~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

心温まる間違え電話

2015-04-16 22:54:14 | 日記

夕方、佐藤初女さんのところに行きたいのですが…と

若い女性の声で電話がかかってきました。

「うちは、森のイスキアじゃなんですよ」と言うと、

慌てて「すみません、間違えました」と電話を切ろうと

するので、「私は初女さんの講演会をやったりして

いるの、今日は皆さん東京に来ているからお留守だと

思います」と話すと、少しほっとした声になり「イスキアに

行ったら泊まれますか?何泊できますか」と

堰を切ったように質問されるのです。

「今は、1泊かな。ホテルと違って、申し込んだら

直ぐ泊まれるというわけではないの

先ずは、FAXで申し込んでみて」と言うと

「あのー、そこに行ったら初女さんと話せるんですか」

と、どこか切羽詰った声で聞かれるので、

「はい、初女さんがお料理して下さったり、勿論

話せますよ」と言うと、今すぐ行きたい様子に

この方もまた、初女先生を求めて求めて

いらっしゃるんだなと、思いました。

「出会いは未来をひらく」

一日も早く、初女先生に出会ってほしいと

思いました。

心温まる、間違い電話でした。

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ごきげんよう

2015-04-14 23:25:15 | 日記

先日、学習院女子大に初女先生の講演会の

打ち合わせに行った時、丁度土曜日

だったので,

制服を着た中高生を見かけました。

どの子も、きちんと制服を着ていて、何だかとても

清清しい感じがしました。

キャンパスの木々や草花は、手入れが行き届き、

教育の場というのは、すべてが子供を育て

環境なのだとあらためて感じました。

門のところには、守衛さんがいて、帰っていく学生さんに

声をかけています。

それが何と、「さようなら」ではなく、「ごきげんよう」

なのです。

久しぶりに聞く「ごきげんよう」でした。

やっぱり、美しい日本語というのは、いつ聞いても

いいものだと思いました。

守衛さんの「ごきげんよう」は、とても自然で何の

違和感もありませんでした。

私も、ちょっと勇気を出して「ごきげんよう」と

言ってみたくなりました。

言い慣れてないと、出ない言葉です。

こんな素敵な日本語を、消滅させては

いけません。

私も「ごきげんよう」の練習をしよう!

そして、初女先生に「先生、ごきげんよう」と

お声をかけよう…

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味噌作り

2015-04-13 23:46:20 | 日記

今日は2月の寒さになるというのを聞いて、

体調がいまいちで、ずっと延び延びになっていた

「みそ作り」を決行したのです。

去年は、初女先生は大豆を指で潰すというのを

聞いていたので、やってみたら腱鞘炎になりそうに

なったので、今年はすりこぎで潰すことにしました。

ミキサーを使うと早いのですが、食材のいのちを

考える初女先生を見ていると、ミキサーは

有り得ないことなので、すりこぎで潰したら

指よりは楽でしたが、それでも大変で一日がかりの

味噌作りとなってしまいました。

昔はきっと家族総出で、一年分の味噌を作ったの

でしょうか。

こういう手仕事が、人と人とを繋いでいく、そういう

風土にあったのですね。

初女先生は、毎年養護施設の高校生をイスキアに

よんで、家庭的なことを伝えたいと、夏休みに

お味噌つくりをしているのです。

お味噌つくりを教えて、果たして何人の子が

お味噌を作るでしょう…

先生は、この手仕事を通し、言葉では伝えられない

大切なことを、やがては母となるであろう少女達に

伝えようとしているのだと思いました。

大豆をすりこぎで潰したのに、なぜか今年も

腱鞘炎になりそうな痛さがあります。

かめに仕込んだお味噌には、「有難うございます」

という紙と、初女先生のおむすびを結んでいる

チラシを貼りました。

言霊と初女先生のエネルギーで、美味しいお味噌に

なりますようにとの願いをこめて…

今年の味噌作りが終了しました。

 

 

