先週の日曜日、長女が娘の成人を祝う会をするというので出かけた。会場はホテルの最上階のレストランで、入り口でメニューを見るとかなりの値段だ。30階からの夜景は実に美しい。5歳の孫娘は大喜びだ。「飲みもの付きだから、好きなものを飲んで」と長女は言う。フルコースを予約してあるというから胆が座っている。「せっかくだから赤ワインにしよう」と言うと、係りの女性がワインを持ってきた。
成人となった孫娘は「ビールは苦いから」と言っていたのでワインにしたけれど、「これなら飲める」と口にした。しかし見ているとそんなにグイグイと飲める方ではないようだ。長女は全くと言っていいくらい飲めないのに、宴会担当と言われるくらい場を盛り上げるのが上手だ。適当におしゃべりするけれど決して出過ぎない。成人となった孫娘も友だちの信頼が篤く、母親の血を引いている。
成人となった孫娘に決意をたずねると、「しっかり勉強します」と言うばかりで何をどうやるのか具体性はない。まあ、決意をしたのだから、そのうち自分の中で組み立てていくだろう。長女がこんな立派な祝う会を企画したのは、もちろんぼんやりとしている孫娘に気合を入れるためだ。「もう、あなたは成人。自分のことは自分で責任を持つのよ。母としては、ここまで育てた。この先のことは自分でやるのよ」との宣言だ。
それは同時に、孫娘が小学4年からこれまでの10年間、よく耐え、素直ないい子のまま成人を迎えてくれたことに対する長女なりの感謝と償いだろう。長女のダンナは、自分の両親も呼んで欲しかっただろうけれど、私たちだけを招待したのは、長女の「これまでありがとう」という感謝の気持ちなのだろう。5歳の孫娘が成人となる時は、私たちは85歳で、長女夫婦は還暦である。そのことを考えて生活設計を立てて欲しいと思う。
成人の孫娘に「大学を卒業したらどうするの?」と聞いてみた。「ママが家を出なさいと言うから」と孫娘は不安と決意の混じった顔で答える。そうか、長女がそう考えていることを知り、私は安心した。後は5歳の孫娘を立派に育て上げてくれることを願うばかりだが、間違いなくやってくれるだろう。そのためには健康でいて欲しい。それだけが心配である。