今日は結婚記念日だったので、三岸節子記念美術館へ出かけ、『生誕百年記念 丸木俊展』を観て来た。私の両親とほぼ同時代の人、どんな風に生きてきたのかと思った。俊子(本名)さんは北海道の田舎の寺に生まれたが、優秀だったのだろう旭川高等女学校を卒業し、絵を描くのが好きだったので、東京の女子美術専門学校師範科に入学した。千葉県の小学校の代用教員となり、どんな縁か分からないけれど子どもの家庭教師としてモスクワで、1年過ごしている。
27歳の時、展覧会の説明文では「失恋して」とあったが、日本領であった南洋群島へ出かけている。その翌年にはソ連公使の子どもの家庭教師として再びモスクワへ出かけ、この年に日本画家の丸木位理と結婚する。昭和20年夏、俊子さんが33歳の時、位理の故郷である広島に原爆が投下され、ふたりは広島に帰り1ヶ月ほど滞在して救援活動に加わる。この広島体験がふたりの生涯の課題、『原爆の図』となった。
俊子さんはモスクワや南洋群島での体験をもとに絵本も描いている。その原画も展示されていたけれど、色使いがとてもきれいだ。位理は平成7年、94歳でこの世を去った。俊子さんは5年後の平成12年、87歳で亡くなった。夫妻で共同して、『原爆の図』『米兵捕虜の死』『南京大虐殺の図』『水俣の図』『沖縄の図』など、社会性に富んだ作品を描き続け、ノーベル平和賞にノミネートもされた。
美術館の帰りは、カミさんが割引券を持っているという和食の店に行った。偶然にも私たちの両隣は同年の男女のグループで、ビールを飲みながら話が盛り上がっていた。私の右隣は男3人女2人で、高校の同級生らしかった。初恋の人に会いたいとか、会えばこのままではすまなくなるとか、まだそんなことを考えているのとか、いや覚悟が出来ているから大丈夫だとか、現在の旅行の話や病気の話、昔の学生時代の話などが混在していた。
夫婦でないのは「主人は」とか「女房は」といった言葉が飛び交い、しかもあからさまに初恋の人の話や「ミッチャン、今でも好きなの?」とか言っていたからだ。同級生で、夫婦でないからこそ、あけっぴろげで本当のことが言えるのかも知れない。「ウチの主人は『オレはもう2年か3年しか生きられないだろう』ってばっかり言うのよ。どうぞ、どうぞって言ってやった」「そう言う人に限って長生きするのよ」「だから嫌なのよ」。
今朝の朝日新聞のコラムは、11月22日(いい夫婦の日)について書いていた。「将来配偶者を介護したい」と答えた女性は36%、男性は55%だそうだ。「有料老人ホームに入るなら同じ部屋に入りたい」と希望するのは男性82%なのに、女性66%だった。どういうアンケートなのか分からないけれど、そんなものかも知れない。「亭主と旅行に行くより、友だちと行く方がいい」と女性たちは言う。旅行先まで行って、あれこれ面倒をみなくてはならないのは嫌というわけだ。
街頭インタビューで夫婦円満のコツを聞かれたお年寄りが、「嫌なところは見ない、口にしない」と答えていたが、多分その通りなのだろう。丸木夫婦はどうだったのだろう。