友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

潔癖症の女たち

2008年05月30日 22時53分08秒 | Weblog
 バンコクへ帰った次女から義弟にマンゴーが送られてきた。お礼の電話を家族みんなで回した。私の番になったら、次女が孫娘のことを話し出した。それは「いつもパパのブログを読んでいるよ」という彼女なりのメッセージだった。「ありがとう。何かコメントは?」と聞くと、「姪っ子の話は読むけれど、パパの友だちの恋愛の話は読まないから」と言う。どれもこれもあなたのパパの話なのだから、そんなこと言わずに読んで欲しいといいたかったが言えなかった。

 私が始めて担任をした時の女の子から、「先生のブログ毎日読ませていただいています」とメールをもらった。いや失礼、彼女だってもう50歳にはなっているのだろうから女の子は適切でない。彼女の言い分は以下のとおりだ。

 「さて、ちょっとだけ言わせて下さい。先生のブログ人気ナンバー2らしい『恋人未満』の話は嫌いです。先生は中学生の時からの友達として彼を見ているから、とても真面目な性格の彼を知っているから称賛してらっしゃるし、事実でしょう。でも、彼の奥様は?一人の生身の人間ですよ。セラピストの様なしっかりした奥様も心のある女性です。別れたというブログの時は正直ホッとしました。これで奥様にも心の安泰が訪れると。セックスして無いから裏切って無いと思っているの?夫婦の繋がりは婚姻届だけ?お互いが支えあい、側に居るだけで安らげるのが夫婦でしょ。甘えるのもいい加減にしろと言いたい。自分のブログに書き連ねてらっしゃるって事は奥様公認?セラピストと祭り上げてそれで良しと思っているならホントにおめでたい方ですね。立場を逆に考えてみたら?男だから許されるなんて思っているなら紀元前の話。周囲に充分迷惑かけているのに12年も気が付いてないの?まあ、ある意味諦められているのかも。何故先生はこの件に関しては片方からしか見てないの?先生の周りの方からも意見が出ていますよね。半人前が生意気な事言ってごめんなさい。先生に嫌われちゃったかな………。」

 彼女も私の下の娘も非常によく似ている。潔癖症である。おそらく、道を外れた恋だの愛だのという小説は1行も読まなかっただろう。初めから人の道に反しているようなものに興味を抱くこと自体が道に外れていると考えているのだ。そういう彼女たちを私は立派だと思っている。そうした倫理観は彼女たち自らが教育して作り上げてきたもので、そこには強固な意志があり、価値観がある。

 私は高校生の時に大好きな女の子がいた。にもかかわらず、その子のほかに好きな女の子ができて、自分の罪深さを知った。もっと正直に言えば、プラトニックに好きになった女の子が二人もいたのに、SEXしたい女性もいた。もちろんそんなことはただの夢で、その頃読んでいたスタンダールの『赤と黒』の世界に自分を置いていたに過ぎない。けれども、ただひとりの人を愛さなくてはならないのに、他の人にも恋したことの罪深さにわが身を疑った。

 自分はなぜ完璧になれないのかと、以来ズーと自分を疑っている。確かに、彼女たちのような人間になることが一番よい道であろう。けれども、人はなかなか完璧に生きられないことも事実ではないだろうか。許しを請うしかない。
コメント
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