読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

タラ・ウェストバー『エデュケーション  大学は私の人生を変えた』

2021年01月10日 | 読書

◇『エデュケーション 大学は私の人生を変えた
        (原題:EDUCATED A Memoir)


         著者:タラ・ウェストバー(Tra Westver) 
        訳者: 村井 理子  2020.11 早川書房 刊

  
    全米400万部超の記録的ベストセラーとなった回想録(自叙伝)。「大草原の
小さな家」を思わせる生い立ちのすごさと彼女の人生への適応力には驚嘆するし
かない。
 回想録の主人公(わたし)はウエストバー家7人兄弟の末っ子だった。父親は
サバイバリストで母もほとんどその主張に追随した。公立の学校には行かず家で
勉強した。怪我をしても医者にかかることもせず、自家製の薬草油などで治した。
自身も助産婦の手を借りて生まれた。モルモン教を信仰し、神に正しい導き手に
指名されたと信じる父は聖書と神の言葉を守り、学校も医者も政府の陰謀の巣だ
と信じ声高に主張していた。
 「Y2K(コンピュータ2000年問題)」の年に、諸システムのダウンで世界が崩壊す
ると信じた父は、食物、水、ガソリン、反撃用銃器の備蓄に精を出した。しかし
その時を迎えても何も起こらず、気の毒に父は放心状態だった。

 父は主として廃材の金物の分別とその販売と納屋などの建築で収入を得ていた。
家族は兄も姉も父を手伝い、10歳になった時から私もその手伝いをさせられた。
 タラは学校には行かなかったが、音楽の才能に恵まれ、歌唱トレーナーからの
指導を得て教会で歌い好評を博し、街で演じられたミュージカル『アニー』の主
役にもなった。不思議と父はこうしたことに金を惜しまず、歌や主役を得た劇は
必ず見に来て目を細めて観てくれた。そして誰彼となく娘を自慢した。

 姉のオードリーは15歳になって運転免許を取ると仕事を見つけ家を出た。
 3男のタイラーは「大学に行く」と言って家を出て行った。長男のトニー、次
男のショーンも家を出て、家に残っているのは4男のルーク、5男のリチャード
とタラだけだった。
 家に戻ったショーンは暴力性がひどく、腕を捩じり上げられ便器に顔を突っ込
まれた。人前で屈辱的な虐待を受け何度も怪我をした。後で「ごめんもうしない
から」と言ったが自分の気分に合わないとまた暴力を振るった。
 ショーンは父が請け負った家の納屋づくりなどを手伝っていた時に足場から転
落し、脳に損傷を負って以来更に感情の振幅が大きくなってしまった。
 
 兄のタイラーはわたしに「大学へ行け」と勧めた。彼のいるブリガム・ヤング大
学はATC(American College Test)に合格すれば自宅学習者のを受け入れてくれるとい
うのである。ACTの試験は数学、英語、科学、読解。そこで寸暇を惜しんで算数を
勉強し、タイラーの助けを借りながら三角関数も会得した。

 父に「ブリガム・ヤング大学に行く」と告げた夜父は言った「神はお怒りだ。お
前は体を売って人間の知識を求め、神の恵みを忘れてしまった」と言った。拒絶で
ある。
 絶対的な存在である父の呪縛に捕らわれている私は母に「大学に行くのははやめ
た」と言った。母は「行きなさい。何があってもあきらめちゃだめ」と言った。
 初めて受けたACTの試験で22点(合格には最低27点)をとって先が見えてきた。

 二回目の受験でACTに合格した私は父のスクラップチームから逃げ出し街に仕事
を見つけ、自立した生活に入った。ブリガム・ヤング大学に願書を出した。すぐに
合格通知が来た。
 父が廃車のスクラップ作業中の事故で瀕死の重傷を負った。家族は医者には連れ
て行かず、母の作るハーブの薬で手当てした。何度か心臓は止まったが結局2か月
後には命だけはとりとめた。

 わたしはどうしたら自分を伸ばすことができるか、ユダヤ人のケリー教授に聞い
た。「ケンブリッジ大学に行くとい良い、要求される学力は極めて高いが、もし合
格したら君は自分の本当の能力を知ることができる」と言われた。
 私は留学プログラムに応募し採用された。そして指導教官のスタインバーグ教授
は私の書いた歴史家比較小論文を「今まで読んだ小論文で最高レベルのものです」
と称賛し、ケンブリッジの大学院に進むつもりならどんな手配もすると言ってくれ
た。だが父はケンブリッジ(イギリス)に渡ることに反対だった。

