人で、陶芸の他に書道や盆栽などにも秀でていた。頼まれて、高校の卒業証書に生徒の名前を書いていた。もともとは警察官で、たまたま常滑署に勤務した時に出逢った陶芸家に、手ほどきを受けたことから、陶芸の道に導かれたようだ。

 退職後は家の庭にガス窯を作り、楽焼に邁進していた。私は義父から、抹茶茶碗の面白さを随分聞かされたのに、余り覚えていないが、茶碗の見方は何となく分かった。カミさんも一時期、抹茶教室に通っていたから、茶道の道具は残っているけれど、娘たちは興味が無いようだ。

 せっかくの茶碗が日の目を見ないのは可哀想で、何とかしたいと思っていた。地域新聞の昔から世話になっている文具店に行った時、主人が「お抹茶を飲んでいかんかね」と声をかけてくれた。抹茶の良さに魅かれて、夫婦で京都まで出掛けたと話す。この夫婦なら義父の茶碗の良さを分かってくれると思い、今日、持って行って来た。

 「クリスマスのプレゼント」と笑って渡す。茶碗を眺め、手に持って、「素敵ですね」とカミさんが言ってくれた。主人も「頂いてもいいかね」と言う。「よかった。お父さん、褒めてもらったよ」と心で呟く。どんなに立派な作品でも、認めてもらえなければ意味が無い。

 我が家に置いてあっても、ただの飾りものでしかない。興味があって、欲しいという人にもらっていただかなければ、価値が無くなってしまう。人も皆、そうかも知れない。自分を評価してくれる人に出逢えば、ますます頑張れる。だから逆に、良いところを見つけて褒める人になることだろう。抹茶茶碗に興味のある人はぜひ、我が家へ来て見て欲しい。

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キリストの教えが蘇ると期待したい

2024年12月24日 17時33分24秒 | Weblog

 今日の高齢者認知機能検査は70点くらいはあったと思う。先回もそうだったけれど、4枚の絵を4回見せられて、別の話を聞いた後で、何があったか思い出して書いてくださいと言われてもなかなか出てこない。次の問題はヒントが書かれたから、ああそうだったと思い出すことが出来た。

 試験を受ける前、隣の男性と話した。彼は「近頃、物忘れが多い。免許証の返納も考えたけど、やっぱり病院に行くのに必要なので」と言う。彼は「車に乗るのは週に2回くらいだから、技能も心配だ」とも言う。「この講習も、警察としては、返納を促したいからだろう」。講習を受けている最中に、何度も「机の上に物は出さない」と注意される人がいた。

 緊張感から解放されて街に出たけれど、クリスマスイヴだという雰囲気は無かった。大型スパーに入っても、『ジングルベル』は流れていなかった。景気が良くないための自粛なのか、宗教に偏ると批判されるのだろうか。何か淋しい気がしてならない。我が家はキリスト教徒では無いが、今晩はワインで乾杯する。

 今ふと、『ジングルベル』は讃美歌だったかと思った。「きいよし この夜」と『聖夜』を歌ったが、『ジングルベル』は街中に溢れていたのに、歌った覚えが無い。「ジングルベル」はサンタクロースがトナカイのソリでやって来るという歌だが、サンタクロースって何者なんだろう。

 イエス・キリストはエルサレムの近郊、ベツレヘムの馬小屋で生まれた。キリストの誕生で人々は救われる約束だから、喜んでお祝いするのは理解できるが、サンタクロースはキリスト教徒らしいが、子どもにばかりプレゼントするのはどういう訳なのだろう。キリストが生まれて2千年以上経っているのに、誕生の地はズーと争いが絶えない。

 天上のキリストもきっと、歯ぎしりしていることだろう。せっかく、「隣りの人を愛しなさい」と教えたのに、なぜ理解しないのかと悩んでいるかも知れない。キリストの言葉はどれも、人が生きていく道を示しているのに、人は全く背いている。トランプさんも石破さんもキリスト教徒だから、キリストの教えが蘇ると期待したい。

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まあ、何とかなるだろう

2024年12月23日 17時37分40秒 | Weblog

 年末ジャンボ宝くじのテレビコマーシャルが終わった。あれを観ていると、自分も当たるような気がしてしまう。当たったらどうしようかと、思い巡らして購入するのだろう。私もスパーマーケットに行った時、買うようにしている。

 先日、販売の締め切りが近づいているというコマーシャルを観て、じゃー行って来るかと出かけて行った。窓口で、溜まっていた宝くじを見せて調べてもらった。すると、「こちらは支払期限が切れていますので、お返ししますね」と言われてしまった。

 せっかく買ったのに、当選日に調べたことが無い。当たったら、どうしようかと夢を見たことも無い。宝くじは、その売り上げが国の収入になるから、国に貢献することになると勝手な理屈をつけて満足している。

