リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(15)

2024年05月06日 13時38分03秒 | 音楽系

(前回のティモフェイ・ビエログラドスキ略歴の続き)

モスクワ写本の筆記者ティモフェイ・ビエログラドスキの演奏と歌唱は多くの人に賞賛されました。後に彼は1755年頃、残りの人生を過ごすためにサンクトペテルブルクへと居を移しました。そこでは少なくとも1767年までかなりの報償をもらいロシアの宮廷に勤めました。今日私たちに伝わるタブを書き冊子にまとめたのは正にこの地でした。ドレスデンで1741年に生まれた彼の娘は14歳にしてサンクトペテルブルクでは卓越した歌手でありピアニストでした。

ここまでが解説に書かれたティモフェイ・ビエログラドスキの略歴でした。このモスクワ写本はヴァイスの死後15年くらいにサンクトペテルブルクでヴァイスに近いところにいたロシア人によって書かれたものでした。私はてっきり第二次世界大戦中ソ連軍がドレスデンで鹵獲してモスクワに持ち帰ったものとずっと思っていましたがそうではなかったのです。

ビエログラドスキがヴァイスの弟子になったのは1737年以降でさらに一旦そこを去って1740年にまたドレスデンに戻っていますので、この写本に書かれている何曲かはヴァイスの晩年のギャラントな作風を反映していると考えられます。

ソナタ95番ト短調はそういった特徴を備えた楽曲です。ただ前期(ソナタ25番ト短調)中期(ソナタ51番ト短調)からさらにここまで作風が変わるのかということには私自身少し疑問もありますがよくわかりません。

2005年にエジンバラの聖ピータース教会でのコンサートと2019年のリサイタル で、ドレスデン写本にある36番とモスクワ写本の98番をまぜて5楽章の教会ソナタ+1みたいな形で演奏したことがありました。とてもギャラントなヴァイスでした。