世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ばかみたいなこと

2008-02-19 09:38:25 | 有為のしらべ

今日の画像は、昨日読み聞かせボランティアの集まりがあった、小学校でであったサクラソウです。きれいでしょう。

わたしが、「花や木」のカテゴリで書くと、よくこういうことがあります。喜んでくれた花が、向こうからわたしのところにやってきてくれて、こうして一番きれいな笑顔を見せてくれたりするんですよ。

先日のマーガレットも、昨日見ましたら、とてもうれしそうな顔で、たくさん咲いてくれていました。でも、サクラソウは、ほんとにやさしいですね。とても喜んでくれたみたいです。普段は目立たないようにしているから、こんなときが、ほんとにうれしいんでしょうか。

いつも、人にはわからないところでがんばっている人が、その本当の気持ちをわかってくれたら、すごくうれしい。サクラソウは、ずっとがんばっているんですね。

さて、今日は、昨日のボランティアの集まりで思ったことを、お話したいと思います。久しぶりに、ほかのボランティアの皆さんの読み聞かせやストーリーテリングを聴くことができて、楽しいひと時でした。

話題になったのは、差別的な表現が原因で、図書館や書店から消えていった、昔の名作童話や絵本のことです。「ちびくろサンボ」は知っていましたが、「ピノキオ」もそうなっているとは、知りませんでした。なんだかとても寂しく感じました。

「ピノキオ」がどうしてそうなったのか、詳しい方に聞いてみましたが、なるほど現代的だなという理由でした。とにかく、みんな平等にしなくては、どこかから突っ込まれてくるから、気をつけなくてはいけないと。

女性差別、障害者差別、人種差別、昔の本には、何気なく使っていることばの中に、この意識が見え隠れしているときがあります。指摘された絵本の中の、女性差別用語の中には、確かに女性がカチンとくるものもありますね。一時代前の男性は、それが当たり前だったからなんですが。

明らかに悪意的な差別はわたしもいけないと思いますが、徹底的に神経質に排除してしまうことにも、あまりいいことはないと思っています。というのに、そういうところに完璧に配慮した最近の絵本が、あまりおもしろくないからです。

みんな、いい子すぎて、苦しいんです。人間、ほんとはみんな、子供じみたところがあるから、もう少し馬鹿をやってもいいんではないの?といいたくなるときがある。きれいにまとめているけれど、それって、本当はそう思っていないだろう、と感じるときがよくある。

完璧ないい子でなければ、許されない社会。みっともない失敗は絶対にいけない社会。かっこ悪くなるといやだから、失敗しそうな冒険は絶対にしない。既存の知識経験を、徹底的に磨いて、きれいにまとめて、それなりのものをつくれば、失敗はない。けれど、ぜんぜん面白くない。

新しいものの創造がなければ、子供たちの魂は、生きることが苦しくて、死んでしまいます。もっとおもしろいことがしてみたいのに。ばかみたいなことだってしてみたいのに。

人間は、失敗するのが当たり前。子供の頃は、それが大人よりずっと自由にできるもの。失敗だってしなければ、いいこと、すばらしいことが、わからない。問題なのは、子供たちを囲む社会が、どこまでそれを受け止め、なんとかしていくことができるか。そこが、人間社会のふところの深さというか、大人としての実力というところなんでしょう。

そういう大人の実力は、こんなふうに、サクラソウみたいな普通のおばさんや、ツゲみたいにダサいけどまじめなおじさんなんかが、どこかで地味にこつこつとやってるものですよ。失敗を繰り返しながら。

子供たちに絵本を読み聞かせる。そういう他愛ないといえば他愛ないことを、まじめに、ずっと長くやっている。そういう人がたくさんいる社会は、幸せですね。

子供の頃に読んだ絵本の中の小さな冒険心が、芽を出した。これがひとつの結果なんでしょう。



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