友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人は人と話せば心休まる

2025年02月28日 17時58分15秒 | Weblog

 出生数が9年連続で減少しているそうだ。このままでは、学校は空き教室が増え、統廃合が進むことになるという。子どもの数が少ないことは、働く人が少なくなる訳だから、売り手市場というものの、ひとりで3倍働かなくてはならなくなるそうだ。

 人口減少でも街は維持していかなくてはならないから、行政の負担は大きくなる。生産し経済活動を支えるために、ますます都市への一極集中となっていくだろう。生き残っていくためには、それしかないのだろう。

 人がどういう選択をするのか、私には分からないが、どんなに頭では理解しても理屈だけでは動かないのは人の常である。中には明治以前のように、農耕や狩猟で自給自足の生活を始めるかも知れない。

 カミさんはまだ時々咳き込むが、隔離されたような生活に息が詰まるのか、午後から友だちとのミーティングに出かけて行った。「おしゃべりしていた3時間は全く咳が出なかった」と言う。人に会って、話し合うことが、カミさんにはよい治療なのかも知れない。

 人に何週間も会わなくても平気でいられる人もいれば、それが苦痛になってくる人もいる。いろんなタイプの人が居るから、社会は上手くいくのかも知れない。それにしても、トランプ大統領の豹変ぶりに、開いた口も塞がらない。

 ウクライナのゼレンスキー大統領を独裁者と呼んでいたのに、「そんなこと、言ったか」と開き直っている。トランプ大統領にとっては、停戦を実現し、歴史に残る人物と評価されることだけが関心なのかも知れない。

 世界から戦争を無くすことは尊い。その点で、トランプ大統領に期待するけれど、果たしてその結果はどうなるのだろう。戦争が無くなれば、世界の人口は増えるから、地球は増えた人口を維持できるのかと逆の不安もある。

 人が人と話して心休まるのであれば、こんな素敵なことは無い。トランプとゼレンスキーがそういうタイプの人であって欲しいと願う。

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運転免許証を継続するか返納するか

2025年02月27日 18時09分03秒 | Weblog

 自動車学校での高齢者技能講習は一応終わった。運転技能の講習と視力検査が行われたが、視力は0.7以上なければならないのに、0.5しかない。「そのメガネは何時から使っているの?」と聞かれても思い出せないくらい前のものだ。

 「免許の更新の前に、メガネを買わないと受からんよ」と、注意された。夜間視力の検査は全く出来なかったので、「夜間の運転は控えた方がいい」とも言われた。夜間に運転することはまずないが、昼間は運転することはあるので、眼科で一度検査してもらい、メガネを新調しなくてはならない。

 運転技能は衰えてはいないつもりだったが、「どこを走っているの」とか、教習車と出会った時、「先に行かせるのか、自分が行くのか、はっきりさせないとダメだ」と叱られた。教習場のラインは3車線あり、「真っ直ぐ」と言われてもよく分からなかった。

 一般道ならセンターラインはハッキリしているが、教習場の道は分かりにくい。慣れない車だから、アクセルの効きもブレーキの効きもすぐには体得できない。指導員に叱られながらも、何とか終わった。どこかでゆっくり、コーヒーでも飲みたかった。

 せっかく出て来たんだから、トイレのスイッチを買って取り替えようと思い立ち、「NPOおたすけ」で工具や部品を買っていた大きなセンターに立ち寄った。気になっていたボールペンやマジックペンも何本か買った。カミさんも隣りのスパーマーケットで、「安かったから」と野菜を買い込んで来た。

 家に帰ると卒業生から留守電が入っていた。電話すると、「特に用事は無いけど、どうしているかなって」と言う。気にかけてくれてありがとう。高齢者講習に行って来た話をすると、「先生もそろそろ返納した方がいいよ」と言われてしまった。

 警察署では、「出来れば、返納を」と勧められたが、自動車学校では、「次回も当校で受けてください。それまでぜひ、お元気で」と言われ、なるほど自動車学校は存続の危機にあることが分かった。

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脳の劣化を防ぐ幻想に陥る

2025年02月26日 18時39分21秒 | Weblog

 北の部屋のエアコンは普通に機能しているのに、スイッチを切ると、コトコトと音がして異常を伝えるサインが出る。トイレのスイッチもオン・オフが上手く作動しない。どうも経年劣化の現象のようだ。

