読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

瀬戸大橋から岡山・後楽園へ

2010年12月06日 | 国内旅行

  
瀬戸大橋を渡る
  今日から12月。
  行程表に従って7時すぎに朝食をとって8時にはチェックアウトをしたが、市電が時刻表
 通りに動いておらずやきもきした。

  JR四国の特急はがら空き。坂出からのバスは2時間待たないと出ないということでTAXI
 で「与島」に渡る。運賃は5千円ちょっとだったが、な下げに。「高速料金は帰りの分も戴き 
 ます」ということで、更に5千円近くとられた。

       
    特急しおかぜ                 フィッシャーマンズワーフ               閑古鳥状態 

  瀬戸大橋は20年近く前に開通し、間もないころに訪れた時の与島の「フィッシャーマンズワ
 ーフ」は超賑わっていた。
  ところがあれから20年。今はお客さんといえば我々二人だけ。土産売り場の4・5人の売り
 子さんたちは所在ぼんやりしていた。滞在中の3時間で観光バスなど1台も下りなかった。

  かつては近隣の島との連絡便があった桟橋も閉鎖状態。岸壁では釣り人が2・3人いるだけ。

   
   のどかな瀬戸の海    

  岡山から来たというお兄さん。「今日はヨメさんにスズキをつってくると言って出てきたけど、
 釣れるのはアジとフグだけ。」 と、不満そうだった。
  どこかの奥さんが20センチくらいのアジを、入れ食い状態でバンバン釣っていた。
 釣り糸の一番下には、青いお猪口くらいのプラスチックの籠があった。そこにオキアミを入れ
 てあるのだそうだ。
  「針に餌なんかつけていないわよ」と言っていた。 

     
   入れ食い状態

  3時40分のバスでJR 児島駅へ。
  今日の宿泊は「せとうち児島ホテル」。かつては大人気だったこのホテルも今は「暇です」
 (迎えの運転手談)。鷲羽山に連なる山なみの中腹にあり、全室オーシャンビューで瀬戸大橋
 を見はるかすロケーションは抜群なのに、確かに客は少なかった。

  瀬戸は日暮れて~夕波小波  夕焼けが素晴らしい。小焼けも。(小焼けとは陽が落ちて残
 照状態を指すのだそうです。妻の友人H女史に教わりました。)        

        
   児島へのバスから                 瀬戸大橋の雄大な姿                            落日    
  
        
    夕焼け                                        小焼け

   このホテルの売りは瀬戸内海と瀬戸大橋を一望にできるロケーションと、海抜120mからの
 露天風呂(3階)。
  食事は今夜はホテルということもあって最上階(9階)のレストランでフランス料理を食べた。
  レストランはもちろん館内は既にクリスマスモードだった。

  
 ◇岡山の「後楽園」  
  
  
   瀬戸大橋の日の出


  * 翌日は児島駅から快速「マリンライナー」で岡山へ向かう。
     駅からは歩いて25分の岡山城と後楽園へ。
  

        
   岡山も市電が              旭川と後楽園                 岡山城                  月見橋
 
        
    沢の池                   唯心山                     蘇鉄畑                    流店


         
     花交の滝                茶祖堂                        千入(ちしお)の森の紅葉


        
                        新殿                  御野島                     栄唱橋        

        
     中の島                    中の島・御野島                群がる鯉               砂利島


        
                          鶴鳴館                        延養亭


     
     大立石                     茂松庵


  岡山城
   「岡山城」は、松本城と並び天守閣などの外壁が黒い「烏城」。濠を隔てて「後楽園」がある。

       
    

 * 岡山新幹線駅で九州新幹線を走る車両の「試乗車」に出会った。

      

  (以上この項終わり)


  

  
  

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伊予の松山・道後温泉へ

2010年12月05日 | 国内旅行

瀬戸内海をフェリーで
  今日も風のない小春日和。
  娘の車で広島・宇品港へ向かう。「瀬戸内汽船」のフェリー「四万十号」はやや小型の船で、
 乗客も30人くらいで、ゆったりしたもの。11時過ぎに孫娘に見送られて出港。

     
                                             四万十号               

  * 江田島を初め瀬戸内海の島々を右に左に見ながら進む。

        


     


  * 旧軍港「呉」は結構大きな街だった。輸送船や艦船が何艘か停泊していた。

        


  * 「石亭」で用意してもらった「あなご弁当」は、まだ作りたてでまだ幾分温かい。御飯がぎっしり
     詰まっていてこれだけで十分満腹した。

     


 * 甲板に出ると、さすがに風を切って走っていることが分かる。
  目の前を日本最大の豪華客船「飛鳥Ⅱ」が横切った。神戸を出てどこかへ向かうツーリング。
 2006年に飛鳥の後継船として2006年3月就航した。約5万トンで客室400室最大940名
 を収容できる。船長は240mである。 

    

 * およそ2時間半で松山観光港に着く。
  伊予鉄高浜駅から松山市駅まで行って、市電に乗り換えて本日の宿「KKR道後ゆづき」へ。
  人気だという「ぼっちゃん電車」も見たが客はそれほどではなかった。

