友々素敵

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市民自治をどう実現するか

2008年08月24日 22時02分48秒 | Weblog
 千葉県我孫子市の前市長、福嶋浩彦さんは改革派首長の中では、原理主義者といわれているそうだ。確かに福嶋さんは現在の日本の地方自治の実態に踏まえ、その中で市民主権を進めることが民主主義だと言い、特別なことを提案しているわけではない。会場からの質問の中で、年配の方が「現在の選挙制度が悪いのだから、国民がみんなで変えてしまわない限り、政権交代はない」と発言があったけれど、福嶋さんは「現憲法に違反して勝手にやることはできない。それが私の考えです」と発言している。

 福嶋さんは、現在の日本の地方自治は2元制であると強調する。なぜ、強調するかと言えば、2元制の意味がわからない人が多いからだ。福嶋さんは言う。首相をリコールは出来ないが首長をリコールする権利はある。国会議員のリコールは出来ないが、地方議員のリコールは出来る。国の歳出について監査請求の権利はないが、地方ではこれを認めているし、訴訟も出来る。国の民主主義の形と地方の民主主義の形は違うということが理解されていないと話す。

 首長は市民から選ばれているが、同様に議員も市民から選ばれている。このことが忘れられているのではないかと、指摘する。首長は市民の意思を確かめるために、市民の意見を聞く。すると、議員は直接市民に聞くのは議会軽視だと反発するが、議会もまた市民に意見を聞かなくてはならないのに、それをしないで議会軽視とは何事かと福嶋さんは言う。住民投票条例についても、議会は市民の代表である議会を無視するものだと反発するけれど、議員も首長も全てを委任されたわけではないから、新たな問題を市民に直接問うことは市民の権利を守ることだと説明する。

 首長も議員も、市民から選ばれたのだから当然に市民に説明責任がある。首長だけに説明責任があるわけではないのに、それが理解されていない。また首長の中には、「議会に説明したから」と言う人がいるが、市民に説明してこそ説明責任を果たしているという当たり前のことが抜けてしまっている。さらに議員の中には議会で採決した条例について説明できないような人もいる。こうしたことが、市民自治を妨げていると言う。

 首長も議員も、もっと緊張関係の中で議論をしなくてはならないのに、それが欠落しているところに民主主義が育ってこない原因がある。あらゆる場面で、全ての議論をオープンにすることで緊張感は生まれる。どの議員が何を言ったのか、首長がどのように発言したのか、包み隠さず公表することで、より議論は真剣になるし活発になる。それが地方を変える力であり、民主主義を育てることだと福嶋さんは主張する。

 同感である。全てが終了した後、私は福嶋さんに「孔子や釈迦やキリストのように、全国を行脚して、自分の主張を話し続ける人になってくださいよ」と話した。
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