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やっぱり今を生きる

2015-04-12 23:34:41 | 日記

昨日は、学習院女子大にイスキアの集いの

打ち合わせに行きました。

今年のイスキアの集いは、大学のホールで

開催することになりました。

初女先生を敬愛しているS教授が、前面協力して下さり

学生さんのスタッフと一緒に、今までとは違う集いに

なりそうです。

都会の真ん中にあるキャンパスなのに、とても

落ち着く場所でした。

若い人に伝えたいという、初女先生の思いが響き合う

そんな講演会になりそうです。

打ち合わせが終わり帰りに、東中野に田口ランディさん

が、出演される「依存症は病気です」という対談に

行きました。

私の友人のご主人が、アルコール依存症になり

初めて依存症が、精神障害だと知ったのです。

それまでは、意思が弱いから依存症になるのかと

思っていました。

お父さんが、アルコール依存症だったランディさんが

依存症は、人との繋がりがないと、治らない病気だ

と、言っていたのを聞いて、友人が「私がいないと

この人生きていけないのよ」と言っていたことが

思い出されました。

人と繋がることが難しいのに、人との繋がりがないと

治らないとは…

家族は、地獄の苦しみだと言います。

誰かが一緒に歩いてくれないとだめだと言う

依存症という病気は、何を私たちに伝えようと

しているのでしょう…

8ヶ月前に刑務所から出てきたと言う

田代まさしさんこと、マーシーが「もう、決して

薬はやりません。と言ってもやめられない。

今日はやりません。という一日一日の決心なのだ」

と言うのを聴いて、初女先生の「今を生きる」が

重なりました。

生きるとは、今このときしかないということを

改めて感じました。

 

 

