読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

柚月裕子の『慈雨』

2017年05月21日 | 読書

◇ 『慈雨』 著者:柚月 裕子  2016.10 集英社 刊

  

    読後感がさわやかな作品である。
 一見長編ミステリー・警察小説と受け取られるが、むしろ警察という特殊な世界に生きる人たちの覚悟
というか使命感を通して人間の生き方を問う小説といってよい。
  
 群馬県警の元刑事神場智則は、いま妻佳代子と二人で四国八十八か所巡りをしている。お遍路を決意した
本当の理由は妻にも明かしていない。
 定年退職を機に四国巡礼の旅に出るというと妻は「一緒に行く」と言った。初めて夫婦一緒に歩く旅では
新婚時代の駐在所での思い出や娘幸知、彼女と付き合っている元部下の緒方のことなどが話題になる。しか
し神場は時折悪夢に悩まされる。悪夢はいつも同じ。四国巡礼の旅でも同じ悪夢を見る。16年前に起こった
少女の誘拐殺人事件である。
 犯人は逮捕された。ところが裁判で被告は自供を翻し無罪を主張した。しかしDNA鑑定などもあって判決
は有罪となった。その後意外なところでアリバイとなる目撃証言が現れた。当時捜査1課強行班にいた神場は
捜査上層部に再捜査を要請したが「警察の威信と権威失墜」を恐れた上層部はその目撃証言を握りつぶした。
犯人がほかにいるかもしれないと思いながら証言を黙殺してしまった。もしかして冤罪に加担したのではな
いかという良心の呵責と後悔の念に常に悩まされてきた。

 そんな巡礼中の神場に現役の緒方から小1の少女行方不明事件発生の知らせが入る。なぜか16年前の少女
誘拐殺人事件に酷似している。俄然神場の刑事魂がよみがえる。電話で情報を受けながら、緒方を叱咤激励
し事件解決のヒントを伝える。そしてなんと新しい事件と16年前の事件の接点が、神場の意外なひらめきで
明らかになる。
 
 山間の駐在での勤務と香代子との出会い。村での窃盗事件解決で本部への抜擢。友人須田夫婦の不幸と残
された幼子と神場夫婦のかかわり。そんな神場をめぐるこれまでの人生のことどもが、お遍路の間に次第に
明らかになる。二つの誘拐事件のサスペンスよりもこうした背景設定に深い意味があるのが本書の特徴であ
る。

 何かと武骨で融通が利かない、愛情表現も不器用(まるで高倉健みたいではないか)。つっけんどんな受
け答えをしてしょげる妻に「わるかった」と何とか謝ろうとぐずぐずタイミングを計る神場。昔の標準的な
男である。こうした舞台設定といい人物設定といい実に巧みである。 

 妻と二人で歩く楽しみはもちろんある。木漏れ日とそよ吹く風、木々の香り、小鳥のさえずり。人との出
会い。そんな寺から寺へのお遍路の旅が生き生きと綴られる。まるで神場夫婦と一緒に歩いている雰囲気に
なれるのは、きっと作者が霊場巡り実体験しての描写だからではないだろうか。

 結願寺に向かう最終章。不器用な神場が、慈雨を肩に受けながら妻佳代子と「瞳を交わしたまま、自然と
手を取り合う」。出来過ぎのフィナーレである。

(以上この項終わり)

 


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