    クリスマスに実家に帰ったタラは、兄のショーンと結婚したエミリーが自分と同
じようにショーンから虐待を受けていることを知る。姉のオードリーは自分もショ
ーンから暴力的虐待を受けていたこと、そしてそれを母と一緒に止めさせられなか
ったためことを謝罪し、今度こそ両親にショーンの実像を告げてエミリーを助けよ
うとと言ってきた。  二人の話を受けた母は見て見ぬふりをしてきたことを白状し、
父親にも話し何とかすると言ってきた。(しかし何もしなかったことを後で知った)

 母と対話したことでケンブリッジにふさわしくない存在なのではないかというと
いう疑念などから解放され、大学でも自分の田舎のこと、生い立ちや両親の職業な
ど家族の恥を話せるようになった。家族との乖離が増して、大学の友人・教師が家
族となった。この間のタラの葛藤・心理的動揺は体調不良を引き起こした。
 
 ハーバード大学の特別奨学金を受けることができて、そこで博士号を取得するこ
とになった。両親が来て1週間泊って行った。最後の日に父は神への降伏を求めた。
しかし私は「ごめんなさい」と言って拒絶した。父は唖然として帰っていった。
 それから私は自分の選択の正当性を巡って重度のストレスでにさらされ、博士号
取得の勉強が手につかなくなった。ついにまた家に戻り父に謝罪しようと思った。
 し家に救いはなかった。父も母も信仰を失ったタラに絶望しているだけだった。
 私は思い出の日記を詰めた箱だけ車に乗せて故郷を去った(捨てた)。

 思い切ってカウセリングを受け、1年後にようやく自分を見つめ直すことができ
た。私は研究を再開し、27歳の誕生日に「アングロ・アメリカンの協力思想にお
ける家族、道徳規範、社会科学1813-1890」をまとめ12月に歴史学博士号を取得
できた。
 結局家を出た3人(タイラー、チャールズ、タラいずれも博士号取得)と家に
残った4人の子供(トニー、ルーク、ショーン、オードリーいずれも高校も出て
いない)は父の呪縛が元で離反してしまった。私は家族を拒否したことで罪悪感
をぬぐい切れないものの、わたしは父の罪と私の罪を秤にかけることを止めて自
由になった。
 教育によって私は変わった。(この自叙伝の結語)

 なぜここまで詳細に彼女の回想禄をなぞったか。あらすじを紹介しても多分彼女
の激越な人生行路の背景と精神的骨格を知ることはむつかしいだろうと思ったから
である。絶対的権力者である父からモルモン教という精神的支柱を叩き込まれその
呪縛から容易に脱却できない苦衷は多分本人にしかわからないのだろう。それでも
学問への真摯な憧憬と努力と知的能力が彼女の新しい世界を実現できた。教育とい
うもののすばらしさがそこにある。公教育を頑なに拒んできた彼女の父も最後には
その成果を認めるしかなかった。educateには「能力を導き出すようにする」、
「学校教育を受けさせる」という意味がある(ジーニアス英和大辞典)。
 彼女は「なぜ子供のころにまともな教育を受けさせてもらえなかったのか」と思
いながら奨学金を受けるレベルを維持するために大学の教科書を夜中の2時3時ま
で勉強した。知的能力のほかにそうしたガッツもあったのである。

                        (以上この項終わり)
 

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チェコの風景画・田園風景

2021年01月04日 | 水彩画

◇ プラハ~ウィーン車窓からの田園風景

  
             Clester F10

    すでに12年前になります。ザルツブルグでの三女の結婚式のあとドイツ・チェコ
・オーストリア・パリと回った際に、プラハからウィーンに移動する車窓から東欧の
田園風景を撮りました。いつか絵にしてみようと思っていて、ようやくコロナ時間に
任せて描いてみようかという気になって手を付けました。

 緑いっぱいの田園、赤い屋根の家が点在するこんもりとした木立の連なり。青い空
・白い雲、遠景の黒い森。なかなか日本ではお目にかからない農村風景です。
 木立にはそれぞれ表情があるのでしょうが、ついいつものワンパターンで処理して
しまって、悔いが残ります(かと言ってよい表現もできない)。
 動きのある対象がありません。牛や車でもあればよかったのかも。

                           (以上この項終わり)

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