友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

記者は現場を見ていない

2011年02月13日 18時19分52秒 | Weblog
 好きとか、惚れたとか、愛しているのに別れていく、そんな人の喜びや悲しさを演歌はテーマにしている。スポーツのように勝負がハッキリしたものが好きなカミさんは「聞きたくもない」と演歌には耳を貸さない。カミさんは小説も読まないし、ドラマもどちらか言えばサスペンスの方が好きだ。私は人の世のドロドロとした成り立ちに興味があるし、人が辿ってきた歴史に関心がある。興味の向かうところは全く正反対である。そのカミさんが河村名古屋市長と大村愛知県知事が揃って小沢一郎さんを訪問したニュースを見ながら、「この3人は嫌な顔をしているね」と言う。善悪に対する感性は私と同じだ。

 その河村さんがBSフジで、議会で議員は党議拘束で縛られていて自分の意見を持っていないと批判していた。議員の家業化を無くさなくてはダメだとも言っていた。「あなたと同じことを言っている」とカミさんはその点では河村さんを認めていた。昨日と今日、朝日新聞は地方議会の実情を取り上げて、議会が首長から提案された議案をほとんど無修正で成立させていると報じていた。この記事を読んで、記者は現場を見ていないと私は思った。各地方議会にアンケートを発送し、その結果を分析しているに過ぎないからだ。記者は現場を見なければダメだ。単なる資料を見ただけで記事を書いたのでは問題点が出てこない。

 地方議会を1日、密着取材でもしたなら、単に修正がないだけではない現実が見えてくるはずだ。首長から出されている議案を見ない議員もいる。「初めから賛成することになっているから見る必要はない」と言う。自分の役割は議会で挙手をすることで、「質問したり反対したりする議員がいるから時間が長くなって困る」とさえ言い切る。議会が議論の場になっていないばかりか、そんな面倒なことはやめろと言わんばかりだ。「議員は地域の声を代弁している。地域住民の声の代弁者だ」と言うけれど、地域エゴを行政に押し付けることが議員の仕事だと思っているのだ。

 名古屋市議会の議員は他の地方議員よりも仕事量が多いので議員報酬が高いのは当たり前だと言う。審議する議案の多くは国の法律が変わったためのものだから、名古屋市も他の自治体も同じだ。地方議員の報酬は人口の多いところから順番に少なくなっているのはどうしてなのか、全く根拠がない。新聞も議員1人当たりの人口を取り上げていたけれど、それが報酬とどう結びつくのだろう。地域が広い、人口が多いは選挙の時は大変だけれど、議員活動では多少ガソリン代がかかるくらいだろう。議員提案が行なわれていないことを問題視していたけれど、原点である審議がどのように行なわれているのか、新聞は取り上げて欲しいものだ。

 演歌のようにただ涙しているばかりでは、現実の社会はよくならないとカミさんは指摘するがそのとおりだ。愛していながら別れる不条理さは辛いけれど、現実の生活で困っている人を助けたり不公平な扱いを無くすように、現実に目を向けなくてはならないだろう。それくらいのことなら普通の議員で解決できるはずだ。
コメント
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