        
                                KKR道後ゆづき      坊っちゃん電車

湯築城跡
  伊予の松山城は白鷺(姫路)城などと並び有名であるが、現在「道後公園」となっている「湯
 築城跡」は松山城よりも古く、中世の伊予国守護河野氏の居城として築城されて以来250年
 間にわたり伊予国の中心であった。
  慶長7年(1602)加藤嘉明が松山城築城の折にはここの城石などを持って行ったらしい。国
 の史跡となっている。

        
                     外堀土堤          内堀土堤          外堀   

      
                   武家屋敷跡

◇「坂の上の雲フィーバー
  司馬遼太郎の作品「坂の上の雲」を元にしたNHK大河ドラマにあやかって、主人公秋山兄弟
 (秋山好古・真之)と正岡子規それと親友の夏目漱石を巡る観光ポイントが市内要所にある。

  「坂の上の雲ミュージアム」は建物は立派であるが展示内容が空疎で失望した。
  今年12月5日から始まる「坂の上雲第2部」に向けて、第1部でドラマ撮影に使われた衣装・
 小道具・セットなどの帆が興味深かった(松山城へのロープウェイ駅「坂の上の雲」のまち松山スペ
 シャルドラマ館」)。

  
  ドラマで使った大砲模型

  正岡子規・秋山兄弟
  早世した正岡子規の誕生の地・子規堂・秋山兄弟の生家跡などを徒歩で回った。

        
    紅葉した松山市駅前   子規堂         子規生誕地      秋山兄弟生家跡
  
  
   秋山好古銅像

萬翠荘と愚陀仏庵
  松山藩最後の城主久松定謨伯爵は陸軍駐在武官としてフランス滞在が長く、大正22年(1922)
 社交の場として萬翆荘(翠多い森の中にたたずむ館)を設けた。 
  皇族を初め多くの賓客を迎え、戦後の一時期は占領軍の将校宿舎にもなった。

         

 
    

  
  * 「愚陀仏庵」は夏目漱石の寓居で、子規が足しげく通って一時同居したところ。
     今年7月に土砂崩れで周辺の木と共に流され崩壊してしまった。


松山城
  伊予松山20万石の藩主加藤嘉明が慶長7年(1603)に着工以来、蒲生、松平と主を代えなが
 らも天保6年(1835)松平勝善の代になってようやく現在の店主を含む城郭が完成した。この間
 落雷や火災による天守・城郭の焼失が何度もあった。
  いまや姫路城と並ぶ典型的な連立式天守を持つ連郭式平山城として完璧な城郭建築を誇る。

       


       

 
 
    
 

道後温泉本館
  道後温泉の始まりは神代の昔、大国主命と少彦名命に遡る。  
 
道後温泉本館は明治27年、皇族専用の又新殿・霊の湯棟は明治32年、南棟と玄関棟
 は大正13年の建築であるが、現在ではいずれも渾然として道後温泉を象徴している。
 

  道後温泉本館の神の湯は銭湯並みに400円で入れるが、2階で浴衣など着て茶を振る
 舞って貰ったりすると800円になる。霊の湯はこぢんまりしているが、ちょっとリッチな造り
 になっていて、1,200円。個室で休むと1,500円(夏目漱石が休憩した部屋はここ。)。
 更に皇族専用の棟を見学すると別途250円かかる。
   建物の中心最上階には白鷺がのる「振鷺閣」があって、太鼓で時刻を告げる。

  
      
     道後温泉駅       道後ハイカラ通り

  
  
      
                                    漱石の部屋外  

  

(以上この項終わり)
  

 

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安芸・宮島の晩秋

2010年12月04日 | 国内旅行

安芸の宮島・厳島神社
  福山から山陽道に乗って一路広島へ。
  ライトアップされた原爆ドームを見るのは初めて。元安川と平和大通りはイルミネーションで彩られていた。

    

  翌日は日曜日。混雑を避けるために早朝に出発。しかし宮島にわたる宮島口の駐車場は満杯。
  丁度引潮にあたり、厳島神社の鳥居は足もとまで見せていた。

        

  
        

 
          

  厳島神社は仁安3年(1168)平清盛が現在の社殿を造営した。平家一門の守り神であるが平氏
 滅亡後も時の権力者の篤い信仰を受けた。国宝・重要文化財を多数擁し、1996年世界遺産に登録。

  島自体が信仰の対象であり、島内では農林漁業・製造業などは認められていない(一部に牡蠣養殖
 業がある。)。
  モミジ谷という紅葉の美しい散策路があるが、やや最盛期を過ぎていた。

        


