大事なことを投稿し忘れていました。それは7月、福島県立棚倉高校同級生の家で見た卒業アルバムです。
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同級生A君のお母さんは、私はたちの同窓(福島縣實科高等女學校)にあたる先輩でした。
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校庭でテニスをしている写真もありました。
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真珠湾攻撃の翌年に卒業されたわけですが、卒業アルバム表紙の皇紀2602年、ページをめくると女子高らしく「良妻賢母」の文字が飛び込んできました。
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修学旅行では、鎌倉や皇居の集合写真の上に、英米への戦線布告の文字、鶴岡八幡宮の写真など、これほど歴史を実感できた資料を拝見したのは初めてでした。
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すでに戦時体制下にあっても、当時の日本人は子どもの教育を怠らなかったのですね。アルバムを手に、Sくんは「娘たちに、苦しい台所事情にも関わらず、修学旅行に送り出したんだよなぁ。
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その後、さらに状況が悪化し学徒出陣で、有為な人材を戦場に送り出したわけだから、よほど忍びなかったんだと思う」と語っていました。
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終戦を迎え、8年後にSくんは戦地帰りの日本男児と結ばれた母親から産まれ、同じ高校(戦後、男女共学の普通高校になりました)に入学したのですね。
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何も考えていないような、飄々とした言動のSくんから、「太平洋戦争って、バカなことをしたとか、反省することばかりだとか、こっちだけが悪いとかじゃなくて、いろいろ考えさせることがあるよなぁ」という言葉を聞くとは、まったくの予想外で不意を突かれました。