今日も一日中、鉢の土の入れ替えをした。明日も作業を続けたいのだが、天気がどうなるのかと心配している。今日の午前中は曇っていて、作業をするにはありがたかった。午後からは日差しもあり、汗をかくほどだった。小学校の運動場から子どもたちの元気な声が聞こえてくる。子どもの頃は誰もが無邪気で可愛いのに、大人になると意地悪で悪いことをするのはどうしてなのかと思った。子どもだけ見れば性善説なのだが、大人を見ると性悪説であるように思えてくる。
理性は自己防衛のためにあるなどと、大学に入ったばかりの頃、夜中遅くまで議論したことを思い出した。酒の勢いもあって生意気なことを言い合っていたが、その友だちの家の人たちはきっと迷惑だったと思う。それにその家の息子である友だちは、まだ浪人中ではなかっただろうか。彼は自分が幼い時にこの家に引き取られたことをとても気にしていた。彼のように養子であった友だちが偶然にも他にふたりいた。
このふたりとは高校に入って出会った友だちで、高校生の時にふたりの家に遊びに行ったこともある。継母というと童話の世界では冷たい人のように描かれているけれど、3人の家に行った私の印象は、家庭は血のつながりではないことだった。3人とも一人っ子ということもあって、家ではとても大事にされていたし、両親の愛情が溢れていて羨ましくさえ思った。しかし、3人とも自分が養子であることをどこかで気にしていた。3人とは今も付き合いが続いている。
私にとっては、中学・高校時代が一番思い出深く、この時期に自分が出来上がっていったと思う。ものの見方も考え方も、好き嫌いの感性も美意識も、あらゆるものが蓄えられ形作られた。あれから少しも変わっていない気さえする。クラス長になったり、生徒会長にもなった。友だちは多かった。中学3年の時は、クラスの男子の半分くらいを私が通っていたキリスト教の教会に連れて行ったりもしていた。
今もたくさんの友だちに恵まれている。小学生の男の子からも「おじさんちの子どもになりたい」とせがまれる。選挙の時に応援してくれた人たちや、その後で知り合いになった人たちなど、年上も年下もいろんな形で周りに集まってくれる。人には本当に恵まれていると思う。苦しい時に必ず誰かが助けてくれた。私は大勢の人たちと一緒に何かをやる、一緒に食べたり飲んだりする、そういうことが好きだ。
次女を泣かせてしまった時、カミさんが「あなたと同じように、考えてくれたり、あなたの価値観を理解してくれる人はいるの?」と言う。私の独りよがりを指摘し、娘に寛容でありなさいと言っているのだ。私と同じように考えたり、同じように感じる、そんな人に出会ったことはない。私はいつもマイノリティーだ。それを思うと寂しくなるが、それでも友だちはたくさんいる。考え方や価値観が違っても、人として好きな人はたくさんいる。それでいいのではないかと思う。