 テレビで、財産を残して亡くなる高齢者のことを取り上げていた。身寄りが無い高齢者が残した財産は、国が受け取ることになるという。その金額は何十億円とあり、年々増えているそうだ。死んで国のためになるなら、結構なことでは無いか。

 高齢者のために、国は税金を使い過ぎていると批判があるが、こうして国に貢献する高齢者もいる。私も宝くじを買うことで、幾分でも国のために役立っていると自負している。「宝くじで1千万円当たったら、孫に1百万円のお年玉を」と話す年寄りがいた。

 年寄りが正月を迎えるの準備と言えば、孫のお年玉である。我が家もお年玉を用意しなくてはならない孫がふたり、曾孫もふたりいる。既に袋が用意され、「お金はあなたネ」と指示されている。「大丈夫。宝くじが当たったら、いくらでも出せるから」と心の中で呟く。

 明日はクリスマスイヴだが、私は認知機能検査を受けるため、西枇杷島警察署へ9時までにいかなくてはならない。検査のことは心配だが、それよりも警察署の駐車場は狭いので、早めに行かないといけない。

 風が無くて、寒さも厳しくなければ、電車で行く方法もある。でも「車で行くのが無難かな」と言うと、カミさんが「私も一緒に行こうか」と言ってくれるが、その方が心配になる。まあ、何とかなるだろう。

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全国高校駅伝を観ながら涙する

2024年12月22日 17時41分53秒 | Weblog

 全国高校駅伝を観て、また泣いてしまった。当たり前だけれど、選手はみんな必死だ。その懸命さがなぜか涙を誘う。スポーツはどんな競技でも、選手は必死に頑張っている。プロスポーツはそれが仕事というか、それで収入になるのだからと思い、そんなに心を揺さぶられることがないが、高校生の頑張りはなぜか涙が滲んで来る。

 タスキが余裕を持って渡される時は安心して観ているのに、競い合ってゴールに向かってくるとハラハラしてしまう。抜いた方も、抜かれた方も、一生懸命なのだから順位を付けなくてもとまでも思ってしまう。なのに頑張って何人かを抜いていく選手に、思わずガンバレと応援している。

 抜かれた選手が身体を折り曲げて泣いている姿が映し出されると、よく頑張ったよと励ましたくなる。毎年のことながら、この全国大会の頃は北風が強く寒いのに本当に高校生は頑張っている。中学時代に長距離を走ったことの無い選手もいるようだから、今日の走りは一生の思い出になることだろう。

 私は50メートルから100メートルまでは、早く走ることが出来たが、距離が長くなると全くダメだった。中学、高校と学年でトップの成績だった女の子は高校の時、校外を周る3キロ走でいつも1番だった。150センチも無い小さな子で、どこにそんなスタミナがあったのだろう。一度尋ねてみたいと思っていた。

 高校生の走りを観ていて、あの子は体力が無くても根性があったのだと痛感した。私は陸上部の友だちに、長距離を走るコツを教えてもらって挑戦してみたが全くダメだった。でも、あの子は3年間も1位を維持し、勉強もよく出来て、東大へ行くと思われていた。けれど、お茶の水女子大に進学したので、その理由も聞いてみたかった。

 高校駅伝の選手のように、あの子はひたすら努力を積み重ねていたのかも知れない。何の目標も無く、フワフワと毎日を送ってきた私とは大違いだと今なら分かる。ひたすら努力出来る人と、夢みたいなことを追い駆けている人の違いである。でも、駅伝を観ながら涙することの出来る自分もいいなと思う。

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とにかく一生懸命に生きていこう

2024年12月21日 18時27分16秒 | Weblog

 冬至の今朝、カミさんは大忙しだ。「もう使わない」「もう着ない」、けど、捨てるにはもったいないと、貯めてあった品々を引っ張り出して、「ウーン」と考えている。カミさんが年末に向けて働いているのに、私だけサボる訳にはいかない。

 以前から頼まれていたトイレと風呂場と洗面所の、換気扇を掃除する。後、何年、こうして掃除が出来るのだろうと思うとちょっと心細い。カミさんのバイタリティーに背中を押され、何とか今日は頑張ることが出来た。

 我が家はふたり暮しだから、ぶつかることはあっても、日々は過ぎていく。けれど、一人暮らしの人は、誰とも話さず、毎日どう過ごしているのだろう。北九州市の事件も、千葉県柏市の事件も、加害者は一人暮らしだった。

 素敵な言葉を見つけた。『「会いたい」がずっと続くのは愛です。会うと一瞬で満たされるのは愛です。「またね」の後、すぐ寂しくなるのは愛です。いつも、いつでも、声が聴きたくなるのは愛です。どこが好きなのか言葉にできないのは愛です。「自分より大切」と思うことは愛です。どこで何していても心にいる人は愛です。』

