日常一般

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谷崎潤一郎作『細雪』変わるものと変わらぬもの

2012年04月11日 | Weblog
  細雪 谷崎潤一郎作
 時は第2次世界大戦(1937~1941年)前夜、欧州においてはヒットラーがケレンスキー内閣を倒し、政権を握り、着々と戦争の準備を進めていた。ロシアでは革命後内戦がおこり、赤軍と白軍との戦いが、赤軍の勝利に終わり、多くの白系のロシア人が、各国に亡命した。妙子の人形作りの弟子になったカテリーナ・キリレンコとその家族は、この白系の亡命ロシア人の一人である。彼女は、離婚した元夫のイギリス人のもとに引き取られた娘を奪い返すために訪英する。日本も長引く日中戦争の中、市民の生活は窮屈になっていく。そんな中、隣家に住むドイツ人シュルツ一家は、その影響を受け、商売がうまくいかなくなり、ドイツへと戻っていく。このように「細雪」の世界(昭和10年代)は、時代の大きな波に洗われていた。
この作品は、大阪船場に古い暖簾を誇っていた蒔岡家の4人姉妹、長女の鶴子、次女の幸子、三女の雪子、そして、こいさんの妙子の繰り広げる人間模様を描いている。時は昭和の10年代。この作品は、関西の上流社会の 、四季折々の風景、生活を中心に描かれる絵巻物である。
長女の鶴子と、次女の幸子は既婚者で、本家と分家に別れて生活している。雪子と妙子は独身である。本来なら本家に住む筈の雪子も妙子も義兄を嫌って、分家の幸子夫婦のもとで暮らしている。本家と分家はそのことでしばしば諍いを起こしている。雪子は仕方なしに、本家に戻ることはあっても、じきに分家の方に戻ってくる。分家には悦っちゃんという可愛い、幸子の一人娘がいて雪子とは「相思相愛」の中である。悦ちゃんは母親より雪子になついている。妙子は決して戻ろうとはしない。夙川に人形作りの仕事場を借り、そこで仕事に精出している。
雪子は純日本風の美人で、和風姿が似合い、立ち居振る舞いも優雅である。30路には入ってもいまだに独身で姉たちをイライラさせている。全てに渡って消極的で、縁談の話も、姉たちにまかせっきりである。
それに反して、妙子は、雪子とは対照的で、恋愛においても自由奔放にふるまう。貴金属商を父に持つボンボン奥原啓三郎と付き合いながらも身分的には格下のカメラマンの板倉や、バーテンダーの三好とも付き合っている。奥原の敬坊は、お金持なので利用されているにすぎない。妙子は、そんなちゃっかりした面を持つ近代女性である。蒔岡家という、由緒正しい家柄を誇る蒔岡家の鶴子も、幸子も、そして雪子までも、そんな妙子を苦々しく思いながらも、彼女に振り回されている。妙子は自活を図り人形作りや、洋裁で身を立て、挫折はしたものの、留学まで考えていた。自活するために職業婦人になって生きようとする妙子に、鶴子と幸子は悩まされる。職業婦人など由緒ある蒔岡家にとっては、もってのほかである。女性はしかるべき家柄の夫人になり、貞淑な妻として生活することが、当時の上流階級の風習であった。そんな姉たちの気持ちなど妙子は全く意に介そうとはしない。
「不易」と「流行」、変わるものと、変わらないもの、古い伝統と、それを否定する近代、日本と西欧、これら相反するものが、雪子と妙子の中にそれぞれ存在する。古い日本を代表する雪子と、新しい日本を代表する妙子と、その中に葛藤が見られる。谷崎潤一郎は文明批評を試みているのです。
新潮文庫の「細雪」は上・中・下の三巻に別れている。上巻では、ほとんどが雪子中心に描かれ,中巻では妙子が中心で,下巻では蒔岡家という家族が中心です。
この作品は、月刊誌「中央公論」に1942年から掲載し始めたが、1943年、時の軍部から「内容が戦時にそぐわない軟弱なもの」として掲載を差し止められる。しかし、戦後1948(昭和23)年に京都鴨川べりに住まいを移し谷崎潤一郎は、この作品を完成させている。
このように「細雪」は戦時に執筆をはじめ、出版差し止めというなか、戦後に何とか完成させたのではあるが、戦時の制約の中、自由に書きすすめるわけにいかず不自由な思いをしたと谷崎潤一郎自身は語っている。「例えば関西の上流、中流の人々の生活の実相をそのまま写そうと思えば、時として「不倫」や「不道徳」な面にも亙らぬわけに行かなかったのであるが、それを最初の構想のままにすすめることはさすがに憚られたのであった。----------------、今云うように頽廃的な面が十分にかけず、綺麗ごとで済まさねばならぬようなところがあったにしても、それは戦争と平和の間に生まれたこの小説の避けがたい運命であったともいえよう」と述べている。
しかし戦後制約のとれた中でも改定されることなくそのまま出版されている。
軍部の評価がいかなるものであろうと谷崎潤一郎の作品は戦後、評価され、毎日文化賞、朝日文化賞など数々の賞を受賞し、その中でも「細雪」は、近代日本文学の代表作と見なされている。

