院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

惑星間航行は可能か?

2017-07-25 08:17:20 | 科学

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他の惑星への移住は今の技術では無理なようだ。時間がかかりすぎるからだ。

生物は無重力下での長期滞在ができない。植物は重力がなければ葉を上に根を下に伸ばすことができない。

宇宙飛行士が宇宙船内で自転車こぎなどをやって筋力を保とうとしているけれども、筋力は保たれても無重力下では(先日述べたTCAサイクルなどの)生体反応系がうまく働かないことが分かっている。つまり、なぜか(食物などの)物質代謝が十分にできないということだ。

この事実はロシアもアメリカも、とっくに知っている。しかし、国民の夢を消してしまうから発表しないのだろう。

惑星間航行にはワープ航法などの革命的発明が必要である。


 ※私の俳句(夏)
    梅雨晴間網乾かしてゐる漁村

精神分析療法はほんとうに効くのか?

2017-07-24 17:15:30 | 医療

(S.フロイト。ウィキペディアより引用。)

フロイトの精神分析療法で自分はよくなったという患者さんに出会ったことがない。

患者を横にならせ、いわゆる自由連想をしてもらう。連想がひっかかると過去のそのテーマに問題があると考えるのが精神分析療法の基本である。

すごく簡単に言うと、連想がひっかかった部分にトラウマ(心的外傷)がある。それが言語化できていないので精神症状となって出てくる。だから、トラウマを言語化できるようになると精神症状も消える、と精神分析療法では考える。

一時、アメリカでは自分の「おかかえ分析医」をもつのがステータスシンボルとなった。それほど普及したのに成功例の報告が少なすぎる。

トラウマの概念を否定する学者もいる。フロイトの業績でもっとも重要なのは「対人関係の発育論」だと私は思う。


 ※私の俳句(夏)
    冷やし蕎麦食べ競ひたる姉妹かな

テレビには食べるシーンが多すぎる

2017-07-23 15:17:26 | 社会

(徳光和男の「路線バスの旅」より。)

俳優の高倉健は、ものを食べる姿を他人に見せなかった。「俳優は夢を売る商売だから」と。

私たちの親世代(戦前派)は(とくに女性は)人前で食べるとき、軽く手で口元を隠した。食べることは排泄を連想させるからだろう。

今はテレビでも平気で食べる口元を写す。タレントのほうも平気だ。これは世の流れとして仕方のないことだろうか?それとも人々にたしなみがなくなったのだろうか?


 ※私の俳句(夏)

    浜木綿の野趣ゆたかなりオホーツク

地球温暖化にかんするNHKの変化

2017-07-23 12:11:26 | 環境
OECD 平均気温上昇を2度未満に抑制は困難


これまでNHKは「温室効果ガスの二酸化炭素」と、枕ことばのように「温室効果ガス」という用語を「二酸化炭素」の前に付けてきた。しかし最近はたんに「温室効果ガス」とだけ言うようになった。(上のニュースはなにを言いたいのか意味が分からない!)。

温室効果ガスというと水蒸気と二酸化炭素が圧倒的で、人間はほとんど出さないメタンが続く。(一時、冷蔵庫に使うフロンガスがやり玉にあがったこともあった)。NHKが言う温室効果ガスとは何を指しているのか、ますます分からなくなった。

NHK高校講座では以前には地球温暖化を人間が出す二酸化炭素のせいにしてきたが、最近では「温暖化の原因には諸説ある」との姿勢に変わってきた。

国連のIPCCという2,000名からなる団体の発表が地球温暖化仮説の元祖である。だが2,000名の科学者の意見が一致するなんてありえない。(だからIPCCは科学者の集まりではなく政治的な団体だと推測する)。

大学教授の武田邦彦氏がさかんに地球温暖化のウソについて述べているので、ここでは繰り返さない。ただ、地球温暖化論者がそれを人間のせいにするには、13世紀や17世紀におこった世界的寒冷化についても説明する必要があるだろう。

(トランプ政権がパリ協定に加わらないのは、じつは地球温暖化の人為的二酸化炭素仮説に懐疑的だからである。この仮説は火山の影響や太陽活動変化を無視しているから)。


 ※私の俳句(夏)

