今朝の新聞に「女たちの3.11」という投稿が
載っていました。
『豆腐、納豆、卵、牛乳、ほうれん草のおひたし
煮物、焼いたサケ、味噌汁…』これは2011年
3月11日の午後に、石巻の女性の家の冷蔵庫に
入っていたものだそうです。
あの日は金曜日で、この女性は週末の同級会に
参加するために留守中の食事を冷蔵庫に用意して
いたそうです。
震災当日の話を聞くと、女性は6年前の冷蔵庫の
中身から語ったと書いてあり、そのことが
私の心に残りました。
日常の生活が突然奪われたとき、記憶はその前の
処から、まるで細胞に照射されたように
消えない記憶として残って行くのです。
私も、子どもが倒れたと連絡を受けた時のことが
昨日のことのように、ハッキリと覚えて
いるのです。
小田原で買って来た新鮮ないなだを刺身に
しようと準備をし、息子の好きなコロッケを
作っていた時に電話が鳴ったのです。
学校へ向かった時着ていた服も手提げも、
あの日あの時の空の暗さも、全部私の中に
残っているのです。
人間の記憶の不思議さを感じます。
昨日までの当たり前の日常が剥ぎ取られる時
初めて、その日常がどれほど掛け替えのない
ものだったかに、気が付くのです。
それが石巻の女性にとっては、冷蔵庫の中身
であり、私は息子に食べさせようと思った
おかずだったのです。
今日、何年振りかで子供たちが小学校の時に
よく行った「わんぱくの森」に一人で散歩に
行きました。
子犬のようにころころと走り回っていた
子どもたちの思い出が、突き上げて来ました。
「となりのトトロ」に出てくる”りゅうのひげ”を
見つけて、その実を子どもたちと摘んだこと…
その”りゅうのひげ”が今なお生い茂っていたのです。
涙が溢れながらの散歩となってしまいましたが
春に向かう木々や草花に励まされました。
明日は3月11日
今年もランディさん達の慰霊祭に行ってみようと
思います。
消えない記憶を胸に、集う人と共に同じ時間を
過ごす為に…