~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

修学旅行

2009-12-20 21:22:00 | 日記
息子が修学旅行から帰ってきました。
たった三泊四日なのに、なんとなく寂しくて
つい「寒くない?」などとメールを送ってしまいましたが、
返事は勿論なし!
一人っ子で甘やかしてきたから、大学は一人暮らしするのよ。
と啖呵を切っている私ですが、どうやら私の子離れの方が大変
かもしれません。
修学旅行から帰ってきた息子は、沖縄の自然でもマリンスポーツ
でもなく、ひめゆり部隊の方から聞いた沖縄戦とガマに入った
ことを、一気に話してくれました。
私が「平和の礎」にもいったでしょ。どうだった?と聞くと
「お母さん、あそこには魂はないよ」と言うのです。
私は息子から、魂という言葉がでた事に驚きながらも「でも
あそこは、あれだけの人が亡くなったということだし、敵国の
アメリカ人の名前も刻んである、意味あるものなのよ」と言うと、
「それはそうだけど、魂はあそこにはないよ。名前だけだよ」と…
私は、魂を感じる子に育っていてくれたことに、感慨を持って
息子の話を聞いていました。
大切な人を失う悲しみを知っている息子にとって、戦争で
家族や友達先生を亡くしたひめゆり部隊のかたのお話が、
過去のこととしてではなく、痛みを感じて聞いていたようです。
 朝、祭壇の前に座ったら、ちょこんと沖縄の星砂がはいった
小さな瓶が置いてありました。
それを見た時、兄の思いを抱いてこの子は修学旅行に行ったんだ。
と涙が溢れてしまいました。
私達は三人になったけれど、でもいつでも四人家族だと、
星砂の入った瓶を見ながら思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元気でいてね

2009-12-19 21:23:47 | 日記
今日は、初女先生の講演会に行ってきました。
二か月振りにお会いしました。
遠く離れているので、一年の内にお会い出来るのは本当に
限られたものです。二か月くらい会えないのは、当たり前なのに
今回は、会いたくて会いたくてどんなに待ち望んだことでしょう。
先生の手を握ったら、胸が一杯になって顔がくしゃくしゃになって
しまいました。先生のお顔を見たら、先生もくしゃくしゃのお顔を
されていました。
私は、「先生が弘前に居て下さる。それだけでいいんです!」と
やっと言いました。先生は何度も頷いて下さいました。
 今は、大人も母性を求めている時代だから、初女先生は体を
休める時間もありません。
でも、考えてみれば先生は米寿なんですよね。
その米寿の先生に、私たちは何もかも求め過ぎているのかも
しれません。

 先生が弘前に居て下さる、それだけで元気になれるし
 苦しい時も頑張れるのです!
だから、元気で元気で元気でいてくださいね。
今日の講演会の最後の
   「出会いほど尊いものはない
      この出会いが次のよき出会いに繋がるように。」
と言う初女先生の祈りのようなお言葉が、今も心に響いています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初雪

2009-12-18 08:35:10 | 日記
義父の四十九日で広島に行ってきました。
お寺での法要を終え、みんなでお墓の前に行くと陽が差していて
とても暖かく、「今日は陽気が良くてよかったね」と言って
いたのですが、いざ納骨という時になったら、急に曇りなんと
雪が舞ってきたのです。
今年初めての雪が…
そして、納骨が終わると雪は何処かに去るように消えてしまいました。
私は、これは義父からのメッセージだと思いました。
亡くなって行く人は皆、何かしらのメッセージを残してくれると
思ってます。
 息子の時は、前日にはなかったのに葬儀の日の朝になると、
左目の目頭のところに、一粒の涙がありました。
それは、睡蓮の葉の上の水の滴のような、まんまるの涙でした。
弟はこれを、あまりに早い突然の死に対する兄の無念の涙だと
今も思っています。
でも、私はその涙を見た時に「お母さん 僕は死んで無くなって
しまった訳ではないよ。魂はちゃんと生き続けているからね!」
と伝える涙だと直感しました。
無くなった人からのメッセージを、自然現象の一つと見てしまうと
何も感じられません。
魂の伝言として受け止めると、繋がっていることが分かります。
 納骨の時に雪を降らすなんて、お義父さんも粋なことをやるな!
と思っていたら、こんなことが似合いそうな若いハンサムな
義父が写真の中で笑っていました。
この初雪は、ずっとずっと私の心の中で消える事のない雪と
なりそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感謝