    浜木綿がちらほら浜の漁師小屋

中国に住んだことがある人の考え

2017-07-22 17:55:04 | 歴史
北京大学卒業式で教師が講演「自由を広め、自由を守れ」20170712


友人に中国(杭州)で会社を経営している者がいる。彼は中国の悪口を言わない。わざと言わないのではなく考えてもいないようだ。

中国での駐在歴が長い別の友人は、中国はおびただしい多民族国家で、ひとつの省内でさえ民族が分かれるという。しかしながら、現在の中国は中国共産党を「皇帝」とする「帝国主義国家」で、「皇帝」が機能しなくなればヨーロッパや中央アジアのように沢山の国に分かれるだろう、と予測している。(したがって、中国を一国とみなして論じるのは難しいらしい)。

中国4,000年の歴史と言うけれども、中国は他民族に支配されていた期間が長い。唐、元、清しかりだ。このかん、中国民衆はどのように暮らしていたのだろうか?高校で中国史を教わったが、その方向への言及はまったくなかった。


 ※私の俳句(秋)

    月出でて家々の灯の落とさるる    

四季に敏感な日本文化

2017-07-22 14:09:05 | 文化

(日本料理「志摩」のHPより引用。)

日本料理は四季を重んじる。温室栽培の季節外れの材料なぞ絶対に出てこない。

茶の湯にせよ能楽にせよ、むかしからの日本文化は常に四季を意識してきた。茶の湯の活け花はむろん当季のものだし、能楽の演目「鉢木」は冬のみ、「鵜飼」は夏のみしか演じられないそうだ。

俳句も同じ。季節(季語)が重要である。金子兜太氏らは無季の俳句を推奨しているけれども成功していない。金子氏は四季以外に「雑」という項目を設けている。しかし、それが詰まらない。(たとえば「雑」には「サラリーマン」などの語がはいる)。

無季俳句を奨励するなら、日本料理なら季節外れの材料を使い、能楽なら雪が出てくる曲を夏に演じるというくらいまで徹底しなくてはならないだろう。


 ※私の俳句(夏)

    夕立が街の匂ひを一掃す

「見れる」、「食べれる」

2017-07-22 08:34:58 | 日本語

(広告「英語学習ボックス」より引用。)

NHKテレビでは話し手が「見れる」、「食べれる」などの「ら抜き言葉」を使用しても、字幕では「見られる」、「食べられる」に直してある。

「ら抜き言葉」擁護派は、文法が先にあったのではなく実用例が先にあったのだから、文法の方を訂正するべきだという。もっともだと思う。

私が幼いころは「取れる」を「取られる」、「着れる」を「着られる」と話していた大人が結構いた。もう10年もすれば「見れる」、「食べれる」も普通の用法になるだろう。

(ただし現在ではまだ、ある程度の年齢の人が「ら抜き言葉」を使うと、教養を疑われることを覚悟しなくてはならない)。


 ※私の俳句(夏)

    冷たくて汁のこぼるるトマトかな

敵性言語としての英語

2017-07-21 08:39:41 | 日本語

(戦時中のアメリカのポスター。ウィキペディアより引用。)

私たちの親世代すなわち戦前派には英語の読み書きがまったく出来ない人が多い。彼らは自分たちの怠惰を棚に上げて「英語は敵性言語として禁止されていた」と言う。たしかに、そういう面もあっただろう。

東條英機はむしろ「敵の言語を知ることは大切だ」と考えていたが、民衆の「軟弱だ!」という声に押されて英語の授業時間は短縮された。

おなじことがアメリカやイギリスでも起こった。上のアメリカのポスターには「敵の言語をしゃべるな!」と書いてある。敵のことを知るのは大切なのに、民衆にまかせるとこういうことになる。民衆はしばしば愚かである。(なぜか戦前派でも一流人には英語に堪能な人が多い)。


 ※私の俳句(夏)

    老人の買ひものに添ふ娘(こ)の日傘

ことば遊びとしての哲学

2017-07-20 11:17:56 | 日本語

(アリストテレスの像。ウィキペディアより引用。)