 そう言えば、マンションの友だちも「歳を取ったから、あっちこっちダメになって来た」と、身体の不調を嘆いていた。彼は恰幅のいい人で、いつもゴルフに出かけていた。カミさんもとても元気な人だったのに、今では小さくなって杖なしでは歩けない。

 その彼が、「医者から手術を勧められているんだが、この人を放っておくわけにはいかないから悩んでいる」と言う。「施設に入ってもらう手はあるが、自分が傍に居ないと、一気に衰えてしまうのではないか」と心配している。

 私のカミさんは相変わらず咳き込んでいるが、「熱は無いし、喉が痛いくらいで元気だから心配ない」と、自分を叱咤激励している。「病は気から」とは言うが、気持ちだけでは病気は治らない。医師の指示に従う他に手立ては無い。

 自民、公明、維新の3党首が会談し、高校教育の無償化などで合意した。これで来年度予算案の成立は現実のものになった。国民の負担が軽減される政策はいいけれど、無償化で本当に良いのだろうかと不安になる。

 大学の法人化は、大学に切磋琢磨させるというものだったが、予算が削られ研究できない大学が生まれている。高校教育の無償化で、誰でも好きな高校へ通えると言うが、国の意向に沿わない高校を締め出すことにならないかと思う。

 ドイツの選挙結果をみても、どこの国も自分ファーストの国民が増えている気がする。その上、国家のトップが自国ファーストを全面に打ち出したら、「国のための国民」になってしまうだろう。ロシアやウクライナの轍を踏むことになるだろう。

 国にも経年劣化は起きるのだろうか。私には分からないことばかりだ。でも、どうしようもないことをクヨクヨと考えていると、脳の劣化を防ぐことが出来るような幻想に陥る。さて、明日は夫婦揃って自動車学校での技能実習の日、楽しみにしている。

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世の中は丸く収まるだろう

2025年02月25日 18時04分24秒 | Weblog

 風も無く、春が来たかのような暖かな日だった。小学校の運動場からは、元気に動き回る子どもたちの声が聞こえる。なのによく見ると、校外で3人の子が遊んでた。男の子が2人、女の子がひとり、3年生か4年生にみえる。

 咳が止まらないカミさんは、かかりつけのクリニックを受診したが、「もっと大きい病院で検査してもらって」と言われ、今朝、私が運転して近くの大きい病院に連れて行った。その行き帰りに、朝の3人を見かけた。今日は休校では無いのにと不思議に思った。

 あの子たちが向かう方向を見て、気が付いた。あの子たちは学校に馴染め無い子たちを預かる、支援学級へ行くのだろう。無邪気にじゃれ合っているのに、不登校児童のようだ。全国で学校へ行けない子どもが増えているという。

 親も無理に行かせる必要は無いと考えているし、先生たちも手が回らないからそうした受け皿があれば助かる。けど何か、歪な世界になってきた気がする。いったいこれからどうなってしまうのかと、どうすることも出来ないことを心配してしまう。

 カミさんの検査が終わって、病院に迎えに行った。「お昼だから、どこでランチにする?」と尋ねたが、カミさんのおすすめの店に魅力を感じなかった。結局、いつものイタリアンでオムレツになった。

 隣りの席の女性の会話が聞こえてくる。「こうして欲しいのに、絶対しないのよ」とか、「どうして感謝しないのだろう」とか、夫の愚痴を言い合っている。じゃー、あなたはやって欲しいことをしているの?いつも感謝しているの?言ってやりたくなった。

 人に求めることはあっても、自分から奉仕することは無い。それが出来るのは、聖人だけだろう。自らの卑劣さ、自分の無力さ、それに気が付くことが出来るなら、世の中は丸く収まるだろう。朝、見かけた、あの子たちはどうしているのだろう。

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好き合って結婚した男女でも

2025年02月24日 17時54分43秒 | Weblog

 次女一家と孫娘ら総勢6人が、午前中で帰って行ったので、ブログに取り組む時間が出来た。1月に来られなかった次女の小4の娘に「お年玉」を渡すと、「大好きなパパちゃんへ」とバレンタインチョコが返ってきた。

 小4の孫娘はひときわ大きくなっていた。長女の上の娘の子どもたちの世話が嬉しくて仕方ないようで、一緒に風呂に入ったり、ゲームに付き合ったりしていた。曾孫のふたりは男の子だがおとなしく、小4の孫娘を保育園の先生のように慕っていた。

 小4の孫娘が、病床にあるダンナの父とスマホで話しているのを、傍で聞いていて涙が溢れてきた。孫娘が英語のコンテストで優勝したことを称え、「もっともっと上を目指せる力を持っている。私の生きる力になっている」と話す。

 ダンナの父は決して、他の子と比較したり、孫娘の足りないところを注意したりしない。あるがままを受け入れ、さらに励ますことに徹している。なのに私はダンナに、「カミさんや娘となると、不満が前面に出てしまう」と零す。

 私は次女のダンナと、酒を酌み交わしながら話がしたかった。ダンナの父親は病で倒れ、母親はその看病に明け暮れている。時々は顔を出してあげて欲しいと話した。それから、我がままで頑固な次女で申し訳無いけど、よろしく頼むと伝えた。

 どんなに好き合って結婚した男女でも、考えることまでは一致しない。別人格なのだから当然なのに、どうして分からないのかと、相手に非があると思ってしまうのだろう。『菜食主義者』や金原ひとみさんの『ミーツ・ザ・ワールド』を読んでいたからか。 

 娘や孫娘から、「無事に家に着いたよ」とラインが届いた。今朝は少し雪が舞っていたので心配だったが、天候も良くなって安心した。我が家の玄関の靴箱の上を雛祭り風に変えた。3月3日まではこのスタイルでいこう。

 

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受け入れ先の無い患者はどうするのだろう

2025年02月21日 18時06分29秒 | Weblog

 青森県八戸市の「みちのく記念病院」の事件で、思い出したことがある。岡崎市民病院から、兄貴が入院したと電話があった。兄貴は材木屋を経営していたが、借金を作って破産し、離婚して音信不通となっていた。

 その人は、「奥さんに連絡を取ったが、弟に連絡して欲しいと言うのでかけさせてもらった」と言う。姉さんも兄貴には苦労させられたから当然だろう。私はすぐに岡崎市民病院に駆け付けた。点滴を受け、身動き出来ない状態だった。

 それから何日かすると、市民病院では世話が出来無いので、豊明の病院に移転させると連絡が入った。その病院は精神科病院で、私の子どもの頃はキチガイ病院で知られていた。小高い場所に寂しく建っていた。

 どうしてこの病院だったのかと思ったが、何度か見舞いに通って分かった。鉄格子のある病室、働く看護師さんも僅かで、主に世話をしてくれていたのは、看護師の下で働くおばさんたちだった。兄貴は口も利けず、ただ、「ウー、ウー」と唸るだけだった。

 私は病院見舞いの慣例に従い、受付の事務所と世話をしてくれるおばさんたちに手土産を持って行った。おばさんは「手のかからない、いい人ですよ」と言う。「迷惑ばかりかけてきたからねえー」と私は冗談のつもりだったが、兄貴の目から涙が流れた。

 病院にどのくらい通ったか覚えが無いが、ここで最期を迎えた。その間、一度も担当医に会ったことが無い。そもそも医師を見かけたことも無い。どこにも行くところの無い患者を、受け入れてくれるだけでありがたい病院だった。

 「みちのく記念病院」がどういう病院で、なぜ問題になっているのか分からないが、日本の各地に、受け入れ先の無い患者を引き受けてくれる病院があるようだ。病院に入院出来ても、長期の入院は出来無いから、そういう患者は行先に苦労している。

 カミさんはまだ時々咳き込むが、元気は取り戻したようだ。次女一家が来る前に、ガス・水道・電気の他、寝具の用意も出来た。私は花を買って来て、玄関と居間に飾った。明日から24日まで、ブログを休ませていただきます。

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大阪万博に行くことも出来るだろう

2025年02月20日 18時11分08秒 | Weblog

 今朝の朝日新聞の1面に、大阪万博で展示される人間型ロボットの写真が載っていた。下の写真は読売新聞のもので、中央の男性はロボット研究家の石黒・大阪大学大学院教授と紹介されていた。

 アンドロイドは私たちの子どもの頃、鉄腕アトムで登場したが、いよいよ本物が出来上がったようだ。ただ、写真で見ると、何か不気味で怖く、アトムのような親しみが感じられないのはどうしてなのだろう。

 後7年後には、宇宙の小惑星が地球に衝突すると言われている。これで地球も大爆発を起こして消滅するのかと思ったら、地表に小さな焦げ目が出来る程度らしい。地球に衝突する前に、核ミサイルで撃ち落とすかも知れない。

 えっそれで、地球に何も影響ないのだろうかと心配し、その時、私は生きていないかも知れないのにと笑えて来た。ところで、アメリカのトランプ大統領は、世界の戦争を終了させた史上初の人と称賛されるのだろうか。

 パレスチナに続いて、ウクライナとロシアの戦争終結を宣言している。ウクライナのゼレンスキー大統領が「ウクライナ抜きの交渉は認めない」と非難すると、トランプ大統領は「ゼレンスキーは独裁者だ」と決めつける。

 ゼレンスキー氏が大統領になっていく映画(?)を観たが、なぜロシアと話し合わなかったのだろう。プーチン氏もゼレンスキー氏も、価値観と言うか世界観が似ている気がする。トランプ大統領は世界史に名を残すことに賭けている。

 男の名誉欲には限りが無い。手に入れると、さらに求めてしまう。それにしても、世界が一致して、地球に向かって来る小惑星に対処できるのだろうか。アンドロイドは地球のために、何かしてくれるのだろうか。

 カミさんは元気を取り戻した。睡眠が回復力の源泉だった。大阪万博に行くことも出来るだろう。前回の大阪万博に高校生を連れて行ったが、その時の写真があるか探してみよう。

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雲行きは怪しく、現実は厳しい

2025年02月19日 17時48分05秒 | Weblog

 南の空は青く明るいが、西の空は白くその上を黒い雲が被って来ている。明日からまた寒くなり、場所によっては雪が降ると言う。今週末に兵庫県からやって来る次女一家のことが心配だ。車でなく、新幹線で来てくれればいいが、あの子たちの都合もあるだろう。

 でも、一番の心配はカミさんの体調不良である。普通に食べているし熱も無いけれど、咳き込みはますます激しくなっている。「病は気からと言うじゃーない。気合が足りないのよ」と力んで、また咳き込んでいる。気合で病気が治るなら、病院は要らないのに困ったものだ。

 カミさんは滅多に病気しないが、昨年はインフルに罹った。若い時から、スポーツで汗をかくことが好きだったからか、自分が高齢になってきていることを忘れて、ゴルフに出かけたり、身体つくりのためにジムにも通ったりしている。

 高齢者の増加は、このマンションでも目立っている。以前なら、高齢になれば暗黙の了解で、役は免除されていた。しかし今、会議に出席し回覧板を回したりする組長は、身体的に無理でなければ引き受けてもらっている。

 問題はその組長たちの中から選ぶ、自治会役員の引き受け手が少なくなっていることだ。組長は輪番で行っているので、役員も輪番制を取っているが成り手が無いらしい。行事が多すぎるのか、その準備に手間がかかるのか、その検討が必要だろう。

 私がマンションに入居したのは30代だった。当初の役員は30代後半から40代だった。その先輩たちは60年安保の経験者で、マンションを自ら治める理想郷にと夢を描いていた。先輩たちに連れて行かれた飲み屋で、そんな話を熱く何度も聞かされた。

 理想と現実はいつもすれ違う。完璧などあるはずは無いのだから、現実をどう理想に近づけていくかだ。いや、理想そのものもみんなで語り合わなければ、押し付けになってしまう。久しぶりに次女たちに会えると思ったが、雲行きが怪しい。現実は厳しいのだ。

