大学は試験期間です。
今日も私の講義の試験があり、監督→採点で一日使いました。
私の大学時代。
獣医学科では最終的に国家試験がありますので、科目の試験は相当厳しいものでした。覚える量もはんぱでなく、毎回ものすごく勉強した覚えがあります。私はその記憶があるので、今の学生にも勉強の絶対量を要求する試験をします。が、採点はわたしの先生たちよりは甘いと思います。勉強してもらうのが目的なので、重箱の隅はつつきません。でも、形態学などで漢字を間違えると、やはり○にはできません。漢字が違うと違う言葉になっちゃいますからねえ。
今日は実習のレポートもようやく採点しました。
私も学生時代、一生懸命書いたスケッチにAがもらえなくて、いつもBとかB’とか、なにがわるいんだあ、とか思ってましたが、絵の上手下手ではないんですよね。きちんと見ていれば、きちんと描ける。観察への姿勢、スケッチへの取り組み(粘り強さ)、が大事です。
私は今でも『答えられなかった問題』を数多く覚えています。他の人はどうだろう。普通の人は忘れてしまうものなのかな。でも、私は今でも形態を教えるたびに、生理学を教えるたびに、「ああ、ここ、ここが大事なのに、試験に出たのに、あの時はかけなかった」と思い出します。
前にも書きましたが、私は組織学を教えているくせに、かつて組織学を落として、翌年再試験を受けています。家畜衛生は優だったと思いますが、生理学は得意ではありませんでした。だから、今それをなりわいにしているのは本当に不思議です。でも、落としたからこそよく勉強したのは確かです。先生方が厳しかったこと、国家試験という目標があったことは幸いでした。卒業しても忘れない、一生モノの知識を得、勉強の仕方を学んだと思っています。
今日も私の講義の試験があり、監督→採点で一日使いました。
私の大学時代。
獣医学科では最終的に国家試験がありますので、科目の試験は相当厳しいものでした。覚える量もはんぱでなく、毎回ものすごく勉強した覚えがあります。私はその記憶があるので、今の学生にも勉強の絶対量を要求する試験をします。が、採点はわたしの先生たちよりは甘いと思います。勉強してもらうのが目的なので、重箱の隅はつつきません。でも、形態学などで漢字を間違えると、やはり○にはできません。漢字が違うと違う言葉になっちゃいますからねえ。
今日は実習のレポートもようやく採点しました。
私も学生時代、一生懸命書いたスケッチにAがもらえなくて、いつもBとかB’とか、なにがわるいんだあ、とか思ってましたが、絵の上手下手ではないんですよね。きちんと見ていれば、きちんと描ける。観察への姿勢、スケッチへの取り組み(粘り強さ)、が大事です。
私は今でも『答えられなかった問題』を数多く覚えています。他の人はどうだろう。普通の人は忘れてしまうものなのかな。でも、私は今でも形態を教えるたびに、生理学を教えるたびに、「ああ、ここ、ここが大事なのに、試験に出たのに、あの時はかけなかった」と思い出します。
前にも書きましたが、私は組織学を教えているくせに、かつて組織学を落として、翌年再試験を受けています。家畜衛生は優だったと思いますが、生理学は得意ではありませんでした。だから、今それをなりわいにしているのは本当に不思議です。でも、落としたからこそよく勉強したのは確かです。先生方が厳しかったこと、国家試験という目標があったことは幸いでした。卒業しても忘れない、一生モノの知識を得、勉強の仕方を学んだと思っています。