リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

L'infideleの新事実!

2007年04月01日 01時40分30秒 | ウソ系
リュートのメイリングリストの投稿を読んでましたら、新しい文献的な発見についての記事がありました。現在、投稿者と記事に出てくる研究者にメイルを出して詳細について紹介中です。事実だとするとすごい発見ということになりそうです。

以下はその記事の日本語訳です。

18世紀前半の音楽シーンを伝える貴重な文献、E.G.バロン著「リュートの歴史的研究・・・」の記述を裏付ける資料が新たに発見された。「リュートの・・・」は音楽理論、歴史、ジャーナリズムを統合する大変貴重な文献であるが、その第六章後半部にある次のくだりに大変興味深い記述がある。

「・・・この点ではウィーン占領をリュート用に作曲したある人(彼のことはもちろん快く思っているのだが)の方がまだましだと言える。パッセージの上には細かく書き込みがある。「ちょうどここで大砲が轟く。ここで傷付いたトルコ人が吼える。ここで彼らは打たれ、敗走する。等々。」」

この記述の「ある人」が誰であるか、またその曲はどんなものなのかは長く不明のままであった。

オーストリアのウィーンリュート協会に所属する、ボラーゾフ・ソスラン・フェーリクソビッチ研究員が、2007年に発表の最新論文でこのことに言及している。ボラーゾフによれば、この「ある人は」S.L.ヴァイスで、その曲というのは、「ランフィデル」であるという。ボラーゾフはドレスデンにあるMUS2841写本の「ランフィデル」をX線解析し、そこに「大砲が轟く、ここで傷付いたトルコ人が吼える」などの記述があるのを発見した。この発見で、研究員は、「ランフィデル」というのは一般的に言われている「不実な女」という意味ではなく、「不実なる者」と訳すべきで、宗教的に「不実」である異教徒トルコ人のこと指すという。ヴァイスが1721年にロジー伯の葬儀でプラハを訪れたときに、同地にあるフィリップ・ドゥ・サン・ルクの作品を収めた写本を見る機会を得た。そこにサン・ルクが作曲した、オスマン・トルコとのウィーン攻防戦を描いた曲に触発されて、作曲した可能性が高いという。

注)ボラーゾフは旧KGBに所属していた異色の音楽学者。最新テクノロジーを使った資料解析が得意。http://www.kusobicchi.com