「細雪」は、大阪船場で古い暖簾を誇る、上流階級・蒔岡家の四人姉妹、「鶴子」「幸子」「雪子」「妙子」の繰り広げる物語です。鶴子と幸子は既婚者で「本家」と「分家」に分かれています。三女の雪子と四女の妙子は独身です。本来なら本家に住む筈の雪子も妙子も本家を嫌って、分家の幸子夫妻のもとで暮らしています。本家と分家はそのことでしばしば諍いを起こしています。雪子は仕方なしに本家に戻ることもありますが、すぐに分家の方に戻ってきます。しかし義兄を嫌う妙子は決して戻ろうとはしません。
雪子は純日本風の美人で、和服が似合い、立ち居振る舞いも優雅です。30路に入っても、嫁げず、いまだ独身です。全てに渡って消極的で、縁談の話も姉たちにまかせっきりです。
これに反して四女の妙子は、雪子とは対照的に、恋愛に対しても自由奔放です。ボンボンの奥原啓3郎と付き合っていながら、身分は格下のカメラマンの板倉や、バーテンダーの三好とも付き合っています。奥原は利用されているにすぎません。そんなちゃっかりした面をもった近代女性です。由緒正しい家柄を誇る鶴子も幸子も、そして雪子も自分たちを、てこづらせ、悩ます彼女に翻弄されます。自活を目指し、人形作りや、洋裁で身を立てようと、挫折はしたものの、留学までして自活の道を探しています。職業婦人など、もってのほかと怒る本家の気持ちなど全く意に介しません。
「不易」と「流行」という言葉があります。変わらないものと、変わるもの、伝統と、それを否定する近代、日本と西欧、この相反するものが雪子と妙子の間に存在します。ここには「痴人の愛」の中で述べた古い日本と新しい日本の葛藤が見られます。谷崎潤一郎は文明批評を試みているのです。
 この物語は雪子の見合いから始まります。若いころは降るほどあった見合いの話も30路を過ぎたころから、めっきり少なくなります。顔に知性が無いとか、田舎紳士だとか、地方に住みたくないとか、縁者に精神異常者がいるとか等々、我が儘ばかり言っていた結果、あの家のお嬢さんは「ちょっと」、と敬遠されるようになり、紹介する人もいなくなってきたのです。そして折角あった話は、相手から断ってきたのです。従来なら考えられないことです。待っていても降るようにあった時代ではなくなったのです。姉達、特に次女の幸子は、懸命に紹介してくれるように様々な人に声をかけます。
30を過ぎた女性の相手は限られています。30代後半か、40代からせいぜい50代までです。その年齢の男性は、もう、ほとんどが既婚者です。子供も2~3人はいます。奥さんと生き別れたとか、死に別れたとか、そんな男性しか残っていません。この年齢で、初婚の独身男性というのは、よほどの変わりものです。だから雪子の見合いの相手もほとんどが、元妻帯者だったのです。この時代(昭和10年代)上流階級では見合い結婚が一般的でした。だから4女の妙子などは例外中の例外だったのです。上流階級では恋愛結婚などは、はしたない事だったのです。
しかし、雪子は何とか結婚にこぎつけます。相手は子爵の庶子(妾の子)御牧実という45歳の男性です。若いころ放蕩の限りを尽くし、趣味に生き、財産を使い果たし、いまだに定職をもたない無頼の徒です。しかし、人柄はおおらかで、交際上手で、人を引き付けて離しません。魅力たっぷりの人物です。海外生活が長いせいか女性の扱いにも慣れています。その上初婚です。しかし、幸子の夫・貞之助は、定職のないこと、付き合うのには最良でも、雪子の夫として相応しいか、どうか危惧します。しかし、就職は、今回の結婚に尽力した知人で社長の国嶋氏が世話を見ることになり、将来的には建築の知識を生かし設計事務所を開くといいます。この時雪子は35歳、贅沢を言っているときではないのです。結婚は決まります。まずはめでたしめでたしです。
 しかし、このようなめでたい話の反面、暗い話もありました。妙子とバーテンダーの三好との間に出来た子は死産だったのです。二人も結婚を決め田舎に戻っていきます。
 谷崎潤一郎は古いものと新しいものとを比較して述べていきます。そして最終的には古き良き伝統に軍杯を挙げます。
 妙子は、三好と付き合う前にも、写真家の板倉と付き合っていました。制作した人形や、展示場の写真の撮影を依頼していたのです。この板倉に妙子は、大水害、それから生じた山津波のため、洋裁学園に取り残された時に命を救われたのです。それ以来2人の仲は急接近します。婚約者を気取る奥畑のボンボン、本家の鶴子。分家の幸子はイライラします。身分的には格下の人間との結婚など、由緒正しい家柄を誇る蒔岡家としては、決して許されないからです。しかし、板倉は死にます。その不幸を悲しみながらも、鶴子も幸子も、反面ホッとします。しかし、その後妙子はバーテンダーの三好と付き合いを始めます。これも家柄的には格下の人間です。こんな妙子に鶴子も、幸子も振り回されます。しかも婚外妊娠までしたのです。堕ろすことを妙子は拒否します。世間を憚り、幸子夫婦は、秘密裏に田舎の病院に入院させます。この期に及んで幸子の夫・貞乃助は、妙子のような性格の女性は旧弊な、伝統を重んじる旧来の形式を取るのではなく、もっと自由な結婚をさせるのが、本人にとっても、周りの人間にとっても幸せになる道であると判断し、本人の希望通り結婚を認めます。しかし、死産だったのです。
 雪子と妙子、そこにはあまりにも対照的な人生がありました。
 谷崎潤一郎は関西を古いものの代表に、そして東京を新しきものの代表に選びます。そして、関西を肯定的に。東京を否定的に描きます。宮城以外に東京には良いところなしと極論します。そして、関西の情景、人情、などを、しっとりと、叙情豊かに描いていきます。
   
 谷崎潤一郎作『細雪』上・中・下 新潮文庫 新潮社刊



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