友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

活き活きと生きているか

2011年02月17日 20時07分38秒 | Weblog
 昨日に引き続き、井戸掘りに挑む。井戸を掘って欲しいという依頼は何件もあるのに、今の私たちの道具と技術ではどこでも掘れる自信はない。メンバーの何人かは千葉県まで行って、上総掘りを研究してきたけれど、昨年はそれほどの危機意識がなかったから、場面ごとの応用にまで気が回っていなかった。そのため、学んできた道具や技術が本当にこれでよかったのか、あいまいになっている。そこで、道具と技術を確かめるために、友だちの農地を借りて試し掘りを行なって来た。依頼主からの井戸掘りではないけれど、この冬の間に確かな道具と技術を得ておきたいと思い、挑戦している。

 井戸掘りの仲間は気のいい人ばかりだけれど口は悪い。馬鹿話や時には下ネタで大いに笑って肉体労働の苦痛を和らげている。「金もなく、死にたくもなし、年の暮れ」という川柳があるけれど、平均年齢70歳を越す井戸掘り仲間は、そんなしょぼくれたことを言う人はいない。空元気であっても「まだまだ現役」と自称する詐欺師であるが、他人にたいして詐欺を働くというわけではなく、自分にそう言い聞かせているだけのことだから罪はないだろう。

 「下り坂は最高だよ」と自転車愛好家が言う。「上りは気が抜けないけれど、下りはエイコラエイコラ頑張らなくてもスイスイだ」「周りの景色はよく見えるし、なんてったって風が気持ちいい」「人生も同じ。下りだと馬鹿にしたらイカン。スイスイと楽しんで行かなきゃー」と、全く楽天的だ。確かに上っている時は周りがよく見えない。自転車で坂道を上っている時なら、ペダルを回すためにひたすら下を向いて頑張るしかない。人生も同じか、なるほどねと思った。会社人間であった人もそうでない人も、平均年齢70歳を超えているということはもう社会で役に立つことはない。下っていくだけの人生であるが、周りを見る余裕があるし、スイスイと下っていくことを楽しむ余裕だってあるはずだ。

 「恋をしてるかね」とひとりが言う。「何時までも若くいたければ恋をすることだ。自分が必要とする人がいて、相手も自分を必要としている。もちろん、カミさんはそのひとりだが、カミさん以外にもそういう人がいた方が人間は幸せになれるぞ」とも言う。すると「とっくの昔にカミさんから、放り出された人はいなかったかね」と合いの手が入る。人生は長いようだったけれど、ここまでくればもう残りの方が僅かでしかない。自分の人生は何だったのか、自分は何のために生まれ、何を求めて生きてきたのだろう。そんなことを考える時期を通り越したのか、笑って、馬鹿を言って、ひたすら生きている瞬間を楽しもうとしている。

 活き活きと生きているからこそ生きている意味を見出そうとするものだ。もがいたり、悩んだり、苦しんだり、そして愛したり、そうできることに感謝である。
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