NHKテレビが『無縁社会』を取り上げていた。老人の孤独死ばかりが注目されていたけれど、働き盛りの世代が無縁社会に陥っていると報じていた。派遣社員とかパート社員と言われる非正規社員が急速に増えた。これは小泉内閣が、派遣社員の枠組みを大きく変えてからだと思う。グローバル時代を迎えて、世界的な企業競争に勝ち抜くため、長年続いた終身雇用制度を変えていく必要を経営者も経済学者も唱え、それに応えたからだ。企業合併を進め、労働者の賃金を抑え、強い資本を形成して立ち向かう戦略だった。
こうした会社の経営に対して、労働組合は戦って労働環境を守らなくてはならなかったのに、それでは世界的な競争に勝てない、企業が生き残れなければ労働者も生き残れないと言われ、正規社員を守るために派遣社員の犠牲には目を瞑った。会社は利潤が下がれば当然のように派遣社員を打ち切った。それでもまだ足りなければ、正規社員をも解雇した。解雇がなくても会社そのものが倒産した。いったん解雇されてしまうと、再就職は難しい。会社という働く場所がなくなると社会とのつながりもなくなる。こうして、働く世代に無縁社会が広がっていった。
学校を出て、社会人となってみたものの、働く場所がない。たとえ働く場所が見つかったとしても、誰でもできる仕事で、果たして自分は会社に必要とされているのだろうかと考えてしまう。それに、誰でもできる仕事をやる意味がどこにあるのかと考えてしまう。社会は本当に自分を必要としているのか、自分は社会に支えられているのか、社会から断絶された自分は生きている意味も価値もないのではないか、そんな風に悩んでしまう。生きている意味も価値もないと本気で思うなら、死を選ぶのも仕方ないだろう。日本では1年に3万人以上の人が自殺している。この数でも異常なのに、絶望した人々が死を選べば2倍3倍にもなるだろう。そうならないとこの社会がおかしいと気付かないとはかわいそうな社会である。
戦後、経済活動が盛んになり、工場で働く人々が増えた。これまでの大家族から夫婦だけの家族へと変わった。そして今、働く場所がないから結婚できないこともあって単身でいる人が増えた。この人たちが50代60代となる2030年には37%の人が単身だという。ますます無縁社会は広がっていく。働く場所があって、はじめて人は人とつながりを持つ。働けば賃金を得て、消費も生まれるが、働く場所がなければ縮小社会に向かうだろう。新しい企業が生まれ、新しい雇用が生まれる可能性は低い。けれども、社会は生産をなくしているわけではない。
そう考えると、働く場所はある。今でも超過勤務で働いている人がいる。1日8時間労働の原則を4時間に変えてもいいじゃないか。非正規社員を法律で禁止すればいいじゃないか。働けない人を教育できるほどの余裕が企業にはないというけれど、企業が利潤を上げてもそれを社会に還元させる法律を設ければいいじゃないか。社会のあり方が『無縁社会』を作り出してきたのだから、逆に「負」をみんなで受け止める社会にすればいい。それが次の社会になるのではないだろうか。
こうした会社の経営に対して、労働組合は戦って労働環境を守らなくてはならなかったのに、それでは世界的な競争に勝てない、企業が生き残れなければ労働者も生き残れないと言われ、正規社員を守るために派遣社員の犠牲には目を瞑った。会社は利潤が下がれば当然のように派遣社員を打ち切った。それでもまだ足りなければ、正規社員をも解雇した。解雇がなくても会社そのものが倒産した。いったん解雇されてしまうと、再就職は難しい。会社という働く場所がなくなると社会とのつながりもなくなる。こうして、働く世代に無縁社会が広がっていった。
学校を出て、社会人となってみたものの、働く場所がない。たとえ働く場所が見つかったとしても、誰でもできる仕事で、果たして自分は会社に必要とされているのだろうかと考えてしまう。それに、誰でもできる仕事をやる意味がどこにあるのかと考えてしまう。社会は本当に自分を必要としているのか、自分は社会に支えられているのか、社会から断絶された自分は生きている意味も価値もないのではないか、そんな風に悩んでしまう。生きている意味も価値もないと本気で思うなら、死を選ぶのも仕方ないだろう。日本では1年に3万人以上の人が自殺している。この数でも異常なのに、絶望した人々が死を選べば2倍3倍にもなるだろう。そうならないとこの社会がおかしいと気付かないとはかわいそうな社会である。
戦後、経済活動が盛んになり、工場で働く人々が増えた。これまでの大家族から夫婦だけの家族へと変わった。そして今、働く場所がないから結婚できないこともあって単身でいる人が増えた。この人たちが50代60代となる2030年には37%の人が単身だという。ますます無縁社会は広がっていく。働く場所があって、はじめて人は人とつながりを持つ。働けば賃金を得て、消費も生まれるが、働く場所がなければ縮小社会に向かうだろう。新しい企業が生まれ、新しい雇用が生まれる可能性は低い。けれども、社会は生産をなくしているわけではない。
そう考えると、働く場所はある。今でも超過勤務で働いている人がいる。1日8時間労働の原則を4時間に変えてもいいじゃないか。非正規社員を法律で禁止すればいいじゃないか。働けない人を教育できるほどの余裕が企業にはないというけれど、企業が利潤を上げてもそれを社会に還元させる法律を設ければいいじゃないか。社会のあり方が『無縁社会』を作り出してきたのだから、逆に「負」をみんなで受け止める社会にすればいい。それが次の社会になるのではないだろうか。