友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

目的のためには手段を選ばない

2025年01月21日 17時50分23秒 | Weblog

 北の部屋のエアコンは、電源を切るとゴウゴウとウルサイ音がする。しばらくすると消えるが、夜中にタイマーが点滅している。それ以外は問題無いし、使用していても異常は無い。北の部屋は、私がパソコンに向かっている時しか使うことが無い。

 けれど、娘たちが来たり、友だちの来訪があった時は、応接間として使っている。冬になる前、私がエアコンの手入れをしたが、なぜか以前とは違って収まりが悪かった。それでも電源を入れれば、普通に作動していたので放っておいた。

 来月、兵庫県西宮へ引っ越した次女一家が来るので、エアコンのことが心配になった。製造年月日だけでも知りたくて、パナソニックに問い合わせの電話を入れてみた。けれど、音声ガイドで修繕に誘導されそうになり、止めてしまった。

 恐らくもう生産はしていないだろう。私と同じポンコツである。まあー正常に作動しているうちは使い続けるつもりだ。トランプさんがアメリカ大統領に就任したが、そのニュースを見ていると、大統領はかつての王様と同じだと思った。

 アメリカはイギリスから逃げて来た清教徒たちが、独立を勝ち取って建国したのに、どうして大統領制を採用したのだろう。まるで独裁者である。民主主義の根源は議会にあると、松阪市の海住恒幸市議は主張しているが、正反対になっている。

 フジテレビは、中居正広さんの女性トラブル問題で大きく揺れている。フジテレビは存続出来ないのではないかとさえ言われている。私は、NHKは報道だけに、フジテレビは娯楽だけのテレビ局になった方がいいと思う。

 NHKをぶっ潰せと政党を立ち上げた立花党首の言動も酷い。百条委員会で斎藤知事を追究していた県議の死について、立花党首が死に追い込んだかも知れないのに、全く無責任な発言をSNSでしている。目的のためには手段を選ばない、トランプさんのようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どう結んでいいのか分からない

2025年01月20日 17時53分12秒 | Weblog

 大寒の今日は、風も無く朝から穏やかで、まるで春がやって来たのかと錯覚しそうだ。でもきっと、寒い日がぶり返すことだろう。日本人はこの四季の変化の中で暮らしてきた。絶対などと言うものは存在しないと肌で感じてきたはずだ。

 けれど、明治になって、西洋文化が到来すると、中途半端ながらも絶対的なものを受け入れるようになった。四国松山の出身の友だちから、松山が生んだ明治の偉人、秋山兄弟と正岡子規のドラマ「坂の上の雲」が、NHKの日曜日午後11時から再放送されると聞いて見始めた。

 原作者の司馬遼太郎さんは、「単なる戦争ものにしたくないと、ドラマ化に反対していた」とどこかで読んだ気がする。司馬さんが心配していたように、私には英雄物語にしか見えないが、まだ途中なのでどんな結末を持って来るかと期待している。

 軍人の秋山兄弟の親友、正岡子規は日清・日露の戦争をどう思っていたのかと見ていたが、与謝野晶子のような反戦の俳句はなかった。ドラマの中では病床にある子規が、「戦場で死ぬ兵士と自分の死はどう違うのか」と問う場面があった。秋山の答えは「何も変わらん」だった。

 東京の下町にも四季の移ろいがある。子規はそれを眺めて俳句を作っていた。絶対などというものに価値を見ていなかったのに、ドラマは国のために命を捧げることを美化しているようだ。

 西洋の庭園は左右対称に設計されているが、日本の庭は現状を固定せずに作られている。日本人が追求してきた「あいまいさ」がここにある。

 山極寿一先生も先の講演で話された、「縁側」や水墨画の「空白」は日本人の美意識が創り出したものだ。統一しないから個性を大事にしてきたと、言ってもいいのかも知れない。けれど、個性を大事にすれば、集団としての規律が保てない。

 生産性を上げるには「統一」が便利だが、そうなると「個性」は抑えられる。私は個人を大切に接してきたつもりだが、頼って来た友だちも教え子も救えなかった。話が飛び過ぎて、どう結んでいいのか分からなくなった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「電源を落とす生き方浮寝鳥」