 一人暮らしの人が増え、イライラをどこにもぶつけることが出来なくて、いたたまれない気持ちなのだろうか。「行政に何とかしろ」では無くて、私たち自身の共同生活の問題なのかも知れない。じゃあー、どうすればよいのか、答えが見えない。

 「恋とは相手の長所を見ること。愛とは相手の短所を許すこと。この2つが相まって、初めて恋愛という」。こんな見解も見つけたが、だからって何と問われると答えに詰まる。まあ―、とにかく一生懸命に生きていきましょう。

 カミさんは玄関の飾りを、クリスマス気分に変えた。

 

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自らを制することは困難だから

2024年12月20日 17時44分51秒 | Weblog

 読売新聞のトップ、渡辺恒雄氏が亡くなった。98歳とあるから長生きした人である。どんな人なのかと思って略歴を見て、その移り変わりに何故か納得した。渡辺氏は1926年の生まれだから、戦争と戦後を生き抜いてきた人である。

 東大に入学したが招集され、僅かな期間だったが軍隊の経験もある。この頃の少年は軍国少年が多いのに、彼は愛国教育を勧める校長を仲間で闇討ちしているからビックリする。すぐに終戦となり東大に復学し、日本共産党に入党した。

 渡辺氏は学生たちに、共産党への入党を勧める活動を盛んに行った。しかし、共産党に自由が無いことを知り、離党する。新聞記者になろうと、朝日新聞を受けるが不合格となり、読売新聞に採用され、政治記者として歩むことになった。

 政界の黒幕とか妖怪とか言われる、新聞記者になっていったのは渡辺氏の資質なのだろう。それにしても、自分が若い頃は否定していた「保守」に、どっぷりと身を置けた「変節」には驚く。でも、考えてみれば、人は皆そうして生きて来た。

 60年安保や70年安保、歴史がひっくり返るような時代に「保守政治の打倒」を叫んでいた若者たちも実社会に出て、社会の変革よりも自らの生活の安定を望んだ。それでも、「男女平等」や「同一労働、同一賃金」を実現してきた。

 渡辺氏は読売新聞で、「憲法改正」や「自衛のために軍隊を持つ」と主張しているから、青年時代の夢はいったいどこへやってしまったのだろう。読売新聞の政治部長を長く勤め、一目置かれる存在になり、政界も彼を重宝するようになり、ますます君臨していく。

 権力の座に長く留まってはならない。どんなに立派な人も、長く権力を握り続けると必ず腐る。これはどうやら人間の本性だろう。政治の世界は顕著だが、どんな業界でも同じなのかも知れない。自らを制することは困難だから、周りから言えることが大切になる。

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伊吹山から吹き降ろす風が冷たい

2024年12月19日 18時19分47秒 | Weblog

 ホンダと日産が合併に向けて協議を開始するという。資本主義経済の中で生き残るための秘策のようだ。この2社に三菱自動車が加わると、世界第3位の売り上げになるという。私が最初に車を買ったのは、ホンダの軽だった。以来、ホンダ車を乗り継いできた。

 それは1番手を買うよりも、2番手や3番手を購入して、寄り健全な競争社会に貢献したいという私の信念からだ。もともと日産は政府の後ろ盾があって出発した企業なので、個人事業からのし上がったホンダを応援したかった。

 私は愛知工業高校のデザイン科に勤めていたが、男子生徒の憧れはトヨタ自動車に就職し、車のデザインに携わることだった。絵が描けて、成績も優秀でなければ採用されないから、みんな必死で勉強していた。

 ホンダの創業者、本田宗一郎氏の言葉がFacebookに載っていた。「いいものをつくるにはいいものを見ろ」が口癖だったとある。「つくり手は、人が欲しいものはこういうものだということが分からなければダメだ。自分の想いが高ければ、よいものができる」と。

 そうやってホンダは成長してきたのだ。しかし今、自動車業界は大きな分岐点にある。私たちの時代は、「いつかはクラウン」のコマーシャルにあったように、普通車から高級車を望むようになっていた。けれど、車の位置づけが変わって来た。

 先進国の人口は減少し、環境への配慮はいっそう求められる。一方で、世界中の人々の生活は均一化してきているが、地球環境の変化は著しく、このまま人間は生き続けられるのかも分からない。

 日本で不可解な殺人事件が続いているのも気になる。北九州市のマクドナルドで起きた殺人事件の犯人は逮捕された。近くに住む43歳のひとり暮しの無職の男だった。千葉県柏市では50代の夫婦が殺傷され、少し離れた場所では8棟を焼く火事が起きている。

 こんな事件ばかりが報道され、どうなっているのかと行先が不安になる。伊吹山から吹き降ろす風が冷たい。今夜も、寒さはいっそう厳しくなるという。

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