囲碁の本因坊というのは家系の名称で、囲碁の家元みたいなものだった。昭和に入って、本因坊の名称は日本棋院に譲られたが、これは囲碁の世界では家元が最強ではなく、在野の棋士にもっと強い者が出てきたからだと思われる。
実力がはっきりした世界では家元制は成り立たない。華道にせよ茶道にせよ、何が上手で何が下手なのか分からないような世界でのみ、家元制は成立しうる。
俳句の世界でただ一人家元制をつらぬいているのは「ホトトキギス」だけである。俳句には巧拙があるが、囲碁ほどにははっきりしていない。そこに俳句でも家元制を敷く素地がある。
正直言って、「ホトトギス」の今の家元、稲畑汀子さんはそんなに上手くない。彼女は息子の廣太郎さんに家元を継がせようとしているが、廣太郎さんは稲畑さんよりもっと上手くない。彼の代で虚子以来の「ホトトギス」家元制もなくなるのではないか。
幼少時から練習しないと上手くならない伝統芸能がある。能や狂言がそれであるが、多くの一般家庭でピアノのように子供たちに能狂言を練習させるようになれば(そのようなことは考えにくいが)、能狂言の家元制も消えるだろう。
要するに、最後まで残る家元は、冒頭にも述べたように、上手下手がはっきりしない華道、茶道のような技芸しかないだろう。
実力がはっきりした世界では家元制は成り立たない。華道にせよ茶道にせよ、何が上手で何が下手なのか分からないような世界でのみ、家元制は成立しうる。
俳句の世界でただ一人家元制をつらぬいているのは「ホトトキギス」だけである。俳句には巧拙があるが、囲碁ほどにははっきりしていない。そこに俳句でも家元制を敷く素地がある。
正直言って、「ホトトギス」の今の家元、稲畑汀子さんはそんなに上手くない。彼女は息子の廣太郎さんに家元を継がせようとしているが、廣太郎さんは稲畑さんよりもっと上手くない。彼の代で虚子以来の「ホトトギス」家元制もなくなるのではないか。
幼少時から練習しないと上手くならない伝統芸能がある。能や狂言がそれであるが、多くの一般家庭でピアノのように子供たちに能狂言を練習させるようになれば(そのようなことは考えにくいが)、能狂言の家元制も消えるだろう。
要するに、最後まで残る家元は、冒頭にも述べたように、上手下手がはっきりしない華道、茶道のような技芸しかないだろう。