古伊万里江戸後期物の魅力

古伊万里江戸後期ものを中心としたブログです。
その日の気分で、俳句も作ってみようと思います。

幕末写真集その②大名屋敷

2008年04月12日 21時01分10秒 | みやまつりが日記
これは、江戸は愛宕山からみた写真です。
もちろん前回同様、オランダにあった写真です。

この瓦の波は、江戸城の一部ではありません。
ほとんどが、江戸の大名屋敷だそうです。
       




これは、江戸は中ノ橋付近の久留米藩有馬家の上屋敷だそうです。

お屋敷の塀に見えるところは、二階建てになっており、
江戸詰めの下級武士が住んでいたそうです。

この他に、中屋敷、下屋敷とあったのでしょうから、当時の大名の暮らしぶりがわかりますよね。

維新後は、政府に没収されて、工部省を経て海軍兵の宿舎になったそうです。
       




これは、肥後は、熊本城主の細川公の江戸の上屋敷だそうです。
塀の終わりが、ほとんど見えません。(笑)
当時の大名屋敷が、大きさがわかりますよね。

大名屋敷の中には、畑もあって、使用人が自給の野菜を作っていた処もあるそうです。
       



これらの、大名屋敷いまの世に何点か残して置きたかったですよね。

当時、これらの屋敷の維持管理、修復にどれだけのコストが、必要だったのでしょうか?
屋根や、壁の修復、畳替え、衣食住・・など等
大名屋敷と武士階級は、食事を含め、ただ、消費の生活をおくるのみですから、
その、需要と消費で江戸の町は、かなり潤っていたそうです。

江戸の言葉に、『おてんとう様と米の飯は、どこへいっても付いて回る』

       『鐘一つうれぬ日はなし江戸の春』 其角(芭蕉の弟子)

とあるように、地方都市と違い、飢饉と言うものは、存在しなかったようです。
うらやましいですよね。



最新の画像もっと見る

20 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは~^^ うわ~~~!凄い写真ですね~^^ (橘朝臣幸麿)
2008-04-13 17:17:00
最後の写真みたいな感じの学校が鹿沼にありました^^
今は新築しちゃったかな~?^^;
返信する
私も幕末写真や古写真が好きで・・ (bin*suk*)
2008-04-13 18:15:00
時代劇等で見る押し込まれた映像とはだいぶ雰囲気が違うな~と感じます。
皇居周辺や都内に行った時、古き時代の面影が微かに感じられると、感慨深いものですね(^^)。
返信する
見知っている武家屋敷と随分雰囲気が違い (元単(もとたん))
2008-04-13 19:13:00
ビックリしています!
松の老木や、遠方の杜も…
一体今は何処へ???
返信する
貴重な画像ですね。傑作凸です。 (しげチャン)
2008-04-13 20:09:00
良いコメント下さって感謝します。
今日は、洋風でマグカップです。ご覧下さい。
返信する
貴重な画像ですね。 (hana)
2008-04-13 23:32:00
明治維新当時は新しいものを吸収するのに必死で、古いものを否定することが」是とされ、戦後また同じ現象が起きましたが、今ようやく、自国文化に目を向け始めたのでしょうか?
返信する
幸磨さん。 (宮松里(みやまつり))
2008-04-14 05:58:00
鹿沼にありましたか。江戸期の建物らしきもの?
ここから鹿沼は近いので、こんど行ってみようかなぁ~。
返信する
ビンちゃん。 (宮松里(みやまつり))
2008-04-14 06:04:00
そうなんですよね。時代劇は、門あたりまでしか写しません。
実際、塀は二階建てで、ねずみ小僧が、簡単には乗り越えそうにはありません。
あと、中屋敷、下屋敷とありますから、我われが想像するお金持ちとはスケールが違いそうです。
返信する
元単身さん。 (宮松里(みやまつり))
2008-04-14 06:10:00
そうなんです。大名屋敷というと、我われが想像できるお屋敷のスケールでは無さそうです。
ドデカイお屋敷で、敷地には、大名の次男、三男のお屋敷もあり、
一緒に住んでいたようです。
あと、中屋敷、下屋敷とありますから、大変な大金持ちです。
返信する
しげちゃんさん。 (宮松里(みやまつり))
2008-04-14 06:11:00
ポチありがとう。
あとで拝見にうかがいますね♪
返信する
はなさん。 (宮松里(みやまつり))
2008-04-14 06:23:00
そうでよね。日本文化の貴重なことが、明治の人たちには、あまり感心が薄かったのかも知れませんね。
西洋文化に追いつき追い越せの、国威啓蒙思想の裏返しとして、
日本文化離れが進んだことも、事実でしょうか?
ただそのお陰で、いまの日本があることも事実ですよね。

経済が、世界一流の自信がなくなる今、あらためて、日本人とは何かという、アイデンティが見直される時期にきているのかもしれませんね。
返信する

コメントを投稿