これは、江戸は愛宕山からみた写真です。
もちろん前回同様、オランダにあった写真です。
もちろん前回同様、オランダにあった写真です。
これは、江戸は中ノ橋付近の久留米藩有馬家の上屋敷だそうです。
お屋敷の塀に見えるところは、二階建てになっており、
江戸詰めの下級武士が住んでいたそうです。
江戸詰めの下級武士が住んでいたそうです。
この他に、中屋敷、下屋敷とあったのでしょうから、当時の大名の暮らしぶりがわかりますよね。
これは、肥後は、熊本城主の細川公の江戸の上屋敷だそうです。
塀の終わりが、ほとんど見えません。(笑)
当時の大名屋敷が、大きさがわかりますよね。
塀の終わりが、ほとんど見えません。(笑)
当時の大名屋敷が、大きさがわかりますよね。
これらの、大名屋敷いまの世に何点か残して置きたかったですよね。
当時、これらの屋敷の維持管理、修復にどれだけのコストが、必要だったのでしょうか?
屋根や、壁の修復、畳替え、衣食住・・など等
大名屋敷と武士階級は、食事を含め、ただ、消費の生活をおくるのみですから、
その、需要と消費で江戸の町は、かなり潤っていたそうです。
屋根や、壁の修復、畳替え、衣食住・・など等
大名屋敷と武士階級は、食事を含め、ただ、消費の生活をおくるのみですから、
その、需要と消費で江戸の町は、かなり潤っていたそうです。
江戸の言葉に、『おてんとう様と米の飯は、どこへいっても付いて回る』
『鐘一つうれぬ日はなし江戸の春』 其角(芭蕉の弟子)
とあるように、地方都市と違い、飢饉と言うものは、存在しなかったようです。
うらやましいですよね。
うらやましいですよね。
今は新築しちゃったかな~?^^;
皇居周辺や都内に行った時、古き時代の面影が微かに感じられると、感慨深いものですね(^^)。
松の老木や、遠方の杜も…
一体今は何処へ???
今日は、洋風でマグカップです。ご覧下さい。
ここから鹿沼は近いので、こんど行ってみようかなぁ~。
実際、塀は二階建てで、ねずみ小僧が、簡単には乗り越えそうにはありません。
あと、中屋敷、下屋敷とありますから、我われが想像するお金持ちとはスケールが違いそうです。
ドデカイお屋敷で、敷地には、大名の次男、三男のお屋敷もあり、
一緒に住んでいたようです。
あと、中屋敷、下屋敷とありますから、大変な大金持ちです。
あとで拝見にうかがいますね♪
西洋文化に追いつき追い越せの、国威啓蒙思想の裏返しとして、
日本文化離れが進んだことも、事実でしょうか?
ただそのお陰で、いまの日本があることも事実ですよね。
経済が、世界一流の自信がなくなる今、あらためて、日本人とは何かという、アイデンティが見直される時期にきているのかもしれませんね。