友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『週刊アエラ』の特集「右傾化する女子」

2012年11月27日 18時25分26秒 | Weblog

 小さなのぞみが実現できないとなると、ガッカリしてしまう。子どもなら、お母さんが連れて行ってくれるはずだったことがダメになったり、恋人同士なら、デートの約束が延期になったり、私たちの井戸掘りも急に相手の都合で中止になったり、そんな時はちょっと気持ちが落ち込んでしまう。そんなことは日常茶飯事で、いちいち落胆していてどうすると叱られそうだ。何しろ大人の世界では、予定していたことが実行されないとか、約束していたことが実現されないことばかりだから。

 『週刊アエラ』が「右傾化する女子」を特集していた。「女が好きな政治家」という見出しもあった。女性というところを女子とか女と表現しているところから察すると、編集者には潜在的な女性蔑視があるのだろう。日の丸を掲げ、乳母車を押して、尖閣デモに参加している女性たちが増えているという。24歳の若い主婦は、「使える原発を止めて火力発電を増やしたことで、年間3兆円が無駄になっている。日本の経済がダメになったら子どもだって守れない」と脱原発デモを批判している。

 そういえば先日も、駅前で若い女性が街頭演説を行なっていた。「竹島は日本の歴史的にも固有の領土である。なぜ、韓国の実効支配を許しているのか。天皇陛下に対する韓国大統領の屈辱的な態度に対して、なぜ政府・民主党は毅然として抗議しないのか。私は絶対に許せない。許してはならない」と激しい口調で演説をしていた。60年安保も70年安保も、どちらか言えば男性主体のデモだった。男尊女卑という意識があったのか、女性たちは男性たちの後に控えていた。アジ演説も男ばかりだった。

 一般の女性が街頭行動に出るようになったのは毎週金曜日に首相官邸前で行なう脱原発デモからではないだろうか。60年安保も70年安保も、組織された者が参加したデモだった。その前から沖縄での反基地デモには労組ではない人たちの参加もあったようだが、子どもを抱えたり乳母車を押して参加する姿が一般的になったのは脱原発デモからのように思う。組織ではなく個人が自分の意思で参加するデモは、「とても和やかだった」という。「参加者自らが交通整理に当たり、交通に支障が生ずることもなかった」とデモに参加した女性は言う。

 『週刊アエラ』は「右傾化する女子」というけれど、実際は政治に関心を持つ女性が増えたことだろう。だから脱原発の人もいれば、これを批判する人もいるわけだ。「女が好きな政治家」の第1位が小泉進次郎で、次が橋下徹、東国原英夫、安倍晋三、石原慎太郎、石破茂とある。歯切れのよいしゃべり方で分かりやすいのが特徴であり、考え方はタカ派ばかりである。小泉さんにしても橋下さんにしても、若々しくて格好いいから、女性ファンが多いのは当然だろう。

 「男の好きな政治家」をなぜ同時に載せなかったのだろう。アンケートを取れば大して違いはないのではないかと思う。こういう政治家が好まれる時代になったのだ。「はっきり自分の意見を言う人がいない中で、この人は自分の意見を持っている」と政治家を評価するようになった。「信念を曲げない」とか「押しが強い」ことも評価の対象である。「なあなあで生ぬるい。ガツンと正しいことを正しくやってくれる政治家が必要」という声は大きい。でもなあー、誠実さが政治家には大事なのではとマイナーな私は思ってしまう。

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