2009-12-15 20:28:38 | 日記
初女先生はよく「明るく素直に感謝して」と言われます。
私は、自分の名前(すなお)が出てくるので、この言葉が
とても好きで、何かあるとこの言葉で自分を元気にしています。
初女先生は、常に感謝の心を持っています。
感謝は目に見えないけれど、現れて来るものだと言うことを
先生のお言葉で知りました。

   感謝の気持ちを抱いている時
   目は輝きを持ちます。
   特別な贅沢を望むことなく
   いつも感謝のお祈りをしていることが
   目の輝きに現れてくるのです。

                 佐藤 初女
 
感謝の心が目の輝きとなって現れるとは…
私の目は輝いているかしら
まだまだ輝きが足らないのでしょうね。きっと…
 明日17日は、お義父さんの四十九日
 感謝の気持ちを持って、明日を迎えよう。
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄

2009-12-15 17:51:25 | 日記
今朝、子供が修学旅行に行きました。
この間入学したと思っていたら、もう修学旅行。早回しをしている
ような時の流れを感じます。
息子にとって、今回が二度目の沖縄です。
長男が亡くなった翌年、家族三人で沖縄に行きました。
それは、長男との約束を果す旅でもありました。
 中二だった長男は、反抗期の真っ盛りで母親の私とよく
ぶつかっていました。
それを見ていた主人が息子に「期末試験が終わったら、沖縄に連れて
行ってやる!」と言うと、息子は「沖縄!超嬉しい!沖縄に行きた
かったと、こちらが驚くほど喜んだのです。
その長男が、沖縄に行く前にもっと遠くに行ってしまいました。
残された私たちは、あんなに喜んだあの子との約束を守らなければ
と、沖縄に行きました。
陶芸家のTさんは、行く前日に連絡したにも関わらず、
三線に唄という沖縄ならではの楽しい温かい時間を作って迎入れて
くださり、息子には三線を教えてくれました。
今、息子は三線ではなくギターに夢中ですが、遠い記憶のどこかに
あの時の三線があるのかもしれません。
一週間もいた沖縄なのに、私はほとんど覚えてないのです。
写真に写っているのは、笑っているのに今にも泣き出しそうな
薄い笑顔の私で、その横にこの危うい母を守ろうとしているかの
ように、10歳の息子がぴったりと寄り添っているのです。
先日、私が「三人で沖縄に行ったけど、ほとんど覚えてないや」
と言うと「あの時お母さん変だったもん」と言うのを聞いて
ひどく驚きました。
たった10歳だったあの子が、兄を亡くした寂しさを少しも見せず
母の心配をしていたのです。
私は、家族に中で自分一人で立ち直ったと思っていたことが
とても恥ずかしくなりました。

 今日、彼はどんな思い出沖縄に行ったのでしょう。
   兄の行きたかった沖縄に
   兄の行けなかった修学旅行に…
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笛の音

2009-12-14 21:45:07 | 日記
昨日は、松尾慧さんの笛のコンサートに行ってきました。
本当に心に響く笛の音でした。
初めて松尾さんの笛を聴いた時、笛の音がいきなり魂に飛び込んで
来て、涙が止まらなくなりました。
自分でも訳が分からず、ただ涙だけが流れていました。
演奏が終わった後に松尾さんが、「笛は太古の昔から天との交信に
使われていました。私は祈りとしての笛を吹きたいと思っています。」
と言われたのを聞いて、涙の訳が分かった気がしました。
古(いにしえ)の人は、笛で天に思いを届けたのでしょうか。
天からの答えは、風であったり、光であったり、虹や星の瞬きで
あったりしたのでしょうか。 
天と交信したいと願った太古の人の思いが、私の中にも生きている
ようです。
松尾さんの笛の世界に包まれて、しばし古(いにしえ)の人の心に
なって、天に思いを馳せていました。
 イスキアの小さな森で、あの子と交信したくて「祈り」という
曲を吹いたことがありました。
あんまり下手だったので、天まで届かなかったようです。
いつか、私の思いを天に届けたい…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢が伝えること

