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2021.12.30 おせち完成。


私は、チタンの入れ子になっている保存容器を持っている。
お煮染めが、出来上がったら、一つづつ、これに移すことにした。

以前は、煮物は冷める時に味が沁みるので、煮上がったら、鍋のまま置いておき、
冷ましていた。
大根は大根のみ、里芋は里芋だけで、煮ていたので、驚くほどの数の小鍋を持って
いた。

転居後は、小鍋の数は減ったが、チタンの保存容器がたくさんあるので、煮物が
煮上がるたびに、こちらに移して保存すれば、美味しくなるし、これは
良い方法だと、ようやく今年、つまり今回のお節作りの時点で気がついた。
こうすると、また、以前の様に、大根は大根、筍は筍と、別々に煮染めることができる。

私も、ここ数年は、百貨店などのおせちを注文する様になっていた。
私は、お酢の物とお煮染めだけが欲しい人であるため、大部分が無駄になっていた。

今回、何年振りでおせち作りをしたであろうか?
でも、この方法があるので、これからは、お節作りは怖くないなと、ようやく気がついた。

お昼になったので、お味見タイム。
煮物は、少し塩味が薄かったが、酢の物類が、抜群に美味しかった。
ゆずの効いた酢の物の香りと味! 癒された。

数の子を一晩水に浸けて、塩出ししておかなければならなかったのに、すっかり
忘れていた。
それから、干し椎茸を水で戻すのを、忘れていた。これをお煮しめにしなければ。
なので、あと、やることは、この2つだけ。

しかし、これ以外の迎春準備は、今日の朝10時すぎに、全部完了した。
何度も言うが、昔のグズでノロマの、私はどこへ行ったのだろう。
昔は、深夜に勤めから帰ってきて、除夜の鐘を聞きながら、おせちを作っていた。
その頃は、明け方までかかって、十数人分のおせちを一人で作っていた。

私の従兄弟が、当時岡山に勤めていて、車で横浜まで帰省するのに、車の渋滞時間を
避けて、深夜2時ごろ通過するので、その中継点として神戸の我が家で休憩していた。
友人と二人でやってくるので、その夜食として、おせち作りの間に、ちらし寿司を
作って上げていたので、大忙しだった。

その間、お茶一杯も飲まず、一回も座らず、もちろん一睡もせず、新年を迎えるのが、
通常だった。
昔の台所は、木枠の窓ガラスが、強い北風にガタガタ鳴っていて、身体の真まで冷え
込む場所だった。
今は、寒いと言っても暖房は効いているし、その上、肌着は進化しているし、どんどん
住みやすくなっていて、いつもしみじみ感謝している。

その後、母が亡くなってからは、自分の小さなお重を作っていた。
阪神大震災で、家が全壊したが、思いがけなく集まって下さった支援者の方々の
お陰で、神戸の家を再建できてからは、その後神戸に戻った10年間は、毎年おせち
を作り友人達を招いた。
何とその時、手と脚が激痛だったので、買い物だけで、動けなくなっていたが、
やり切った。このことは何度も書いた。
その10年間に、お食事の接待は、多分100回ほどした。
身障者が、健常者をもてなすの?と思ったこともあった。
おせちは、何日もかかって作っていた。
おせちとは、切り離せない人生であったかもしれない。

ま、その時とは、状況が違うが、それでも、まさか、今回のように、大晦日の前日の
朝に、迎春の用意を済ませることができた自分は、もしかして別の人ではないだろうか?
まさに、そんな感覚である。感謝で一杯である。


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