「紙本墨画淡彩夜色楼台図」が国宝になりました。
江戸時代、与謝蕪村筆の一幅です。
京都の東山の、雪夜の町並みを見下ろした墨絵の
一枚、ともすると見過ごしてしまいそうなほど
平易な風景です。
まるで不透明水彩のように濃厚な灰色が目を惹きます。
夜空を描いた黒はアクリルの板に、そのまま
墨をこぼしたかのような荒い黒が途切れ途切れに
灰色の空に浮かんでいます。紙に一筆置いて線で描く
水墨画の連想からはほどとおい濃密さです。
与謝蕪村と言えば、「又平自画賛」などの
丸くて細い線に、小さな白まるで筆先をくりっと
させた、どことなしに能天気な画が浮かぶかと
思います。
確かに、家々の連なる屋根の曲線、それを
埋めるようにぼたぼたと紙に落された灰色は無造作です。
でも、その家の窓にひとはけ塗られた薄い朱色が
なんともいえず暖かく見えるのです。
雪の夜は、積もった雪の照り返しでひときわ
明るく道が見えるものですが、一方で空は雲に
覆われて、いつもの夜とは違う、重みのある
暗さがあると思います。その雪夜の重みを、
蕪村は黒をかぶせた上、更に白を吹き付けるという
技法をつかってあらわしているのです。
『「夜色楼台図」は、いわば蕪村のこころに刻印された
東山の姿だったはずである。写生的風景というのでは、
まったくない。描き手のやわらかな心性が、ここに
宿っているのだ。』
と藤田真一が著書の「蕪村」に書いています。
岩波新書で出た、初の蕪村入門書「蕪村」から
九年も経っていて、しかもそれまで「蕪村」の
入門書といったものはなかったそうです。
とても目のいい本だと思います。
正岡子規による蕪村の発見、萩原朔太郎による
解説、といった従来の与謝蕪村観をふまえた上で、
じゃあ直接蕪村にふれてみようか、とわくわくした
姿勢から本が始まっています。
画と詩、どちらにも卓越した才人・蕪村の作品を、
どちらもこぼさずに丁寧に拾い、最後にしっかりと
「春風馬堤曲」という三十二行、十八首から成る
一本を論じてすっきりと終らせています。
日刊ゲンダイの「狐」氏の紹介で手に取った本ですが、
なるほどと思う読みやすさ・わかりやすさ・深さの
一冊でした。
江戸時代、与謝蕪村筆の一幅です。
京都の東山の、雪夜の町並みを見下ろした墨絵の
一枚、ともすると見過ごしてしまいそうなほど
平易な風景です。
まるで不透明水彩のように濃厚な灰色が目を惹きます。
夜空を描いた黒はアクリルの板に、そのまま
墨をこぼしたかのような荒い黒が途切れ途切れに
灰色の空に浮かんでいます。紙に一筆置いて線で描く
水墨画の連想からはほどとおい濃密さです。
与謝蕪村と言えば、「又平自画賛」などの
丸くて細い線に、小さな白まるで筆先をくりっと
させた、どことなしに能天気な画が浮かぶかと
思います。
確かに、家々の連なる屋根の曲線、それを
埋めるようにぼたぼたと紙に落された灰色は無造作です。
でも、その家の窓にひとはけ塗られた薄い朱色が
なんともいえず暖かく見えるのです。
雪の夜は、積もった雪の照り返しでひときわ
明るく道が見えるものですが、一方で空は雲に
覆われて、いつもの夜とは違う、重みのある
暗さがあると思います。その雪夜の重みを、
蕪村は黒をかぶせた上、更に白を吹き付けるという
技法をつかってあらわしているのです。
『「夜色楼台図」は、いわば蕪村のこころに刻印された
東山の姿だったはずである。写生的風景というのでは、
まったくない。描き手のやわらかな心性が、ここに
宿っているのだ。』
と藤田真一が著書の「蕪村」に書いています。
岩波新書で出た、初の蕪村入門書「蕪村」から
九年も経っていて、しかもそれまで「蕪村」の
入門書といったものはなかったそうです。
とても目のいい本だと思います。
正岡子規による蕪村の発見、萩原朔太郎による
解説、といった従来の与謝蕪村観をふまえた上で、
じゃあ直接蕪村にふれてみようか、とわくわくした
姿勢から本が始まっています。
画と詩、どちらにも卓越した才人・蕪村の作品を、
どちらもこぼさずに丁寧に拾い、最後にしっかりと
「春風馬堤曲」という三十二行、十八首から成る
一本を論じてすっきりと終らせています。
日刊ゲンダイの「狐」氏の紹介で手に取った本ですが、
なるほどと思う読みやすさ・わかりやすさ・深さの
一冊でした。