院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

天然痘ウイルスの絶滅

2012-02-14 11:12:54 | 環境
 1980年、WHOは天然痘の根絶宣言を出した。一部の研究所以外に天然痘ウイルスはいなくなった。

 これは、よいことなのだろうか?現在、レッドデータブックというものがあって、絶滅危惧種が掲載されている。にもかかわらず、人類は天然痘ウイルスを絶滅させてしまった。

 天然痘ウイルスも生物である。自然界で一定の役割を果たしていたに違いない。つまり、天然痘ウイルスも生態系の一部だったはずだ。

 そもそも感染症が悪者扱いされるようになった歴史は、そう古いものではない。人類は100万年間、同じような狩猟採集生活をしていた。ところが、つい最近の1万5千年前、農耕が発明され、人類は定住と集団生活を始めた。感染症が問題となり始めたのはこの時期からに過ぎない。

 鳥のトキを何億円もかけて保護しようとして失敗した。生態系がそんなに大事なら、天然痘ウイルスを絶滅させてはならない。

 生態系とか生物多様性とか、しきりに言われる割には、天然痘ウイルス絶滅のことを言う人がいないので、ここで言ってみた。

天皇陛下の前立腺がん

2012-02-13 08:18:19 | 医療
 天皇陛下の狭心症の手術にともない、天皇陛下は平成15年に前立腺にがん細胞が見つかったので、前立腺摘出の手術を受けたと報道されている。

 まてよ、と思う。なぜ「前立腺にがん細胞が見つかった」なぞと持って回った言い方をするのだろうか?前立腺にがん細胞があることを「前立腺がん」と呼ぶのだ。なぜ、はっきりと前立腺がんと言わないのだろうか?

 これまたはっきりと報道されていないが、天皇陛下は前立腺がんのホルモン療法を受けているはずである。天皇陛下のお顔を見れば、専門家なら分かる。

 宮内庁は、なぜ前立腺がんと言わないのだろうか?天皇陛下が前立腺がんにかかって、9年たった今でも公務をこなしている姿を見れば、日本中の前立腺がん患者に大いなる励みを与えることだろう。

 宮内庁は何を考えているのだろうか?

ウィキペディアと大宅壮一文庫

2012-02-12 07:08:40 | マスコミ
 ウィキペディアの項目が充実してきた。ウィキペディアの面白いところは、項目に軽重がないところだ。平凡社の大百科事典には取り上げられそうもない項目がたくさんある。

 たとえば平凡社の大百科事典には「AKB48」は載せてもらえそうにない。ウィキペディアには載っている。

 ウィキペディアは不正確だとの噂があるが、こういう芸能ネタの項目は不正確でも実害がない。

 大宅壮一文庫というのがある。この文庫の索引は、およそ大百科事典とは違って週刊誌的である。例えば「ラーメン」で検索すると過去の記事がいくつも出てくる。

 大宅壮一文庫はジャーナリストが重宝するところだった。ウィキペディアのおかげで、この文庫は価値が半減するのではないか?

 逆に言えば、ウィキペディアに匹敵するような、大衆的百科事典を作った大宅壮一さんは、すごかったとも言える。

ヘルペスウイルス

2012-02-11 10:57:28 | 医療
 ヘルペスウイルスは健康な人の皮膚にも常に存在するウイルスである。

 何かのおりに、それらが活動すると、口唇ヘルペスや帯状疱疹となって発症する。

 これらの皮膚疾患は、自分が罹ったか、知り合いで罹った人がいるような、極めて頻度が高いものである。

 とくに帯状疱疹は、激しい痛みがあり、治ったあとも瘢痕を残したり、神経痛が続いたりする。

 だから私は、ヘルペスのワクチンが必要だと思う。国民病と言えるほどの病気なのだから、そう考えるのが当然だろう。

 だが、ヘルペスのワクチンがあるとは聞かない。私が知らないだけで、すでにワクチンは存在するのだろうか?

動物の赤ちゃんは何故可愛いのか?

2012-02-10 03:58:53 | 心理
 子犬や子猫はなぜ可愛いのだろうか?家畜でなくても、爬虫類の子どもさえ可愛いと私は思う。

 人間の赤ちゃんが可愛いと思うのは人間の本能だろう。なぜ、異種の動物の赤ちゃんも可愛いのか、謎である。

 生まれたての人間の赤ちゃんは、さほど可愛いとは思わない。人間は生理的早産をするからであって、嬰児は胎児と同じである。その代わりに、歩くようになるとてきめんに可愛くなる。

 動物の赤ちゃんは、生まれたときから歩けるから、人間なら1歳児くらいだ。だとしても、動物の赤ちゃんがなぜ可愛く感じるのか不思議である。

 ミニチュア模型を愛好する人は多い。ミニチュア模型の魅力と、人間や動物の赤ちゃんとは何か関係があるのではないか?

