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くじびき はずれ の 見た世界

シニア初級者というのに世間知らず。
少年のようなつぶらな瞳?
そろそろ大人の記事を書きたい毎日です。

ならまちテクテク 3

2013年10月02日 21時43分54秒 | 奈良学

ほーれほれ! まだまだ引っ張りまっせー    な ら ま ち 

台風22号が八丈島の東北東約100kmぐらいから関東・東北の太平洋沿岸を北上、
台風23号はフィリピンの東から5日頃には沖縄方面を目指している様子。

関東地方はどうやら3日続きの雨みたいです。

そんな近畿の奈良は ならまち。
こんなところの奥で ホンマに店 やってんのかいな? という狭い路地の奥

この塀のズズーィと奥に店の影が・・・  ほんまにチラリ。  
看板によると お食事処の 「ならまち知路留」 (路地奥で母娘が作る家庭料理のお店)と 
花・デザイン・雑貨の「はなのこ」サン があるようだ。
今度来た時にまた寄らせてもらうことにして素通りです。

薬師堂町をちょっと西へ行くと御霊神社が見えてくる。

 

赤い幟(のぼり)には えんむすびの神さま と はためいていまして、流石に若い女性の
二人連れなんかが真剣に御神籤を見せ合ったりしていました。
摂社に出世稲荷神社もあったので、この年からでも出世できるか?とお参りしようと
近寄ってみると・・・



なんとこちらも「縁結び」
長男の婚礼でカッカラカンになるのが見え見えなんで、二男のお願いはずっと先にお願い
することにして早々に退散することにしました。

酒屋さんも風情があります。

ビールケースが積み上げられて品の無いハデなプライスカードガヒラヒラしている店頭しか
見たことがない庶民にはホッ!とさせられます。

間口の広~い砂糖菓子のお店がありました。

安政元年(1854年)に『』の店として開業後、大和名産の茶の味を木津川を船で下って
大坂や堺に卸に行った帰り、空(カラ)で戻るのはもったいないと琉球黒糖・阿波白下・和三
盆の貴重品を積んで帰ったというから、創業者の傳次郎サンは根っからの商売人。
今じゃ砂糖屋さんが本業に。

 「Confeito」(コンフェイト=ポルトガル語の砂糖菓子)が
 由来の 奈良こんふぇいと は イチオシ!

 大きな鉄釜を時計回りに1分間に2回のスピードで
 ゆっくりと回転させて1日1mm、15mmのひとつぶを
 作るのに約2週間かかるのだそうで、何故か突起の
 角の数は24になるそうです。
 不思議ですねぇ。

 それもまたいろんな味の種類があって、時期によっては
 無い物も出るそうです。
 内緒で今売り切れ中の〇〇味を裏の小瓶から一粒 

 

織田信長への献上品の「コンフェイト」が復刻されたのが右上の  
背景のPOPに信長の絵が見えますか?
この鉄釜が直径180cm 重さ800Kgというから驚きもひとしお、 いや、ひとさとうです。

 

そうそう、釜といえば我らが陶芸サークル 4クラス(約100人)が共同で使っている電気窯
制御装置の故障から1230℃の設定を越えて1300度以上に加熱して壊れました。

 まずは火事になる前にヒーターが破壊して
 惨事に至らなかったのが幸いでしたが
 去年約40万をかけて綺麗にした内部や
 ヒーターが、溶けた土でガチガチに。

 釉薬が溶けるのを通り越して土が・・・
 ですからねぇ。

 僕のクラスの作品はほとんど入っていま
 せんでしたが、あまりに悲惨でその姿は
 映像に耐えられないものでした。

 大急ぎでリーダー会議をして買い替える
 ことになりましたが、約1か月半は焼けない
 状況になってしまいました。

 たまたま仕事が積んでいて、土いじりも
 ままならないので僕自身には影響が
 ありませんけれど、秋の市展や県展に
 作品を出そうとしていた方々には
 お気の毒としか言いようがありません。