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初女先生のお好きな聖句

2015-04-09 23:13:46 | 日記

随分前になりますが、初女先生に「先生のお好きな

聖句はどこですか」と、聞いたとき

コリントの信徒への手紙と言われていました。

どこの箇所だか忘れていましたが、今日 先生の

本をみていて、あーここだったと思い出しました。

先生の母性の土台がここにあるような気がしました。

 『愛は忍耐強い。 愛は情け深い

 ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。

 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、

 恨みをいだかない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ

 すべてをしのび、すべてを信じ、すべてを望み

すべてに耐える。

愛は決して滅びない

              コリントの信徒への手紙』

初女先生は、人が生きるうえで必要なことが、ここに

集約されてるように思います。と言われ

聖書に使われる「愛」と日本語の「愛」はちょっと

ニュアンスが違うものだと思います。と言われて

います。

「愛」のところを「母の心」にして読んでみると

少し、母の心が見えて来る気がします。

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初女先生の言葉の深さ

2015-04-08 18:19:24 | 日記

昨日、今日となんという寒さでしょう。

桜の季節も終わろうとしているのに…

春になるのも大変なんだなーと、思ったときに

初女先生のお言葉が思い出されました。

「冬の厳しい寒さにも値する、愛情ある助言」

北国の冬の寒さを知り尽くしている初女先生が

その寒さに値する愛情とは…

寒さの中で春を待つ、木々や植物たちを思うとき

どんなに厳しい寒さの中にあっても、必ず訪れる

春に向け、黙々と芽吹きの準備をしている姿が

思い浮かばれます。

初女先生が言われる助言とは、どんなに厳しくても

その底にある深い愛情が、辛くてもやがては

春に向かう心を支えると言うことでしょうか…

「冬の厳しい寒さにも値する、愛情ある助言」

噛み締めれば、噛み締めるほど深い言葉です…

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母の心

2015-04-07 23:36:41 | 日記

母親って何だろうと、思うときに私の心に浮かぶのは

初女先生の母の心です。

  『耐えがたきを耐え

  忍びがたきを忍び

  あたたかい太陽を思わせるやさしい言葉

  冬のきびしい寒さにも値する愛情ある助言

  慈しみの雨のように涙を流して共感する

  なごやかな風を思わせる雰囲気

  それが母の心

                佐藤 初女』

何と深い言葉でしょう。

20年以上も母親をやっていますが、初女先生の

このお言葉の中の一つとして出来ていません。

感情をぶつけ、怒ることはあっても、

「冬のきびしい寒さにも値する愛情ある助言」

なんて言ったことがあるでしょうか…

先生がしみじみと「お母さんになるのって難しいのよ」

と、言っていらしたのを思い出します。

息子が社会人になり、子育ても終了と思っていたら

また、お弁当作りが始まりました。

帰って来た息子に「今日のお弁当どうだった?」と

聞くと、半分食べて後でまた残りを食べて

何を食べたか覚えてないと言うのです。

大変なんだなーと思いつつ、私に出来ることは

ご飯を作ることなんだと、思いました。

「食」でしか伝えられないことを、教えて下さったのは

初女先生です。

あ~、初女先生の「母の心」は何と深いのでしょう…

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初女先生の生き方

2015-04-06 21:31:29 | 日記

昨日、久しぶりに初女先生にお会いして来ました。

1月に弘前でお目にかかった以来です。

今日、生活クラブの冊子を見たら、田口ランディさんが

弘前に初女先生に会いに行ったことを、書いて

いました。

その中の、「小さな小石を積み上げるような

初女さんの生き方…」という言葉に、

あっ、ランディさんは分かっていたのかと…

私は、やっと最近そのことに気がついたのです。

一日、一日丁寧に生きる、その積み重ねが

初女先生の生き方であり、先生の人生なのです。

言葉にすると、簡単ですが90歳を超え

体が思うようにならなくなっても、手を抜くこと

なく、丁寧に丁寧に…

それは、どんなに大変なことでしょう…

ランディさんは『丁寧に面取りをして野菜を煮る

青い野菜は翡翠のように輝いて、茎が透き通った

瞬間に湯から上げるよう、教えられた。

「いのちは、移しかえられるとき透明になるのね」

さあ、どうぞわたしの命をもらってください。

初女さんには、野菜の声が聞こえるのだろう。

初女さんご自信も、だんだん透明な光に

なっていかれるようで、せつなかった。』と

書いていました。

先生のお宅をおいとまする間際、

糠漬けのやり方を、見せてくださった初女先生

そのお姿に、何ともいえない切なさを感じて

しまったランディさんと私です。

「初女先生のこの深い慈しみの心を、たくさんの人に

伝えていかなければと思う。」という言葉で

ランディさんの文章は終わっていました。

私は、先生から頂いた深いお心を

どのようのお返しすればよいのだろうか…

 

 

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植物の小宇宙

2015-04-04 20:32:46 | 日記

今日は、鎌倉を知り尽くした植物の先生Kさんの案内で

みんなで鎌倉山歩きに行って来ました。

普段は気づかないような小さな草花に、足を止め

ルーペで細部まで見てKさんの説明を聞きました。

こうやって植物の世界を味わうと、この地球という

星の生物多様性を感じずにはいられません。

いつ、誰がつけたか分からないけれど、

小さな小さな草花には、みんなそれぞれに合った

名前が付けられていて、そんなことにも感動しちゃい

ました。

古木になったヒイラギの葉は、とげとげが無くなり

丸くなった葉もあるのです。

歳をとると、ヒイラギの葉だって丸くなるんだねと

感心したり…

与えられた場所で、いのち一杯生きている植物達に

いのちの本質を見た気がしました。

花曇のお天気でしたが、心は浄化されたように

清清しくなりました。

植物の小宇宙を感じた鎌倉山歩きでした。

 

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「創」を書く

2015-04-03 22:19:20 | 日記

今年も、上野の東京展に書の作品を出す時期が

やって来ました。

今回は、「創」を初めて大筆で書くことにしました。

今まで、小さい筆で書いてきたので、大筆でも

書けると思ったのです。

書いても、書いても、私の思う「創」からどんどん

離れていくのです。

創(つくる)は、亡くなった息子の名前なので

思いが余りにも強すぎて、全く書けなくなって

しまいました。

もう、書けないのではという不安と、

書かなくては息子に申し訳ないという思いを

抱えながら、書いた「創」は酷いものでした。

先生に「最後の1画は、始まりも終わりもない

そんな線にしたい」と言うと、「思いが強すぎる

最後の1画をそんなに思わずに書いてみなさい」と

言われ、頭が真っ白になりました。

「創」の最後の一画は、私と息子を繋ぐ線だと

思っていたので、この一画を書く為にすべてを

かけていたので…

どうしていいか分からなく途方にくれていると

創の笑顔が浮かんできたのです。

あの子は、明るく楽しいことが大好きだったなと

思ったら、楽しい気持ちで書こうと、気持ちが

切り替わったのです。

こだわった最後の一画は、自分の意思とは

関係なく、思ってもいない短さで筆が

上がったのです。

筆に書かせてもらうとは、聞いていましたが

最後の一画は、筆の意思で短くなった感じ

でした。

出来上がった「創」は、天国の息子と私を

繋ぐ線は書けなかったけれど、

充分過ぎるくらい、創と向き合えました。

「書」をやりだして、こんなに苦しかったのは

初めてです。

それも、私と息子との時間でした。

ちょっとコミカルな「創」は、あの子の笑顔の

ようです。

 

 

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