2009-12-13 13:03:20 | 日記
昨日 夢をみました。
3歳ぐらいの一番かわいい頃の息子が、夢に出てきてずっと私と
遊んでいました。大好きだった黄色のミッキーのトレーナーを
着て…
このいたずらエンジェルの息子が夢に出て来る時は、決まって
私への警告を意味しています。
私は夢は、とくに亡くなった人が出てくる夢は、ただの夢でなく
その人からのメッセージだと思っています。
私がとんでもない事をした時に、3歳児のあの子が夢に出てくる
のです。
 つい先日、私は自分の浅い考えから、相手の思いを踏みにる
行為をしてしまいました。
そのことに気がついた時、「あ!こんなことをして、あの子は
どんなに怒り悲しむだろう。」と思いました。
 初女先生は、神様とダイレクトに繋がっていますが、私はまだ、
亡くなった子供が私の基軸となっています。
あの子が「それはいいことだよ!」と喜んでくれること、
祝福してくれることをやって行こうと思い、今日まで来ました。
私が、あの子を悲しませる事をした時には、「母さん、だめだよ」
と怒るのではなく、夢の中で一番楽しい思いをさせてくれるのです。
これはきっと、ひどい事をして硬直した私の心をあの子が、
楽しい夢で耕してくれているのではないか、と思うのです。
今回私の心がひどく、ひとりよがりなっていたのでしょう。
息子は、私が目覚める瞬間まで夢の中にいてくれました。
 どこまでも謙虚に生きておられる初女先生を、目の当たりに
しているのに…
私はと言うと、すぐに自分が顔を出し謙虚さを失ってしまうのです。
息子はこの危うい母を、案じて夢の中で必死にメッセージを
送ってくれるのです。
やってしまったことや、言ってしまったことは、ビデオテープ
のように取り直しも消すこともできません。
一つ間違うと、相手を傷つけ踏みにじる、そういう自分が自分中に
いることを心に刻んでおかなければ!
「お母さん 気をつけて!」と息子が一晩中夢の中で一緒にいて
くれました。
今朝は、感謝の気持ちで、朝を迎えることが出来ました。
     


  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青い鳥

2009-12-12 08:08:44 | 日記
昨日届いた生協の荷物を開けたら、いかにも高そうな苺が入って
いました。注文した覚えがないのに…と思いましたが、どうやら
注文票に書くときに、隣の欄に1と書いてしまったようです。
そう思った途端、子供のことを思い出しました。
ある日、生協の荷物の中から頼んだ覚えのないメロンが出てきた
ことがあり、配達トラブルかと思っていたら犯人はうちの子でした。
小学生になり字が読めるようになった長男が、メロンのところに
1と書いていたのです。
本当にあの子の思い出は尽きることがありません。
友達や先生にも、今でも笑える思い出を沢山残しています。
 先日、メーテルリンクの「青い鳥」について書いてある文章に
出会いました。
私は、しあわせの「青い鳥」を探しに行ったチルチルとミチルが
実は、しあわせの青い鳥はすぐ傍にいたんだ!と知る物語かと
思っていました。
しかしその文には、命が与えられて天国から
地上に生れ出ようとしている、子供達の場面が載っていました。
 その子が「僕はあの病気とこの病気になって○歳で死ぬんだ」
 と言う、見ている者が「不幸ね」と言うと「そんなことはない」
 と笑顔で答えて生れてくると…
もしかしたら、うちの子も与えられた人生の時間を知っていたのかも
しれない。だから、出会ったみんなに忘れられない思い出と
明るい笑顔を振りまいていたのかしら
あの子は、私達の「青い鳥」かもしれない。そして、この青い鳥が
繋いでくれた出会いと気づきが、今の私を育ててくれている
 いつも、奇想天外のことをしていたあの子だから、
「僕は13歳で突然死んで、また天国へ戻ってくるよ」と笑顔で言う
姿が想像出来てしまうのです。
あの子の姿を探しながら、子供の頃読んだ「青い鳥」をもう一度
読んでみよう… 
  

