友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人は何を求めているのか

2012年09月11日 21時04分35秒 | Weblog

 昨夜は凄いカミナリで、光と音が1秒差もないくらいだった。ドーンという地響きがして、この世の終わりもこんな風かと妙なことを考えた。稲妻が部屋の中まで差し込んできて、一瞬辺りが真っ白くなる。それに地響きで、マンションの12階にある我が家も揺れる。こんな時間が1時間も2時間も続いたらきっと誰もが恐怖で狂い出すだろう。幸いなことは、じっと耐えていればカミナリはどこかへ移っていく。

 朝、浸水で道路が見えなくなっているかと思ったが、別に普段と変わらない景色だった。そういえば昨日の朝、道端でヒガンバナを見た。それは白い花で鉢植えだったから、そこの畑の持ち主が植えたものだろう。ヒガンバナといえば赤く怪しげな花だったのに、最近ではこのような白やピンクのものを見るようになった。何よりもビックリするのは、花屋さんで売られていることだ。

 ヒガンバナを見ると、もう秋だなと思う。新城市の山奥に、四谷千枚田という棚田があり、そろそろヒガンバナが咲くというので、友だち家族で見に行くことになっている。秋の伊吹山もきれいだと言うが、まだ私は行ったことがない。花は春と秋に多く咲く。それは冬になる前に実をつけるためで、どちらか言えば秋の方が鮮やかな花が多いような気がする。昆虫たちを呼び寄せて受粉するためだ。

 植物も動物も子孫を残す為に、並々ならぬ努力をしている。20歳の時に芥川賞を受賞して話題の人となった綿矢りさの『勝手にふるえてろ』の中に、「古代はきれいに渦を巻いていたアンモナイトが時代が進むにつれ巻きがどんどん普通じゃなくなってきて、最後はただの醜いひもになる。進化も進みすぎると狂うことの代表例みたいに言われているよな。でも、あれって地球の環境が変動したせいでそれに合わせて生きやすいように形を変えたって説が最近有力だよね。見た目の均整が取れてないからってすぐ異常だと決めつける人間の方がおかしいのかもしれない。」と主人公が中学の時から憧れる男が言うセリフがある。

 動物のオスは自分の子孫を残すために必死の努力をする。人間の男性たちも動物のオスに負けないくらいの努力をしていると思うけれど、『勝手にふるえてろ』の主人公の女性もそれなりに努力をしているのだが、その努力と反対側にあるものとの葛藤が面白い。綿矢さんは確実に成長している。芥川賞となった『蹴りたい背中』の男女に比べれば、ここの男女はもっと深い観察で書かれている。

 主人公の女性にはふたりの彼氏がいる。ひとりは中学の時代から憧れている男で、光る黒目、長い睫毛、笑うと目尻がゆるんで、日なたのこもれびみたいに周りが暖かくなる、手を洗うしぐさまでも違うと彼女は思う。この対極にいるのが会社の同僚で、彼女のことが好きで、「付き合って欲しい」と言うのに、なかなか返事をしない。結婚して子どもが出来て、家族のために掃除や料理をして、そんなものは幸せとは思えないのだ。一番好きな人と結婚して彼の子どもを生むことが幸せなのだから。

 そのために努力はするし、ウソも付くけれど、そうして人は何を求めているのかに迫っていく。なかなか面白い小説になっている。

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