~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

再びの「花を持って、会いにゆく」長田弘

2020-07-10 22:58:16 | 日記

スーパーに行くと、お盆の野菜

(胡瓜やなす)が、かごに入って売って

ました。

えっ!もうお盆なんだ!とびっくり

自粛後の時間は、早回しのように過ぎて

行きます。

亡くなった人を思う時、自然と空を見上げて

しまいますが、吉本ばななさんは

『亡くなった人たちは、私のことを

上のほうから見ているわけではなくて、

そばに来るときは、なんとなく自分の内側に

その人の目があるような気がするんです。』

と書かれています。

なるほど、そうかもしれません。

それでも、ふっと空を見上げ、

「見守られているんだな~」って

そんな気持ちに包まれることも、

私は好きです。

長田弘さんの「花を持って、会いにゆく」を

読んでみたくなって、検索したら

何と、自分のブログが出てきました。

5年前の彼岸花が咲く頃に、やっぱりこの詩が

恋しくなって、ブログに載せていました。

再び、お盆を前に…

この詩は、そういう詩なんですね。

 

  花を持って、会いにゆく

春の日、あなたに会いにゆく。
あなたは、なくなった人である。
どこにもいない人である。

どこにもいない人に会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。

どこにもいない?
違うと、なくなった人は言う。
どこにもいないのではない。

どこにもゆかないのだ。
いつも、ここにいる。
歩くことは、しなくなった。

歩くことをやめて、
はじめて知ったことがある。
歩くことは、ここではないどこかへ、

遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、
どんどんゆくことだと、そう思っていた。
そうでないということに気づいたのは、

死んでからだった。もう、
どこにもゆかないし、
どんな遠くへもゆくことはない。

そうと知ったときに、
じぶんの、いま、いる、
ここが、じぶんのゆきついた、

いちばん遠い場所であることに気づいた。
この世から一番遠い場所が、
ほんとうは、この世に

いちばん近い場所だということに。
生きるとは、年をとるということだ。
死んだら、年をとらないのだ。

十歳で死んだ
人生の最初の友人は、
いまでも十歳のままだ。

病に苦しんで
なくなった母は、
死んで、また元気になった。

死ではなく、その人が
じぶんのなかにのこしていった
たしかな記憶を、わたしは信じる。

ことばって、何だと思う?
けっしてことばにできない思いが、
ここにあると指すのが、ことばだ。

話すこともなかった人とだって、
語らうことができると知ったのも、
死んでからだった。

春の木々の
枝々が競いあって、
霞む空をつかもうとしている。

春の日、あなたに会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする