自分は、思うように体も動かないし、
人の役に立つことが何も出来ないから
生きている意味がないと言われたとき、
そんなことはない!と強く思うのに、それを
どう言葉にしていいのか…
言葉が見つからず、そんなことはないよと
言うのが精一杯でした。
筋ジストロフィーで安楽死を医師に頼み
亡くなった女性がいましたが…
ドリアン助川さんが、この女性のことに通して
書いていた文章が、心に響きました。
”社会に何らかの働きかけをして生きてこそ
人間だという社会の空気が彼女を
追いこんでしまったのではないか…
社会に役立つために仕事をしたい、お金を
もうけたい…
そういう価値観は否定しないけれど
重要なのは、関係性の中に自分の存在を
見出すことです。
「積極的感受」と言っていますが
人間はこの世界を目撃し、感受する者として
存在するとというとらえ方です。
木、鳥、太陽、音、光、ひと、人工物など
世界の全てを、見たり聞いたり、感じたりして
関係を持つことに生きる意味がある…」
ドリアンさんは、仕事も収入もなかった
40代のころ、多摩川の河原を散歩をしていて
”花が美しいと思う僕が、花との関係の中に
確かに存在し、それだけで十分。
自分の多摩川だと思った。
僕の人生の一部になったのです。
人間社会でダメだけれど応援しているよ、
と生命に励まされた感覚でした。”
と、書いています。
私も苦しくて、一日を生きるのが精一杯と
いう時に、寒さの中で背筋をピンとして咲く
小さな水仙の花を見て、頑張って生きて
行こうと思いました。
自然は神様だという人もいます。
大きな自然も身近な小さな自然も
黙って私たちを支えてくれているのかも
しれません。
道端で咲く花に、”ありがとう”と声を
かけるだけで元気になります。
空を見上げ、言葉を投げかける
そうすると、自分と空との関係が生まれ
晴れ晴れとして来るのです。
私なんて…と下を向いてしまわないで、
自分のまわりに目を向けてみて~
いのちが喜んでいるのが感じられるよ。
きっと…