友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

次女の世話好き

2008年05月09日 23時19分28秒 | Weblog
 「女房なんてものは空気のようなものですよ」と豪語する友だちがいる。目に見えないけれど、無ければ死んでしまうから、大事な存在だと言いたいのだろう。しかしまた、空気のように確認できない存在だというのであれば、それは女房殿に失礼な言い方のようにも思う。「かけがえのない」とか「世界で一番大事なもの」とか「命と代えても失いたくないもの」とか、そんな言い方のほうが感動的なはずだが、なかなか照れくさくて言えないのだろう。

 次女夫婦は子どもがいないこともあって、いつでも行動は二人一緒だ。そして次女は私以上に世話焼きである。ダンナの服装から行動まで、細かく世話をする。手を洗いなさい。汚れた足で歩かない。下着は替えたの?ケイタイは電池切れになっていない?タバコは何本吸ったの?よく眠れた?眠れないのは夜更かしするからだよ。顔に湿疹ができるのは飲みすぎの証拠だからね。お風呂に入らないとお布団が汚れるよ。

 「子どもじゃないんだから、そんなに細かくああせよこうせよと言わなくてもいいんじゃないか」と言えば、「パパの子どもですから」と言い返してくる。考えてみれば私もかなりつまらないくらい細かなことを子どもたちに言い聞かせてきた。食事が終わったら必ず歯磨きしなさいとか、寝る前におしっことか、食事の前にお菓子は食べないとか、実にくだらないことを要求してきた。子どもだったから、それらはつまらないことでも大切なことであったけれど、大人であるダンナは、そんなことをいちいち言われたのではたまらない気がする。

 次女はダンナが好きで好きで、何よりも大切に思っている。それはわかるけれど、あんなにも細かく世話をされたのでは、愛情の押し付けになってしまうのではないかと、私は心配してしまう。「よく、我慢できるね」と、娘婿に言ったことがある。彼は「それほどではないですから」と、私ほどは気にならないようだ。私ならとても耐えられず、反吐してしまうだろう。エライ奴だと感心した。

 結婚して10年の夫婦をテーマにしたテレビドラマ『スイートテン』はあれからどんな展開になったのだろう。春休みに孫娘と見ていたが、それっきりになってしまった。昔、石川達三の『48歳の抵抗』という小説が話題になった。父親の書棚に並んでいたことを覚えている。小説は男が主人公だが、男でも女でも、これでいいんだと思う人よりも、これでいいんだろうかと満たされない思いの人の方がきっと多いのだろう。

 夫婦であっても、愛し合っている男女であっても、完璧な状態が長く続くことはない。だから努力をするのだが、努力が報われなくなった時は危ないし、努力が空回りする時も危ない。男と女の間では、いや人と人の間では、愛情で満たされる時と愛情が枯渇する時は紙一重のような気がする。願わくば、愛されることを求めるよりは愛する人でありたい。報われることよりも尽くすことが献身であり、支えることは世話を焼くことではないと判って欲しいと思う。
コメント
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