寝屋高から同窓会報が送られてきた、、、私たちの高校には北水会館なるものがあり、わたしはそこでいつも楽器を吹いていた。同窓会は北水会、という。寝屋高のOBには意外な有名人がいたりする。北水会会報を見て「へええ」と思うことはこれまでもあった。今回の驚きは、「日本人が日本の高校に留学?」という記事で、寝屋高OBのお母さんが海外で育った御嬢さんを寝屋高に短期留学させた、、、というものだった。そのお母さんというのが、うちの子供がアメリカにいたときに日本語補習校で習った先生だった。
わたしの実家の近くのご出身ということまでは聞いていたのだ。
でも、寝屋高出身と聞いてなかった。しかも、一級下なだけだった。
ということは、きっと校内ですれちがっていたのだ。
でも、知らなかった。
日本語補習校で6歳だった長男が今19歳。ということは、13年も前の話なのだった。
先生の名前をよく覚えていたなと思うけど、アメリカでは日本人同士の付き合いが濃かったから、プライベートなこともけっこうよく知っていたのだ。だから、アメリカからシンガポールへ、、、というくだりを読んだところで写真をまじまじと見た。間違いなく、みどり先生だった。
先生になりたくてなりたくて、やっとなれてすごくうれしい!と大喜びで教壇に立っていらした。
だけど、たぶんご主人の転勤で急にシンガポールに行かれることになり、たしか1年で離職された。残念そうだったなあ。
今頃こうして再開(一方的に)するのもおもしろいものだなあと思う。
意外な人が、意外なところで見ているということになるかもしれない。
人の縁というのは不思議なものだなとあらためて思った。
わたしの実家の近くのご出身ということまでは聞いていたのだ。
でも、寝屋高出身と聞いてなかった。しかも、一級下なだけだった。
ということは、きっと校内ですれちがっていたのだ。
でも、知らなかった。
日本語補習校で6歳だった長男が今19歳。ということは、13年も前の話なのだった。
先生の名前をよく覚えていたなと思うけど、アメリカでは日本人同士の付き合いが濃かったから、プライベートなこともけっこうよく知っていたのだ。だから、アメリカからシンガポールへ、、、というくだりを読んだところで写真をまじまじと見た。間違いなく、みどり先生だった。
先生になりたくてなりたくて、やっとなれてすごくうれしい!と大喜びで教壇に立っていらした。
だけど、たぶんご主人の転勤で急にシンガポールに行かれることになり、たしか1年で離職された。残念そうだったなあ。
今頃こうして再開(一方的に)するのもおもしろいものだなあと思う。
意外な人が、意外なところで見ているということになるかもしれない。
人の縁というのは不思議なものだなとあらためて思った。