「祈る」を書きながら、どうしてこの字はこんなにも
難しいんだろうと思い、何度もやめようと思いましたが、
なぜ書けないのか、今頃になってぼんやり分かって
きました。
「深き森の語らい」の中のお二人の対談にハッと
させられました。
初女先生:祈りって、やっぱり自分を超えたところ
ですね。
自分があるうちはダメでないかって、
いつも思うんですよ。自分がなくなった
ところで本当のお答えが出てくるように
思うんですね。
ランディさん:でも、自分はありますよね。こうして。
初女先生:そう、かたちはね。
でもねえ、私、という、言葉を超えた、
いのちの筋っていうようなものが心の奥に
あると思います。
この短い会話が、どれほど深いものか、ようやく気が
つきました。
「いのちの筋」これが頭ではなく、実感として
分かった時に、新たなる一歩が踏み出せると
思うのです。
「祈」もああ書きたい、こう書きたいという自分が
あったから、あんなに難しかったんですね。
自分がないところで書かないと、祈りにならないのか…
深い、深すぎる…