2025年01月19日 17時46分33秒 | Weblog

 今朝の朝日新聞、1面トップ下の書籍の広告欄の1番目立つところに、美智子上皇后の歌集『ゆうすげ』(岩波書店1980円)が掲載されていた。私は思わず、買って見たいと思い、そして「ゆうすげ」って、どんな花だったのかと思った。

 「ゆうすげ」の花を調べてみたら、夏の花で夕方に咲き、翌朝の午前中には萎んでしまう。夏に見かける「宵待草」のようなはかなさを連想させるが、写真を見ると、ユリのような花で、山で見かけたことがある気がした。

 上皇后は、「はかなさ」に心惹かれるのだろうか。私が覚えている上皇后の姿は昭和34年の成婚パレードが最初で、たくさんの人に手を振って応えていたテレビニュースだった。民間から皇室に上がった最初の人と報じられていた。

 軽井沢のテニスコートがふたりの出逢いであったので、テニスブームが沸き起こった。私は天皇制の支持者では無く、反対者でもない。個人の人権も認められない皇室に同情している。皇室を離れたかったなら、自由になってもいいと思っている。

 日本は長く天皇制が維持されてきたけれど、天皇に政治の実権は無かった。天皇制が尊いからでは全く無く、時の権力者のために利用され続けてきた。皇室はこうあるべきと政治家の言うのを聞くと、皇族個人のことは何も考えていない気がする。

 上皇后はどんな歌を作られたのだろう。そんな思いで新聞を見ていたら、このところなかなか掲載されることのなかった、わが市の「歌人」・月城龍二さんの名前を見つけた。中日俳壇に「電源を落とす生き方浮寝鳥」が載っていた。

 短歌だけでなく、俳句も作られる人なのかと感心する。季語は浮寝鳥で、冬に水面で眠っているような鳥のことだが、エネルギー消費を抑えようと電源を切っていると詠んだのだろう。さすがに、言の葉に関心のある人だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人の美意識は「あいまいさ」であった

2025年01月18日 18時11分03秒 | Weblog

 人間は産業革命とフランス革命の後、急激な発展を遂げた。そして今、人口減少や食糧の自給率、温暖化など様々な新しい課題に直面している。ゴリラの研究家・山極寿一先生の講演は、霊長類の研究から人類をどう分析しているのか興味深かった。

 人類は700万年前、チンパンジーとの共通祖先から分かれて、独自の進化を遂げた。それまで暮らしていた森を捨て、直立2足歩行によってあらゆる場所に進出した。直立2足歩行により、人間の脳は大きく変化した。

 生まれたばかりの人間の子は長い間、母乳で育てられ、すぐには自立せずに幼児期があり、周りを見て真似しながら学んでいく。脳は1歳で生まれた時の2倍となり、5歳で大人の脳の90%に、12から16歳で100%となる。

 山極先生は「学ぶとは真似すること」と言う。真似することで共感能力が育ち、他人に憧れたり、他人を目標とする。人間は顔と顔を向き合わせるが、サルは決して向き合わない。けれど、ゴリラは人間に近いそうだ。

 弱い生き物として出発した人類は、共同することで乗り越えてきた。家族という共同体こそが進化の源だった。集団生活は家族だけにとどまらず、どこの誰たちとも暮らす能力、そこに言葉が生まれ、いっそうの団結が生まれた。

 しかし、この安住と所有は争いの源でもある。戦争は常に、安住と所有の奪い合いである。中央集権化によって、争いに終止符が打たれるように見えつつ、地方分散化のうねりも生まれてきている。

 人は単なる人間社会を維持するための家畜なのか、地方分散化は人の個性を取り戻すことが出来るのか、微妙な時点にある。AIは人類に幸せをもたらすのか、いや、均一化あるいは統一へと進む気がしてならない。

 日本人の美意識は「あいまいさ」であった。AIが「あいまいさ」の美しさが理解できるのだろうか。山極先生は「市場価値」から「使用価値」が求められる時代となると予見する。私は大きく頷いて講演を聴いた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共同と自治そして引退

2025年01月17日 17時36分19秒 | Weblog

 横綱の照ノ富士が引退した。思うように相撲が取れない身体では仕方がないし、むしろご苦労様でしたというところだろう。ひとり横綱だから、優勝して当たり前と相撲ファンは見てしまう。他には優勝できる力士がいなかった。

 白鵬のような強い力士がいなくて、力が均衡だったのか、この力士ならと思える相撲取りが長い間いなかった。琴桜や豊昇龍や大ノ里といった横綱を目指す力士が出て来たから、照ノ富士も引退を決意できたのだろう。

 引き際が難しいと言われるのは、そうした重責を担っている人のことだ。ごく、普通の人なら定年とか、席を譲るために引退することがある。それにしても、世の中を見ると、高齢者があまりにも頑張っている気がする。

 引退したくても出来ない理由があるのだろう。私が住むマンションは、60年安保を経験した先輩たちが、理想的なコミューンを作ろうとして、みんなで支え合う自治の基本を輪番制においた。誰もが役職を担う制度である。

 けれど、入居した時は30代から40代であったが、50年も経ると80代から90代になってしまった。もちろんこの間に、新しい入居者もいて世代交代は出来ている。けれど、若い人は役員になりたくないようだ。

 他人がやってくれるなら、その方がありがたい。それは分かるけれど、同じ人が長く役員を続けることになる。日本中、どこへ行っても同じ現象なのだろうか。自分たちが住んでいるマンションや地域を、住みやすくしていく責任はどこにあるのだろう。

 明日は八事興正寺で行われる、ゴリラの研究家・山極寿一先生の講演を聞きに行く。ゴリラの研究のため、現地の人々の仲間入りするには飲食を共にしたし、ゴリラの信頼を得るために行動を真似たりしたと言うが、どんな話が聴けるのだろうか。

 ゴリラは、共同と自治そして引退をどんな風に行ってきたのだろう。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真を撮るのを忘れた。残念!

2025年01月16日 17時53分51秒 | Weblog

 2児の母である孫娘が、珍しくひとりでやって来た。子どもたちを保育園に預け、「仕事の話を聞いて来た」と言う。孫娘は公立病院で看護婦として働いているが、幼い子どもをふたり抱え、夜勤や休日出勤があり、家族の時間が取れないことに悩んでいる。

 同じように子育て中の友だちの中には、公立病院では無いこともあって、今流行りのメルカリで看護婦の給料と同じくらいの売り上げがある友もいて、そういう手もあるかと思ったそうだ。しかし、仕事は子どもの医療にかかわる方がいいようだ。

 介護や補助を必要とするのは高齢者ばかりでなく、入院するまでも無いが介助や保護を必要とする子どもが大勢いる。けれど、親は働かなくてはならないから、その子らの世話をする組織が必要になっている。

 孫娘はそんな職場で働いたなら、子育てと両立出来るのでは無いかと考えているようだ。高齢者はどんどん増えているが、子どもの数は増えていない。結婚しない若者が多いのだから当然の結果だが、「産めよ増やせよ」と言っても、出来ない現実が孫娘の話からも察しがつく。

 会社組織に加わり上司に従ってこき使われるのは嫌、好きなことをして好きなように暮らしていきたい。若い人のその気持ちは解るけど、でも、そんな暮しが本当に出来るのだろうか。下積み生活は誰もが通過する道だと、私たちは思って暮らしてきた。

 けれど、孫娘がカミさんの疑問に答えて、スマホの使い方や4kテレビの操作を教えているのを見ていると、孫娘と50年の年代差を痛感する。もう、新しい時代が始まっているのに、古い価値観に拘り押し付けてはいけない。

 私は孫娘のために、切り餅をフレンチトーストのように使えないかと思い、バターで切り餅を焼き、たっぷりの玉子で包み、上にチーズを載せて蒸し、最後に蜂蜜をかけてみた。「ワァー、美味しい」と言ってくれたからよかった。

 作るのに一生懸命で、写真に撮るのを忘れた。残念!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「感謝の気持ちを忘れずに」

