ごまめ~の~いちょかみ・Ⅱ

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権太楼の大落語論

2012-08-14 06:53:24 | 本の少し
権太楼の大落語論
クリエーター情報なし
彩流社

☆☆☆

あの権太楼さんが、歯に衣を着せず、想いの限り落語を語る。
マスコミで売れている芸人より、自分は「寄席の噺家」との自負をもって、
敵をつくろうと何をしようと、何の気負いもなく、大きな落語の未来を語る。


最初に印象に残ったのは、NHKの新人落語コンクールで、小朝さんに最優秀をさらわれた時、
あとから、考えれば、自分自身、他人の落語って見えてなかったということ。
あのころは、まだ、二つ目の時代には他人の落語のことは見えない。

正直いっていまでも見えないやつは見えないんだと。
そういうやつがね、「何だ、あいつが」とか「なんだよ、面白くも何ともねぇじゃねぇかよ」
って言っているような人はね、売れてないんです,と手厳しい。


また、落語界というのはピラミッド社会ではないんです・・・と。

一本の細い蜘蛛の糸が天から垂れていて、それを落語家さんたちが一所懸命よじ登っていくんです。
そして登りきったやつがスターになったり、看板になったりするんです。あとは砂利。
その糸を登りきるのがいつになるか誰にもわからない。二十代でくるか、四十代でくるか、
七十代でくるかほんと誰にも解らない・・・と。・・・・ほんと個人営業の塊、
あるとこでは、落語家さん協会に入って結束しているようにみえているが
、実はこの落語協会というのは「合羽橋」(大阪でいう道具屋筋か)、道具街なの。
同じようなもの売っているようで、「うちは鍋専門、包丁専門」といろんなものがある・・・名言、
逆に言えば、他との違いを明確にださなければ、客はつかないということ。

トップをはしるのはしんどいことでしょうが、もう年代的にもトップをはる位置・・・・
これからの落語界のリーダーという意味でで、小朝、権太楼ということにというインタビューに対し、

いやいや、あのね、落語界のためには、大局的に眺めれば、
小朝・正蔵の体制になってやらせてみてもいいかもしれない・と。
というのも、この世界は猿山と同じなんです。猿山では共和制は無理なんです。
昔から思っていることなんですが、俺たち落語家というのは、喧嘩が弱いやくざなんですよ・・(笑い)。

そして客にも苦言を・・・「誰それは、落語が下手というのは、言ってはいけない」と、
「嫌いだにとどめておきなさい」・・・・・好き嫌いで落語を聴くのは良いけれど、「下手」というのは、
己の中にある「嫌い」だっていうセンスがそう言わせているだけなんだと・・・。

同じ師匠関係でも、相撲の世界とは正反対、落語界にはスカウトなんていない、その人が好きで入っただけです。
上手い人、才能のある人が落語家になったのではないと・・
この世界「プロになりなさい」と言われて、落語の上手いやつが請われて入る世界ではないと、あからさまにでも真実を語る。

また、風間杜夫さんや、矢崎滋さんの落語に対しても、「好きにおやんなさい」とでも交流戦はやりません。と断言。、
だって、所詮私たちのグランドには立てない人たちですよ、。
俺たちはプロ、東京ドームの巨人軍、神宮のこっち側、草野球と同じグランドではやらない。

「俺たちは何年修行をしていると思ってるんだ。落語なんて誰にでもできるんだって・・・。」
普通は恥ずかしくて入ってこられないだけど・・・と。

寄席芸人としての、信念というべき思いが随所に表れる、権太楼さんの落語論。
東京の噺家さんたち、心強いリーダーをお持ちですな・・・・・・。


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