  
  
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嬉しい日

2009-12-11 21:41:39 | 日記
昨日は嬉しいことが、二つもありました。
一つは、素敵なメールが届いたことです。
ブログに「おはよう」というのをかいたところ
「心を込めての、いってらしゃい おかえりなさい は言われた人を
守ってくれると言われました。」とメッセージして下さいました。
なんて素敵な言葉でしょう!
今まで、ただの挨拶と思っていた言葉が、この瞬間から全く違う
輝きをもって私の中に響いてきました。
 今朝、修学旅行の荷物を持って行くという子供を、車で送った時
心を込めて「気をつけてね!」と言うと、朝は別人のように愛想の
ない息子が「はい はい 」と答えるのです。
そして、「いってらっしゃい!」と言うと、高校生とは思えない
くらい素直に「はい!」と言って車から降りて行きました。
こんな短い言葉なのに、気持ちはちゃんと伝わるんだ!と
それは私にとって嬉しい驚きでした。
どんな言葉も、言う人の心によって祈りになるにかもしれません。
初女先生の言葉は、祈りそのものの様に思えます。
そう思っていたら電話のベルが鳴り、受話器の向こうから
「すなおさん」と言う初女先生の声が聞こえてきました。
もうそれだけで嬉しい嬉しい気持ちになりました。
 私に大切な気づきを与えてくれたメール!
そして、そのメールを読んだ後にかかってきた初女先生の電話!
すべてが繋がっていることを、感じないではいられませんでした。
嬉しい事が嬉しいことを呼んだ、素敵な一日でした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンタさん

2009-12-10 20:43:12 | 日記
昨日は、義父のお香典返しを選びにデパートに行きました。
店員さんとやりとりしいて、まるでお歳暮でも選んでいるような
自分に気がつきました。
天寿をまっとうした死は寂しいけれど、悲しみや苦しみでは
ありません。
 息子の時は、なんで親が子供の香典返しをしなくちゃいけないの。と
ぼろぼろになっていました。
お香典返しを延ばしに延ばしていて、クリスマスイブに主人に
「もう、タイムリミッだよ」と言われ重い腰をあげました。
クリスマスソングが流れる街は、人であふれていましたが
こんなに人がいるのに、あの子はいないと、泣きながら
歩いていたのを今でも覚えています。
  うちの子供達は、「クリスマスは一年の中で一番好き!」と
言ってました。
クリスマス前に、サンタさんに手紙を書いてツリーに置い
とくと、いつの間にか手紙が無くなっていて、イブの日に
目が覚めると、ツリーの下にお願いしたプレゼントがあるという
のが我が家のクリスマス!
二人共、随分大きくなるまでサンタさんを信じていました。
6年生になった息子が、「サンタさんって、お父さんなんでしょ。」
と言った時、私は「弟には黙っていてね!」とお願いすると
「うん、分かった!」と大人と大人の約束だ。というような
顔をしていました。
そして、最後までそれを守ってくれました。
 兄がいなくなって迎えた初めてのクリスマスに弟は、サンタさん
への手紙に「お兄ちゃんにも、プレゼントを下さい」と書いて
いました。私は「お兄ちゃんは、神様のところにいるから、
もう要らないの。」と言うのが精一杯でした。
サンタさんを信じていた下の子のお願いは様々で、大売り出しの
くじ引きのガラガラだったり、サンタさんの写真だったり、
新撰組の羽織だったり…
その度にお父さんサンタは、子供の願いを叶えようと奮闘してました。
いつか、息子が親になった時、彼もきっと奥さんが呆れるほどの
お父さんサンタになるだろうと、私は思ってます。
 悲しみも喜びも苦しみも、すべてを時が呑み込んでくれる
のでしょうか…
今は思い出となって、心に刻まれています。
これもまた、自然の摂理というものなのでしょうか…
17歳になった息子は、天国から送られてくる兄からのプレゼントに
気づき始めているようです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする