わが市では、環境保護と資源保護の観点から、プラスティックゴミの分別に力を入れている。これまでは、燃えるゴミと燃えないゴミの2種類の袋に分けて出していたゴミだが、これにプラスティックゴミの袋が加わった。すると、燃えるゴミで出していた分量が極端に減った。今、燃えるゴミで出すもののほとんどは料理クズだ。それに比べてプラスティックゴミはすぐに袋に一杯になってしまう。ゴミは減ったのか?いやそうではなく3つに分かれたのだ。
私たちはたくさんのプラスティックとともに生活している。プラスティック容器は誠に種類が多い。ビンのようなものは比較的洗いやすいが、袋のようなものは中身を洗い出すのは大変めんどうな作業だ。しかし、行政からはキレイに洗って出すようにと指導されているから、多くの人がそれに従っている。今日のミーティングの時、その話で盛り上がった。
プラスティック容器の中身を「洗浄してもキレイにできない」とか、また容器の表面に印刷された紙が貼り付けてあり、「これがなかなか取れない」とか、「いや、紙はそのままでもいいのでは?」、「プラスティックの表面に印刷してあるものやコーティングしてあるものは?」、「じゃあ、アルミ箔が貼ってあるものはどうするの?」、「プラスティックに布が貼り付けてあるものもあるよ」など、いろいろ出た。
プラスティックに詳しい人がいて、「本当に分別する気なら、ペットボトルの収集のように、細かくやらなくてはダメだ。プラスティックといっても、ポリエチレンもあればポリプロピレン、ポリスチレン、塩化ビニルなど様々あるし、再生不可能なプラススティックだってある。ポリエチレンはポリエチレン、ポリプロピレンはポリプロピレンと分けて分別するのが一番いい方法だが、普通の人にはその区別はつかないでしょう」と言う。「えっ!じゃー何のためにプラスティックゴミを分別しているの?」と疑問の声が上がる。「細分化のための一歩かもしれないけど、今のままなら意味はないね」と彼は答える。
じゃあ何のために分別しているのだろう。これは私の推測だが、家庭で分別されたプラスティックゴミはゴミ焼却場で、燃料として使われているのではないだろうか。以前、ゴミ焼却場の職員が「生ゴミばかりでは焼却炉の温度が上がらないから、プラスティックゴミは燃料として役立っている」と話していたからだ。訳も分らないまま、家庭で分別させるより、行政はプラスティックの種類を制限した方がはるかに環境保全や資源保全になると思うのだけれど、どうして根本から見直そうとしないのだろう。
環境保全だとか資源保全だとか言っているうちに、地球そのものに人間が住めなくなりそうだ。水そして食糧の不足はすぐにでもやってくるだろう。それでも、それを金儲けの絶好の機会と考えている人たちがいるのだから、人間は恐ろしいし、愚かだ。
私たちはたくさんのプラスティックとともに生活している。プラスティック容器は誠に種類が多い。ビンのようなものは比較的洗いやすいが、袋のようなものは中身を洗い出すのは大変めんどうな作業だ。しかし、行政からはキレイに洗って出すようにと指導されているから、多くの人がそれに従っている。今日のミーティングの時、その話で盛り上がった。
プラスティック容器の中身を「洗浄してもキレイにできない」とか、また容器の表面に印刷された紙が貼り付けてあり、「これがなかなか取れない」とか、「いや、紙はそのままでもいいのでは?」、「プラスティックの表面に印刷してあるものやコーティングしてあるものは?」、「じゃあ、アルミ箔が貼ってあるものはどうするの?」、「プラスティックに布が貼り付けてあるものもあるよ」など、いろいろ出た。
プラスティックに詳しい人がいて、「本当に分別する気なら、ペットボトルの収集のように、細かくやらなくてはダメだ。プラスティックといっても、ポリエチレンもあればポリプロピレン、ポリスチレン、塩化ビニルなど様々あるし、再生不可能なプラススティックだってある。ポリエチレンはポリエチレン、ポリプロピレンはポリプロピレンと分けて分別するのが一番いい方法だが、普通の人にはその区別はつかないでしょう」と言う。「えっ!じゃー何のためにプラスティックゴミを分別しているの?」と疑問の声が上がる。「細分化のための一歩かもしれないけど、今のままなら意味はないね」と彼は答える。
じゃあ何のために分別しているのだろう。これは私の推測だが、家庭で分別されたプラスティックゴミはゴミ焼却場で、燃料として使われているのではないだろうか。以前、ゴミ焼却場の職員が「生ゴミばかりでは焼却炉の温度が上がらないから、プラスティックゴミは燃料として役立っている」と話していたからだ。訳も分らないまま、家庭で分別させるより、行政はプラスティックの種類を制限した方がはるかに環境保全や資源保全になると思うのだけれど、どうして根本から見直そうとしないのだろう。
環境保全だとか資源保全だとか言っているうちに、地球そのものに人間が住めなくなりそうだ。水そして食糧の不足はすぐにでもやってくるだろう。それでも、それを金儲けの絶好の機会と考えている人たちがいるのだから、人間は恐ろしいし、愚かだ。