◇ 『罪の声』 著者:塩田 武士
2016.8+講談社 刊
この作品は、三億円事件、下山事件などと並び世間を震撼させ未解決のままとなっている
「グリコ・森永事件」に着想を得て、圧倒的な取材と現場踏査を経て生まれた重厚な作品で
ある。一種の社会はエンターテイメントで、2016年第7回山田風太郎賞を受けた。
大阪に本社がある大日新聞社で年末企画として「昭和・平成の未解決事件特集」をやるこ
とになった。文化部の記者阿久津は助っ人として駆り出された。そして英検準1級を見込ま
れて英国に取材派遣される。1983.1にオランダで起きたハイネケン社会長の誘拐事件を取
材し、1984年3月に起きた「ギン萬事件」との関連性を探ろうとするためだった。
阿久津はさしたる成果も得られず帰国する。
ここでは二本のストーリーが走る。1本は特集担当記者阿久津の事件関係場所と関係者の取
材、もう1本は事件当時子供であったが、最近発見した父の遺品で発見した黒い手帳とカセッ
トテープを聞いて、もしかして自分の家族が事件の犯人なのではないかと思い悩み、亡き父
の親友と独自に調べ歩く曽根俊也というテーラー(仕立て屋)の流れである。この2本の流れ
はやがて後半になって交差し、1本になる。
小説なので「ギン萬事件」とされているが、グリコ森永事件はいくつもの会社を対象に恐喝
や嫌がらせがあって、物証もいくつか残されている。関係する犯人も複数であることもわかっ
ている。ただ動機や狙いは犯人を捉えなければわからない。すでに2000年2月公訴時効が成立
した。
著者はこの戦後最大の未解決事件は「子供を巻き込んだ卑劣な事件である」という強い思い
から、グリコ・森永事件の発生日時、場所、犯人グループの脅迫・挑戦状の内容、その後の事
件報道などは、極力事実通りに再現しながらも、犯人に利用された子供らに焦点を絞って物語
を進めている。
あえて言えば、何度か犯人グループを逮捕するチャンスがあったにもかかわらず、「一網打
尽」を狙ったばかりに「キツネ目の男」に職務質問をさせず、取り逃がすなどいくつもの捜査
ミスを犯し、何百人もの捜査員が追っても追い詰められなかった犯人グループの一人を、文化
部出身の平凡な新聞記者が独特のカンで追い詰めていくという話は、現実味に乏しい気がしな
いわけはないが、エンターテイメント小説として考えればまあ許せるのかもしれない。
ほぼ事件の事実を踏まえて物語を構成しているので、読む側としてはどこからどこまで事実
でどこがフィクションなのかで悩むことになる。作者としては大成功なのだろう。
やくざとの癒着が故で免職になった元マル暴担当刑事生島が、知り合いの曽根にアイデアを
持ち掛けて、元過激派活動家の曽根がプランを練り、生島が犯行グループを人選した。犯人は
誘拐実行犯Aと脅迫状・挑戦状など揺さぶりグループBと2グループがあり、当初リスクの高い
金の受け渡しは止めにして、株価操作で金を儲ける。それよりも企業の恐喝と警察を揶揄する
ところに主眼を置くというアイデアであったが、一部メンバーが金に目がくらみ始めたことで
破たんが生じたというところは現実味がある。
阿久津は2度目の訪英をし、事件のプランを練った曽根を探り当て、犯行の動機など取材す
る。だが曽根から聞けたのは警察への恨みと大企業への反感のみ。Bグループの主犯生島はA
グループの主犯青木に殺された。生島の娘望も殺され、妻千代子と息子総一郎は秘密保持の
ために青木の会社で飼い殺し。逃げ出した総一郎は母親千代子と離れ離れになって、塗炭の
苦しみを生きてきた。
そんな彼らの今を知り、犯行グループを許せない阿久津は曽根俊也と総一郎を探し出し母
親との再会を実現する。せめてもの救いである。
新聞社の年末企画は成功した。警察の目を剥く根気強い取材の成果に他の新聞社も世間も
驚くほどの反響をもたらした。
(以上この項終わり)