(今日の話は興味のない方には不向きだからスキップしてください)。

随分むかし、ある大学の哲学科の聴講生になったことがある。古代ギリシャの哲学者はすごいなと思った反面、現代の哲学者の論はダメだと思った。

当時、流行っていたハイデッガーの論なんて何を言っているのか分からん。言葉遊びかとも思った。ハイデッガーは英語の be 動詞にあたるドイツ語の sein (ザイン)を名詞化して s を大文字にした Sein という概念を作った。

ザインは「存在」と日本語訳されているが、それではもっと分からなくなる。ほかにも、da-Sein , in-der-Weld-Sein (それぞれ現存在、世界内存在と訳される)といった珍妙な用語が使用され、日本語で読んだら絶対に理解できない。

自然言語にたよった新造語はいただけない。歴史的にハイデッガーは残らないだろうと直感した。プラトンやアリストテレスらが生き残ったのは新造語を使用しなかったという点にもあるだろう。

じじつ今、ハイデッガー哲学を学ぼうとしている人は極めて少ないのではないか?(半世紀前には大流行したのに・・・。ハイデッガーの理論をもとにした「現存在分析」という精神療法が提唱されたこともあった。現在「現存在分析」を学ぼうとする精神科医や心理学者はゼロである。屁理屈ばかりで治療効果がないから!)。


 ※私の俳句(秋)

    昼の熱ひきずつてゐる星月夜

小説にかんする誤解(2)「赤ひげ」

2017-07-19 12:00:25 | 読書
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「赤ひげ」に「医は仁術」という言葉が出てくる。今では「医は仁術」は、いい意味で使用される。だが「赤ひげ」の本文のなかでは、この言葉は悪い意味で用いられている。

赤ひげ曰く、「人間は風邪ひとつ治せないのに ”医は仁術” なぞと自分で言って、民衆をだます医者が多すぎる」。

もとの意味が正反対になってしまった、これは好例である。


 ※私の俳句(夏)

    母を訪ふ介護ホームの青すだれ

小説にかんする誤解(1)「金色夜叉」

2017-07-19 05:55:53 | 読書
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上の写真は熱海にある「貫一お宮」の銅像である。貫一は下駄をはいている。貫一は本当に下駄をはいていたのだろうか?

「金色夜叉」の本文を読むと、「(貫一の)靴音が去って行った」という記述がある。じつは貫一は熱海では靴をはいていたのだ。つまり、この銅像は大いなる誤解である。

次の岩波文庫の挿絵は、ちゃんと靴をはいている。これが正しいのだ。




※私の俳句(秋)

     法師蝉聴き漱石の「こころ」閉づ

葉緑体のはたらき

2017-07-18 19:03:47 | 生物
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(TCAサイクル。ブログ「高校生物のお勉強」より引用。)

上のような円環状の化学反応が発見されてノーベル賞を受賞したのは戦前のことである。これをTCAサイクル(クエン酸回路)と呼び、有酸素生物が生存に必須な補酵素が生産される。

(補酵素とは酵素を触媒とする反応に必要なアデノシン3リン酸など。ふつうの酵素より分子量が少なく、化学構造が記載可能。ビタミンなども補酵素の一種である。これらの化学反応は電子をやり取りするので、電子伝達系とも呼ばれる)。

植物は太陽光をでんぷんに変換して生きている。そのためには葉緑体が必要だが、私が中学高校時代(約50年前)には、葉緑体の具体的な役割はまったく謎だった。

ところが現在では葉緑体をめぐって円環状の化学反応系が4個もわかってきた。(今後さらなる反応系が見つかるかもしれない)。生命とは複雑きわまるものである。

私がTCAサイクルを習ったのは大学においてであった。現在は高校で教えられる。今の高校生はたいへんだなと思う。

私の母校は変な高校で、量子力学を教わった。だがしかし、量子力学は日本の明治大正時代にもっとも進歩した。つまりTCAサイクル発見よりずっと以前の話である。発見された時代がこれからどんどんが若くなっていくと、中高生の負担は想像を絶する。

