サクラソウ科サクラソウ属。Primura sieboldii
園芸品種の特定は難しいですね。学名があってるかは、わからないんですが、手元の図鑑で、一番似てるものにしました。これは、先日の学習発表会の折に、小学校に行ったとき、花壇の隅に見つけた小さなサクラソウです。
うすべにの可憐な花ですが、自己主張がそう強くないので、実は昨日の記事の、「人間をあまり怒らない花」に加えようと思っていたのです。そうしましたら、記事を書く数日前、花屋さんで見事なサクラソウの群れに会ったのです。
それはみごとに自己主張していました。まるで、わたしの偏見に、敢然と反論してきたかのようです。ほんとうに美しかった。それはサクラのようにあでやかというのでも、キクのように凛と厳しいのでもなく、ほどよく潤った細やかな優しさを、ちゃんとできる、賢さという感じでした。わたしは、そういうものですと、きちんと額をあげて、主張してきたのです。
わたしの未熟な偏見でしたと、素直に頭を下げました。
サクラソウの美しさは、普段は強くそれを主張しないところにあるのです。傷つき弱っている人の心に出会うと、きつくなく薄くなく、ちょうどよい明るさと優しさの紅で語り掛けるために、そっとやってくる。サクラソウは、何もいわず、そっとそこにいる。いいんだよ。わかっているからと。
ご近所にも、サクラソウの鉢をたくさん庭においてあるお家があります。そこの家の奥さんは、なんとなく、サクラソウに似ています。ほんとうはちょっと気が強い。何でも自分でやりたいなっていう気持ちもある。でも、そばにひどく傷ついた人がいるから、何もいわないで、つらいことがあっても、だまってそこにいてくれる。美しい人ですよ。
なにもかもわかっているけれど、いいんだよ。わたしは、ばかになってあげられるから。ばかだとおもわれたって、別にいいんだよ。あなたが苦しんでいるほうが、辛いから。
けれど、自分の一番痛いところを、はずかしめられたら、きっと、まなざしの光が強くなる。ほこりたかいまことを持っているからです。
サクラソウは、愛のためにそうしているからです。