舞台が始まる前

2012-02-09 04:37:03 | 芸能
 クラシックファンなら、オーケストラが始まる前、まだ幕が閉まっているときの調音の音にわくわく感を覚えるだろう。

 実は能にも同じようなことがある。舞台が始まる直前に、楽屋から笛の音が聞こえてくるのだ。これには笛の準備体操の意味と、これから始まりますという意味がある。

 曲は決まっていて、曲名を「調べ」という。(能楽関係者は「お調べ」という。)

 能楽ファンは「調べ」が聞こえてくると、鳥肌が立ってくる。人間の条件反射を利用した上手い演出である。

 クラシックにせよ能楽にせよ、それだけで食べていくのは大変である。その上、体調も管理しなくてはならない。地謡方は声が命だから、風邪もひけない。公演当日、風邪をひいて声がかすれたら、もう何ともならない。

 そうした命がけとも言える公演だから、開演直前には、いやが上にも観客のテンションは上がるのである。

読者の皆様に感謝

2012-02-08 13:51:03 | その他
 このブログのリピーターの方の数が1,100名を超えました。ありがたいことです。

 リピーターとは過去1ヵ月以内に2回以上、当ブログへ来られた方の数です。同じ方を2回勘定してはいません。だから、この数は別々の個人様の数です。(グーグルの有料解析によるものですから、確かでしょう。)

 このブログを始めた6年前は、読者は友人、親類縁者、患者さんに限られていました。今や、それらの人たちは一部になり、圧倒的多数が私が直接知らない方々となりました。

 これからも独断極まりない書き込みを続けていきます。このブログの読者の方々は私の独断を面白がっていらっしゃると考えるからです。

 これからも当ブログを、よろしくお願いいたします。

小児精神医療のお寒い現状

2012-02-08 06:01:05 | 医療
 私は小児を診ない。正確に言うと、小児を診る力量がない。

 小児精神医療を実践するためには、上級医について、数年間のトレーニングが必要である。

 小児はこれからの人間である。これから、どんどん発達していくポテンシャルをもっている。人間の一生を形成する大事な時期が、小児期である。

 だから、小児を診るには、外科手術なみの修練が必要である。外科手術は一歩間違えると死に直結する。実は小児精神医療も同じである。人生のもっとも大事な時期に、誤った治療をすると、もう取り返しがつかない。

 小児を本当に診ることができる精神科医は少ない。小児精神医学会の認定医は、わが国で700名程度しかいない。(普通の精神科医は1万人近くいる。)

 一方、半ば流行のように、アスペルガー症候群やAD/HDが騒がれている。ために需要は多い。いきおい、さしたるトレーニングも受けていない精神科医が小児を診ることになる。大丈夫だろうかと私は思う。

 私が小児を診られないのは、私が外科手術をするのと同じで、怖くてできないのである。

 ところが、世の中には怖いもの知らずの精神科医が沢山いて、需要があるからと小児に手を出す医者がいる。外科手術なら手を出さないくせに、小児精神医療だと出すのである。命にかかわらないからである。

 命にはかかわらなくても、変な大人を作ってしまう恐れがある。精神科医はもっと自重せよ。小児が診たいなら、外科医くらいの厳しいトレーニングを受けよ。

 わが国の小児精神医療のお寒い現状を私は憂う。大人の精神医療ができるからと言って、小児の精神医療もできると錯覚するお調子者の精神科医が多過ぎる。

デジタルカメラの解像度

2012-02-07 04:30:03 | 技術
 デジタルカメラの進歩が急激である。ピクセル数、何万画素と競うように解像度がよくなっていく。

 解像度がよくなっていくということは、画像が鮮明になり、かなりの拡大にも耐えられるということだ。ここで一つの疑問が湧く。

 普通、撮った映像はテレビ画面かプリントで見る。プリントで見る場合、プリンターの解像度はどうなっているのだろうか?

 そもそも、インクジェット・プリンターに解像度という概念はあるのだろうか?そうした概念を無視できるほどにプリンターの解像度は高いのだろうか?

 もし、プリンターの解像度がデジタルカメラのそれより低ければ、カメラが何万画素であっても無意味である。

花粉症、アトピー性皮膚炎

2012-02-06 08:20:10 | 医療
 もうじき花粉症の季節である。花粉症は日本独特の病気なのだろうか?世界中にあるのだろうか?

 少なくとも私が幼少のころはなかった。テレビで医者が「花粉症が増えたのは杉が増えたからだ」と言っていたけれども、本当だろうか?それが本当なら、花粉症は昔から杉林の近くの住民にはあったと証明されなければならない。

 アトピー性皮膚炎も昔はなかった。これも諸外国でどうなっているのか、一向に報道されない。こんなに重要な情報がなぜ報道されないのだろうか?

 花粉症もアトピーもアレルギーである。だとすると、若い人や子どもの免疫力か弱くなってきたというのは、本当なんじゃないか?