ゲノムについても教えられるようになるのだろうか?細胞核内の染色体から2重螺旋を習って、ゲノムに行きつくまでだけでも容易でないのだ。(私もそれだけで苦労をした)。

でも、そうでもしないと日本が人口の割にノーベル賞が多いのがなくなるかもしれない。(中国は人口の割に平和賞など1,2名しかいない)。


 ※私の俳句(夏)

    天ぷらの手許あざやか夏料理

(「にほんブログ村」のほうは現在、誤動作中です。順位の一覧表が正しく表示されません。しかし、当ブログは2位まで上昇してきたことが分かっています)。

電子データの参照不能性

2017-07-18 15:19:58 | 技術
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ブログを10年以上続けていると、けっこうな量になる。しかし、前回も言ったとおりブログの記事が電子データとしてどこのサーバーにあるのか分からない。

私がいなくなってしまえば私の家族ももう参照できなくなるだろう。せっかくの積み重ねがフイになってしまうのだ。

だから私はブログ記事を本にした。300ページの本が15冊にもなってしまった。でも、これで誰でも見られるだろう。

電子データほど当てにならぬものはない。


 ※私の俳句(夏)

    雨やんでまた始まりぬ蝉しぐれ


メディアは古いほど残る

2017-07-18 07:37:55 | 技術
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(石に刻まれたヒエログリフ。ウィキペディアより引用。)


(8ミリ映写機。ヤフオクより引用。)

げんざい、ビデオカセットテープを再生できる人はどれくらいいるだろうか?もしかすると、8ミリフィルムを見られる人より少ないかもしれない。

古い遺跡から木簡が見つかって、古代の歴史の解明に寄与している。紙の記録より木簡のほうが耐用年数が長い。さらに、石碑のように石に掘った記録はもっと残りやすい。ロゼッタストーンや古代エジプトのヒエログリフがそうだ。楔形文字の粘土板もそう。

メディアは古いほうが残りやすいのである。現在、デジタル写真が隆盛だが、乾板や湿板に記録された明治時代の写真のほうが残りやすいだろう。デジタル写真はコンピュータなどがないと見ることができない。デジタル写真も近い将来、見られる人は少なくなるだろう。

だから私は、残したい写真は紙に印刷してアルバムに貼るようにしている。


 ※私の俳句(秋)

    街の灯の見ゆる物干し星月夜


クロマグロ(本マグロ)という名称

2017-07-17 08:42:28 | 日本語
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(3代目三遊亭金馬。ウィキペディアより引用。)

古典落語の「薬缶(やかん)」は3代目三遊亭金馬の得意噺であった。何でも知っていると豪語するご隠居に八五郎がいどむ。

「魚のコチはなぜコチというんですかい?」
という八五郎の問いに対してご隠居は
「こっちに泳いでくるからコチじゃ」
「向こうへ行ったらどうするんですかい?」
「お前が向こうに回ればいいのだ」

「ヒラメは?」
「平たいところに目がついているからだ」
「じゃあカレイは?」
「あれはヒラメの家来で、家令をしているからじゃ」

このようにして、ご隠居のこじつけがえんえんと続く。中にマグロの名称に対する問いがあり、ご隠居は「真っ黒だからだ」と答える。これはこじつけではないように思う。

一昨日述べたように、現在ではさらに黒をつけて本マグロのことを「クロマグロ」と呼ぶ。歴史的に最初は「クロ」だったが、「クロ」の中の中核として「真(マ)」が付けられ「マグロ」となった。さらに歴史を下ると「マグロ」の中の代表として「本マグロ」と呼ばれ、最終的に再び「黒」が付いて「クロマグロ」になったとは考えられないだろうか?

じじつ今のマグロ漁師は「メバチマグロ」や「ビンナガマグロ」をマグロとは呼ばない。漁師がマグロと言うのは「クロマグロ」だけである。値段もぜんぜん違う。「メバチマグロ」はたんに「バチ」と呼ばれる。

私たちが常に食べてスーパーでも売っているマグロの刺身はみな「メバチマグロ」である。スーパーごときで本マグロなぞ売っているはずもない。

     (タイセイヨウクロマグロ。ウィキペディアより引用。 )
     


 ※私の俳句(夏)

    老若が出てくるメロン狩りハウス