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元気な姿で迎えてやって欲しい

2025年02月18日 17時05分59秒 | Weblog

 令和の米騒動が話題になっている。我が家は生協から米を買っているが、「値段が上がっているわよ」とカミさんが教えてくれた。「スーパーの売り場に、お米が置いて無い時もある」とも言う。カミさんは新聞折込のチラシを見て、「1円でも安い店に行く」と涙ぐましい努力をしている。

 ところが日曜日辺りから咳き込みが酷くなり、月曜日の夕方、とうとうクリニックに出かけて行った。「コロナでもインフルでも無かった」と言うが、「いつも、あの病院の薬を飲むと眠くなる」と愚痴なのか弁解を呟きながら、昨夜もうたた寝が始まった。

 食事をするといつも、どんなテレビを観ていても必ずうたた寝している。それが体調不良の原因かも知れない。ひざ掛けを何重にも巻いて、目が覚めたら布団に入るようにと勧める。昨夜はやはり体調がよくないのか、素直に従ったが、日頃だと「テレビを観ている」と言い張る。

 節約家のカミさんは、私がエアコンの設定温度を23度にすると、「寒いなら何か着たら」と促し、温度を下げてしまう。暗い所で調理のは危ないし、料理も美味しくできないと思い、手元の蛍光灯を点けるがすぐに切ってしまう。

 「私が一生懸命に努力しているのを、あなたは知らない」と怒るので、この頃は逆らわないようにしている。スーパーで安い物を見つければ、どんなに重くても買って来るから、私は頭が上がらない。

 物知りの先輩が、「農家はいくら作っても潤わない。JAが農家を下請け扱いし、農産物を買い上げる代わりに、肥料や農薬を売り、あげくに金融で稼いでいる」と言っていた。近頃は消費者と直接取引する農家もあるようだから、JAも生き残りを模索していることだろう。

 とにかく今は、安静にして回復に努めて欲しい。料理も洗濯も苦にはならないが、カミさんがいなければこの家は回って行かない。今週末には、兵庫県に引っ越した次女一家がやって来る。元気な姿で迎えてやって欲しい。

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美の基準は人それぞれ

2025年02月17日 18時12分08秒 | Weblog

 人は自分と異なる人を、なぜか遠ざけようとする。イジメはそのひとつだと思うが、イジメられている側には深い傷が残るのに、イジメている側はその意識すら薄い。自分と違うものを受け入れないのは、人間の長い集団生活から生まれたのだろう。

 先日、NHKBSで『ジェナの世界』を観た。ドキュメンタリーなのだろうが、創作的な感じもした。『菜食主義者』を読んでいた時だったので、肉を食べない義理の妹をモデルに、動画の制作に没頭する男性が思い浮かんだからだろう。

 その男性は自称芸術家で、動画の作成に携わっている。義理の妹の身体に蒙古斑があるのを知って、裸の身体に花の絵を描くことを思いつく。そして自分の身体にも花の絵を描かせて、妹と交わる動画を制作する。

 異様な行動だが、花が咲き乱れる怪しく優雅で崇高な動画が出来上がる。他人から見たなら、エロ動画としか思えないだろう。しかもその動画を、夫を理解していたつもりの妻が見てしまい、理解していたものは何だったのかと、小説では悔やんでいる。

 『ジェナの世界』はロシアの極東で生まれ、祖父と祖母に育てられた青年が、自分が他人と違うと意識し、美術の世界に進もうとモスクワにやって来る。祖父は「学歴が人生を豊かにする。働いて報酬を得れば何でも出来る」と諭すが、耳を貸さない。

 彼は坊主頭で眉も剃り、裸同然の格好で街を歩く。「なりたい自分でいる」ことに固執する。自分らしく生きるために、スカートをはいてハイヒールを履き、街を闊歩する。社会主義国ロシアで許される表現ではなく、反政府主義者と目を付けられる。

 彼は「自由な表現を抑えつける外界と戦う」と、フランスへ渡る。それからどうなったのか分からないが、ロシアにもこういう人が居ることを、あるいは居て欲しいとの願いを込めた作品なのだろう。

 美の基準は人それぞれである。今は花咲かなくても、次には咲くかも知れない。人と違うことをしなければ評価してもらえない。今はスマホひとつで動画を作成できる。表現の自由をどこに置くかである。カミさんが喉の痛みを訴えるのは、何の表現なのか。

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