2025年01月15日 17時50分37秒 | Weblog

 今日のデートは、国府宮神社の初詣。神社では裸祭りに向けた作業が進行していた。手を洗い清め、本殿前に進むと、足元に何か金色の物が落ちていた。この頃、私は拾い物が多い。先日も駐車場で車を降りた時、草に隠れた金色の物を見つけた。

 見ると、イヤリングの片方だった。失くして困っている人がいるはず、管理人さんのところへ届けようと思った時、ひょっとするとカミさんの物かも知れないという気がして、「違う」と言われてからでもいいかと、カミさんに見せた。

 「えっ、どこにあったの?探していた」と言う。最近、カミさんはよく物を落とす。手袋の片方を落とした時も、私が見つけた。人の役に立てて良かった。参拝した後、社務所の巫女に「落とし物です」と手渡した。

 子どものオモチャなのかも知れないが、それでも届けておくべきだろう。おみくじを引いたら、カミさんと同じ七七番だった。こんな偶然があることに驚いた。運勢は「吉」だったが、「たえず笑顔を忘れずに、思いやりのある行動をとるように」とある。

 今年は初から縁起がいい。「さて、どこでお昼にしようか?」と聞くと、カミさんはスマホを取り出して、「このまま真っ直ぐ進むと、右側にあるわよ」と教えてくれる。スマホの音声に従って走らせると、行きたかったイタリアン・レストランだった。

 「店の名前は分からないから、たまたま指で押したところだったのに、本当に運がついているわね」とはしゃぐ。でも待てよ、ここはかなり混んでいるはずだ。カミさんが先に降りて店に行き、「OK」のサインをする。

 この店のフレンチトーストは食べ応えがある。美味しいしボリュームも満点だ。私たちの後から4人のグループと8人のグループが入店して来て、満席になった。客のほとんど女性で、家族連れも2組いたが、女性に人気の店であるのは確かだ。

 家に帰るとカミさんが、「今日はとてもいいデートだったわね。ガソリンも無駄に使わなかったし、オリコウさん。コーヒーとケーキがあるわよ。用意して」と言う。うまくいったのはあなたのおかげです。おみくじに「感謝の気持ちを忘れずに」とあった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結婚を3回もしている

2025年01月14日 17時22分02秒 | Weblog

 アメリカ・ロスアンゼルスの山火事は、なかなか収まりそうに無いようだ。2005年の秋、6家族でアメリカ西海岸に旅行に出かけた。州都サクラメントからローキー山脈を超えて、ヨセミテ渓谷、そしてラスベガスへと車で移動した。

 そんなに高く険しい山では無かったが、山道は狭く、ガードレールも無かった。山は木々で覆われていたが、日本のような鬱蒼とした森では無かった。運転手に「手入れはどうしているのですか?」と尋ねた。その答えが今、思い出される。

 「いつも山火事が起きるので、植林しなくても生まれ変わるんですよ」と、ビックリする答えだった。今回のニュースを見ながら、山火事の火の粉が街に飛んでくる様を見て、鎮火はまだまだ先になるだろうと思った。

 簡単にいかないのが人の世の常。私は『谷川俊太郎詩集』(ハルキ文庫)から、谷川さんの「恋愛の詩」をすぐ見つけられる気でいたが無理だった。けれど、末尾に掲載されていた「ねじめ正一」さんの解説と、中島みゆきさんのエッセイを読んで、谷川さんの人柄に触れることが出来た。

 また、最後に掲載されていた谷川さんの年譜を見て、驚きと納得が同時にやってきた。谷川さんは昭和6年生まれ、父は哲学者の徹三である。10代の成長期に戦争を体験し、戦後となった高校時代は学校嫌いで、大学進学の意思は全くなかった。

 この頃から「詩らしきものを書き始め」、21歳で詩集『20億光年の孤独』が刊行されている。23歳で岸田衿子と結婚するが、翌年には離婚している。26歳に大久保知子と結婚、29歳の時に長男を授かる。