  宮島といえば「もみじ饅頭」と「焼き牡蠣」。
  昼食は牡蠣尽くしでビールまで飲んだので満腹状態。焼き牡蠣は初めて食したが、実に美味であり
 大満足した。

      
  牡蠣フライ・牡蠣めし・牡蠣のオイル焼き・焼き牡蠣

◇「石亭で牡蠣などを堪能
  宮島口は廿日市市にあるが、6キロほど南に「宮浜温泉」という温泉がある。
  今日の宿として 娘夫婦が用意してくれたのはこの地にある「石亭」。
   部屋数は12ほどで大半が平屋であるが、山の中腹にあり、傾斜をうまくかしてそれぞれ造り
 を異にしていて、いわゆる温泉旅館という単調さはない。既に暮れ正月も常連客の予約で一杯
 らしい。

        

  夕食時に大きな盃が持ち込まれて驚いた。結婚40年の記念の食事だと告げたため石亭で用意し
 てくれたらしい。
  料理も瀬戸内海に面した料理旅館だけに、牡蠣・鯛・穴子はもちろん新鮮な魚介類が並んだ。
  (献立名:霜月)

  食前酒:地酒

        
  大盃 茶振り海鼠    天然鯛薄造り・鰆など   サヨリの骨揚げ    あなご白焼き・燻し   

        
    揚げ麩白酢和え      牡蠣フライ       牡蠣酒粕焼き     結び針魚・松茸
    撚り海老黄身酢掛け

        
    メバル塩焼き     焚合:アナゴ有馬煮  強肴:牡蠣肉味噌野菜  洋梨と林檎葡萄酒煮
                                                 焼き柿 練乳アイス

  
   スイーツ・地酒

 食事:あなご釜焚きごはん     


  
  
  夕食前に孫二人を連れて貸切風呂へ。二階にはシャンパンとが用意されていてくつろげる。

      
   


  (以上この項終わり)
  

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鞆の浦を訪ねて

2010年12月03日 | 国内旅行

名勝・歴史の薫る町 鞆の浦(福山市)
 転勤で広島に住んでいる長女の家族を訪ねた。長女に、「せっかくの機会なので、途中でどこか観光したい
ところがある?」と聞かれて、妻は「鞆の浦!」と答えた。誰かが「よかった」と言ったのを記憶していたらしい。

 福山駅に長女夫婦と孫2人が出迎えてくれた。1年ぶりの再会で、大人たちはあまり変わらないが、子供たち
は大きくなっていた。長男は今年小学生になった。長女は来年幼稚園へ行くらしい。

 鞆の浦港は古くから「潮待ち港」として知られている。瀬戸内海は島が多く、潮の満ち引きで潮流の逆転が起
こる。この潮流の変わるのを待つための港として古くから賑わったのが鞆の浦港という。
 港の対岸に「仙酔島」という小さな島が見える。船で10分足らずの距離である。

  
(弁天島を経て仙酔島を望む) 

 その昔、竜馬が乗った「いろは丸」がこの地で和歌山藩の船と接触し難破した。竜馬は幕府の親藩と堂々渡り
あって賠償金を取り立てた。その時海難審判の場となったのが「お船宿いろは」である。

 

 このところNHKの大河ドラマにあやかれば観光客が押し寄せるので、「竜馬伝」にかこつけて、連絡船は「いろ
は丸」の小型のレプリカにして運航している。

   

 
島は公園で、白砂青松の海岸があり、展示館では「竜馬伝展」まで開かれていた(福山雅治の着た着物もある)。

         
 
 ところで鞆の浦は最近ちょっとした話題になっている。港のメイン道路が常時交通渋滞を起こし、県と市はこれを解消
するために港の一部を埋め立て、桟橋から対岸にまたいで橋をかけようという案を出した。ところが「景観と歴史遺産が
損なわれる」と環境維持派が反対運動を起こした。賛成・反対と意見が二分しいまだに結論が出ていないらしい。確か
に道路は狭く、対向車がやっとすれ違えるほどで、歩行者は身動きがとれない状態である。
道路の狭い港町では何処でも抱えた難題である。ましてや古くからの港機能と街並みが渾然と一体化して残されてい
る貴重な地域として、世界遺産認定機関が価値を認めているという鞆の浦。さてどう落ち着くのか。

   

 それはともかく港町は昔ながらの街並みがそのまま残っていて風情がある。
「保命酒」はここにしかない薬草酒。頼山陽も愛飲し、朝鮮通信使が愛で、将軍徳川慶喜の好物であったとか。
じゃこやたこ、いろんな海産物の加工品が珍しくたくさん買った。
買った土産品を店の中で炙って酒を飲んでいる姿が街筋に妙に似合っていた。

       

潮待ち港に似つかわしい「常夜燈」。高さが11mあって、このように港の標として残っているのでは日本一とか。

   

港の小高い地に「海岸山千手院福禅寺」という寺がある。それに隣接する「対潮楼」は1690年(元禄年間)創建、
かつて朝鮮通信使の定宿とされ、1711年(正元年徳)ここから「酔仙島」を眺めた通信使李邦彦は「日東第一形勝」
(朝鮮から東で一番風光明媚な場所)と賞賛した。
また、竜馬がいろは丸事件で和歌山藩重役と交渉したのはこの「対潮楼」といわれている。

         

(以上この項終わり)

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