リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

文部省からの電話

2024年03月02日 22時09分38秒 | 日々のこと

職員室にいましたら、事務官の先生が、

「中川センセ、お電話です。文部省から」と呼んでいます。

「はい、え?モンブショウ?」

市教委じゃなくて、県教委じゃなくて文部省?なんで?別に悪いことはしていないはずだが、といぶかりながら電話に出ました。電話は文部省教科調査官のH先生からでした。要件は学習指導要領外国語の作成協力者委員になってほしいということでした。あまり具体的にはよくわからないまま承諾をしました。あとでわかったのですが、これはいわゆる一本釣りということでした。

この1ヶ月後から足かけ6年にわたる文部省出張(途中から文部科学省になりました)がはじまりました。2年目からは学習指導要領実施状況テスト作成委員も2期に渡り拝命し、後半3年間は平均で10日に1回東京と桑名を往復していました。

今回のリサイタルで400人を超える方に案内を出しましたが、そのH先生にももちろん送らさせて頂きました。DM効果は大体1%あればいいとされていますが、そもそも名簿が少し古いせいもあり、1割ぐらいが宛先不明で返送されてきました。そんな返送されてきたDMの中に1通の清楚な感じの封書が混じっていました。送り主はH先生と同じ住所、名字ですが名前が女性の名になっています。

もしやと思い開封してみましたが、H先生は令和4年の6月にお亡くなりになった旨がしたためられていました。バーゼルに出立する前日に開いて頂いた歓送会以来H先生にはお目にかかっていませんが、その後ご病気になられたそうでした。白髪で肌の色艶がいいH先生のお姿しか記憶にありませんので、本当に意外で信じられない気持ちが一杯です。

先生のおかげで私の教員生活最後の6年間はとても充実したものとなりました。本当にありがとうございました。おくればせながら、H先生のご冥福を深くお祈り申し上げます。