 弱くなった根拠として挙げられているものに、寄生虫と泥んこ遊びの減少がある。

 私が小学校のころは、クラスに2,3人は寄生虫保持者の子どもがいた。寄生虫が絶滅して、その分、子どもの免疫力が下がったという説には真実味がある。

 こうしたデータをマスコミはもっと報道せよ。

歌手・元ちとせさん

2012-02-05 11:20:34 | 芸能
 歌手の元ちとせさんが復帰した。子育てをされていたようである。

 休業前から、この人の歌はすごいと思っていた。復帰されたので愉しみだ。

 何がすごいと言って、彼女のコブシがすごい。ああいうコブシは奄美大島では当たり前なのだろうか?

 一度聴いたら忘れられない歌声である。元ちとせさんは、チャンスさえあれば、世界的な歌姫になるだろうと、今から予想しておく。

 (元ちとせさんの歌唱例・民謡)

言葉にするとウソになる

2012-02-04 13:54:35 | 日本語
 次の短歌が好きだ。

   友だちでいようだなんて本当の友だちならば言わない絶対

 作者はアマチュアの若い人だが、名前を失念した。

 この歌は思いを言葉にすることを戒めている。

 西洋の風習はよく知らないが、言葉にしないと通じないと聞いたことがある。だが、それは語弊があるかもしれないが、野蛮である。

 日本の場合は、言葉にしなくても通じる、あるいは、言葉にしたらかえって意味を失う、あるいは、言葉にするまでもないといったことがある。以心伝心、言わぬが花という美学である。

 これは土居健郎の言う「甘え」に通じることなのかもしれないけれども、わが国では言葉にしてしまうと、かえってウソになるということは少なくないのである。

家元制度

2012-02-03 08:37:06 | 囲碁将棋
 囲碁の本因坊というのは家系の名称で、囲碁の家元みたいなものだった。昭和に入って、本因坊の名称は日本棋院に譲られたが、これは囲碁の世界では家元が最強ではなく、在野の棋士にもっと強い者が出てきたからだと思われる。

 実力がはっきりした世界では家元制は成り立たない。華道にせよ茶道にせよ、何が上手で何が下手なのか分からないような世界でのみ、家元制は成立しうる。

 俳句の世界でただ一人家元制をつらぬいているのは「ホトトキギス」だけである。俳句には巧拙があるが、囲碁ほどにははっきりしていない。そこに俳句でも家元制を敷く素地がある。

 正直言って、「ホトトギス」の今の家元、稲畑汀子さんはそんなに上手くない。彼女は息子の廣太郎さんに家元を継がせようとしているが、廣太郎さんは稲畑さんよりもっと上手くない。彼の代で虚子以来の「ホトトギス」家元制もなくなるのではないか。

 幼少時から練習しないと上手くならない伝統芸能がある。能や狂言がそれであるが、多くの一般家庭でピアノのように子供たちに能狂言を練習させるようになれば(そのようなことは考えにくいが)、能狂言の家元制も消えるだろう。

 要するに、最後まで残る家元は、冒頭にも述べたように、上手下手がはっきりしない華道、茶道のような技芸しかないだろう。

四則計算ができないコンピュータ

2012-02-02 11:36:36 | コンピュータ
 昔のコンピュータなら難なくできた四則計算が、現在のコンピュータ(WINDOWSマシン、マックOS)ではすぐにはできない。

 例えばある薬の血中濃度を唾液中濃度から類推する場合、次のような関数を用いる。

 ((X^0.2/p^3.1)*(Y^0.3/p^4.2))/((X^0.4/p^0.4)*(Y^0.3/p^0.5))

 ここで X は唾液中濃度 Y は体重あたりの服薬量 p は唾液の pH である。

 こんな四則計算はFORTRANやBASICではお茶の子さいさいだった。それが、最近のコンピュータでは、表計算のマクロを使っても一苦労なはずだ。だいたいマクロでべき乗ができるのだろうか?

 このような計算が日常的に必要な人たちは、どのように計算しているのだろうか?FORTRAN以前には電卓でやっていたのだが・・。

プロの歌手

2012-02-01 20:32:22 | 芸能
 幼少のころ、NHKののど自慢を見て、出演者で合格した人の歌の上手さに驚いた。

 「この人たちは、どうしてプロになれないの?」と父親に問うた。父親の答えは「個性がないからだ」だった。

 確かに一流の歌手には個性がある。女性演歌歌手で言うと、石川さゆりさん、川中美幸さん、坂本冬美さんらには強烈な個性がある。だから、彼女らが別の歌を歌っても、ブラインドでその人だと分かる。

 それに較べて、藤あや子さんには個性がない。彼女が映像なしで別の歌を歌ったら、彼女とはすぐに分からないだろう。彼女はビジュアル面で起用されているのだと思われる。

 ジャニーズ系の歌手は、ブラインドで歌だけ聴いたならば、誰が誰だか分からない。個性云々以前に、そもそもNHKののど自慢でさえ合格できないはずだ。