私の周りもお盆休みの会社が多く、さすがに今日などは静かです。
いつもの雑誌の仕事も動いているのですが、今回はお盆スケジュールで進行していて、まだバタバタの状態ではないのです。
背中のデキモノも状況が良く、思ったより早くお酒が解禁になったのですが、いつもの飲み仲間たちも、お盆休みで東京を離れていて、それ程飲む気にもなりません。
こんなマッタリした気分も、たまには良いものです。
このマッタリした気分の時に、思わぬ“再会”がありました。
こんなブログなど書いておりますが、実は小さい時から国語が嫌いで、本を読むのも好きではなく、文章を書くのは大の苦手だったのです。
実際、酔払って書いてる時が多いこともありますが、ブログを読んでる一部の人から、重箱の隅を突くように、文章や仮名使いがおかしいと、有難い指摘を時々受けております。
(学校で添削指導を受けてるようで、気持ちは若返りますが・・・)
話しがそれました。
その文学大嫌い少年だった私が、小学校の時に感動した詩が一つだけあったのですが、今日、その詩とネットで“再会”したのです。
作者は童謡の作詞家、百田宗治(ももた そうじ)で、題名がこの『夕やけ雲の下に』。
自分が生まれ育った旭川は、四方を山に囲まれた盆地で、大雪山の麓から登る朝日を見て一日が始まり、反対側の山に沈む夕日を見て一日が終わってたのです。
そんな環境だったので小さい時から、夕日の沈む山の向こうには何があるのか?ず~っと考えながら育ってきました。
文学嫌いの少年だったのにも関わらず、この詩を見た時、まるで自分の気持ちを代弁した詩に出逢えたようで、共感と感動を覚えたのだと思います。
東京に出てきたのは、夕日の沈む山の向こうを知りたかった、多分にその時の影響だと思うのです。
(その結果が、夜な夜な7丁目界隈でカラオケを歌ってるとは・・・)
少しさ寂しげな詩ですが、心が洗われる気持ちになります。
あの時の自分は帰ってきませんが、私のことを“キモ~イ!”と言う、某パブのスタッフゥ~達には、私の“人となり”を理解してもらうために、正座して一度読んでもらいたい詩でもあります。
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『夕やけ雲の下に』 (百田宗治)
遠い夕やけの空を見ていると、
ボクはあの雲の下に美しい国があると思う。
心のきれいな人ばかりが住んでいて、
いつも楽しい音楽が聞こえているような気がする。
ボクはあの遠い国に行きたいなと思う。
そこには白い塔や、美しい広場があって、
塔の上にはいつもキラキラと黄金色の日が耀き、
広場にはボクたちのような少年や少女が、
いつもいっぱい遊んでいるような気がする。
ボクはあの国に行って、
良い本を読み、良いことを考え、
みんなの役に立つ良いことをしたいと思う。
あの国にもきっとボクたちのような少年がいるだろう。
遠い夕やけ雲を見ていると、
ボクはあの下に、美しい国があると思う。
美しい音楽と、たのしい夕餉があると思う。
そこへ行けないのが、何か悲しい気持ちになってくる。
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*あるメルマガでこの詩を見つけたのですが、私の詩を読んだ時のイメージがより伝わるよう、漢字やカタカナに直している箇所があります。
最後の行もメルマガでは、“そこへ行けないのが なにかかなしい気もちはしてくる”となっていましたが、私の記憶してる言葉に直してあります。(ミストラル)
いつもの雑誌の仕事も動いているのですが、今回はお盆スケジュールで進行していて、まだバタバタの状態ではないのです。
背中のデキモノも状況が良く、思ったより早くお酒が解禁になったのですが、いつもの飲み仲間たちも、お盆休みで東京を離れていて、それ程飲む気にもなりません。
こんなマッタリした気分も、たまには良いものです。
このマッタリした気分の時に、思わぬ“再会”がありました。
こんなブログなど書いておりますが、実は小さい時から国語が嫌いで、本を読むのも好きではなく、文章を書くのは大の苦手だったのです。
実際、酔払って書いてる時が多いこともありますが、ブログを読んでる一部の人から、重箱の隅を突くように、文章や仮名使いがおかしいと、有難い指摘を時々受けております。
(学校で添削指導を受けてるようで、気持ちは若返りますが・・・)
話しがそれました。
その文学大嫌い少年だった私が、小学校の時に感動した詩が一つだけあったのですが、今日、その詩とネットで“再会”したのです。
作者は童謡の作詞家、百田宗治(ももた そうじ)で、題名がこの『夕やけ雲の下に』。
自分が生まれ育った旭川は、四方を山に囲まれた盆地で、大雪山の麓から登る朝日を見て一日が始まり、反対側の山に沈む夕日を見て一日が終わってたのです。
そんな環境だったので小さい時から、夕日の沈む山の向こうには何があるのか?ず~っと考えながら育ってきました。
文学嫌いの少年だったのにも関わらず、この詩を見た時、まるで自分の気持ちを代弁した詩に出逢えたようで、共感と感動を覚えたのだと思います。
東京に出てきたのは、夕日の沈む山の向こうを知りたかった、多分にその時の影響だと思うのです。
(その結果が、夜な夜な7丁目界隈でカラオケを歌ってるとは・・・)
少しさ寂しげな詩ですが、心が洗われる気持ちになります。
あの時の自分は帰ってきませんが、私のことを“キモ~イ!”と言う、某パブのスタッフゥ~達には、私の“人となり”を理解してもらうために、正座して一度読んでもらいたい詩でもあります。
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『夕やけ雲の下に』 (百田宗治)
遠い夕やけの空を見ていると、
ボクはあの雲の下に美しい国があると思う。
心のきれいな人ばかりが住んでいて、
いつも楽しい音楽が聞こえているような気がする。
ボクはあの遠い国に行きたいなと思う。
そこには白い塔や、美しい広場があって、
塔の上にはいつもキラキラと黄金色の日が耀き、
広場にはボクたちのような少年や少女が、
いつもいっぱい遊んでいるような気がする。
ボクはあの国に行って、
良い本を読み、良いことを考え、
みんなの役に立つ良いことをしたいと思う。
あの国にもきっとボクたちのような少年がいるだろう。
遠い夕やけ雲を見ていると、
ボクはあの下に、美しい国があると思う。
美しい音楽と、たのしい夕餉があると思う。
そこへ行けないのが、何か悲しい気持ちになってくる。
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*あるメルマガでこの詩を見つけたのですが、私の詩を読んだ時のイメージがより伝わるよう、漢字やカタカナに直している箇所があります。
最後の行もメルマガでは、“そこへ行けないのが なにかかなしい気もちはしてくる”となっていましたが、私の記憶してる言葉に直してあります。(ミストラル)