奈良公園の東の端、東大寺二月堂より東側で春日大社の北側に在る
小高い山で、日本固有のノシバという芝で覆われたなだらかな山。
若草山です。
菅笠のような形の山が三つ重なって見えることから地元では「三笠山」とも呼ばれ、和菓子の三笠焼
(人気アニメであるドラえもんの好物の「どら焼き」を奈良では【三笠】というのです)の名前の
由来もこのなだらかな形状からです。
この面積33haの冬枯れの山に毎年、一気に火を放って山焼が行われています。
昭和戦前は紀元節(今の建国記念の日)の2月11日に行われていたようです。
戦後は当時の成人の日であった1月15日に固定されていたのですが2000年から2008年の
間はハッピーマンデー法によって成人の日(第2月曜日)の前日(日曜日)に変更になっていました。
それがまた面白いことに日程が年によって変わることにより早ければ1月の8日頃になり、ススキやシバなどの枯れ方が不足して燃えにくい上、年によっては消防出初式の時期に近くなってしまい(山焼きには多くの消防団員の手が必要となり民間人である消防団員の大量動員は休日であることが必要。)1月の第3土曜日と一旦決められました。
それがまた大学入試センター試験の日と重なって花火の音などが英語のヒアリング試験と重なるとか
抗議の声があがり、結局2009年からは1月の第4土曜日に決められて実施されています。
今年は27日でした。
何で山焼をするのか?というのも諸説あって、歴史的には東大寺と興福寺による領地争いを、双方
立会いの上で焼き払って和解したのが発端とも言われ、春先に芝が育つのに虫を駆除して焼けた草
が次の草の肥料にもなるという説も、結局は今ではどの説もそんなに根拠のあるものではないと
されていて、観光のイベントの一つとなっているのが現状かと思われます。
1月15日に固定されていた頃は正月の飾り物を持ち寄って「大とんど」の役目もあったようです。・
花火が打ち上げられ、写真家の間では多重露光で一度に何発も打ち上げられたような画像が
流行りとなって、友人からの画像もそういうものでした。
点火されてから観光ポスターなどでは山いっぱいに広がる炎のように見えているものが多いのですが
実際はそんなに広範囲で一度に燃え上がると危険ですよね。
それに煙が凄いですから風の向きなんかを確認しながら燃やしていきます。
ウチから若草山までは約34Km離れていますので肉眼では1cmぐらいの範囲がオレンジ色に
なっているのが確認できる程度です。
これが終わるとボチボチ節分、そして立春だなぁと思います。