 31歳の時、レコード大賞作詞賞を、翌年には長女が生まれた。詩に留まらない企画など、世界的にも活躍したが、58歳で離婚し翌年に佐野洋子と結婚している。結婚を3回しているのにもビックリした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どんな言葉で表しているのだろう

2025年01月13日 17時41分39秒 | Weblog

 詩のような小説の、ハン・ガンさんの『すべての、白いものたちの』を読んで、谷川俊太郎さんの詩集を買ったことを思い出した。昨年11月、谷川さんが92歳で亡くなられ、書店に並べられてあったものだ。

 いつか読もうと思ったが、なかなかその気にならなかった。詩で覚えている作品は何があるのだろうか。でも、高校生の時に出会った短歌はいつまでも覚えている。若山牧水と石川啄木の歌は強烈な印象だった。

 「白鳥は悲しからずや 空の青海の青にも染まず漂う」(若山牧水)。孤独感がジーンと伝わって来た。仲間や友だちがいっぱい居るのに、なぜ孤独を感じてしまうなのだろう、そんな青春の感傷に浸っていた。

 「働けど働けどなお吾が暮し楽にならざり ジッと手を見る」(石川啄木)。私の母は休む暇も無く働いていた。そんなに働かないと、わが家は暮らしていけないのかと思っていた。母は働くことが好きだったのか、それともそこにしか生き甲斐が無かったのか、両方だったような気がする。

 俳句は言葉が少なすぎて、気持ちを伝えるには無理があるが、短歌はそれより14文字多いだけなのに、凄いなと思う。牧水も啄木も同時代の人だけど、啄木は僅か26年の生涯である。上記の歌は啄木が24歳の時に作られ、牧水の歌は23歳の時とある。

 啄木の歌でもう一つ覚えているのは、「戯れに母を背負いて あまり軽さに泣きて三歩あゆまず」がある。母親もそうだけど、妻の節子さんにはもっと苦労をかけている。節子さんを思う歌はあるのだろうか。

 私は高校生の頃、日本文学の感傷性が日本人の視野を狭くしていると反発していた。老いてみて、繊細な神経に共感している。谷川俊太郎さんは、どんな詩を書いているのだろう。恋愛や嫉妬や愛憎をどんな言葉で表しているのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説家志望の友だちに読ませたい

2025年01月12日 17時23分48秒 | Weblog

 ノーベル文学賞を受賞した韓国の女性作家、ハン・ガンさんの『すべての、白いものたちの』を読み終えた。書店で訊いたら、「ウチにはこれしか置いてないです」と言われて買って来たが、この本が受賞作品なのか分からない。

 読み始めて、頭が混乱した。難しい言葉は無く、とても読みやすいのに、何が何だか分からない。まるで、詩なのだ。1ページから2ぺージごとに書かれた詩を読み進むような感じで、どうなるのと思いながら読んでいった。

 最後まで読んでみて、これは詩の形をした小説なのだと理解できた。この作品を書く前に、執筆していたという『少年が来る』という作品を読んでみたい衝動に駆られた。作者があとがきに、「(『少年が来る』)が無事に刊行された後、しばらくどこかへ行って休むのはよさそうに思えた」と書いていたからだ。

 それほど、心血を注いて書かれた作品を読まないことは無いと思った。『すべての、白いものたちの』には、韓国だけでなくポーランドの街の風景も出て来る。『少年が来る』は、韓国の民主化を象徴する「光州事件」を扱ったものらしい。

 ポーランドの街は、ナチスドイツに破壊されたワルシャワのようだが、生まれ変わっている。今、韓国は大統領支持の人々と、野党を支持する人々に二分されている。GDPでは日本を抜いた韓国なのに、国の行先は混とんとしている。

 アメリカもヨーロッパ諸国も、自国優先を主張する人々が多勢になってきている。みんなで仲良く助け合っていこうと、ならないのはどうしてなのだろう。ハン・ガンさんはこの世界をどう見ているのだろう。

 『すべての、白いものたちの』は、詩のような展開だけど、哲学的でもある。「しなないで、しなないでおねがい。それを力をこめて、白紙に書きつける。死なないようにと。生きていって と」。

 詩のような形の小説。小説家志望の中学からの友だちに読ませたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする