:平凡社 「三国志談義」安野光雅&半藤一利著 2009年6月
通っていた小学校で、4年生の頃になるまで図画を教えてくださった
先生がいました。
山男みたいな風貌で、そのくせ教え方はものやわらかで、
安野光雅が大好きな先生でした。
そして、私が算数に出会ったのも安野光雅の絵本でした。
水彩を主とする彼の絵は、水墨画と鉛筆の間のような、どことなく震えた
線で小さく事物を描いて、代わりに大きな風景をまるごと画用紙に放り込む、
小さいのに一つ一つのものが全てあるべきところであるべきかたちをとった、
安定感の有る絵だと思います。
そんな「レッドクリフ」の風景が、本書のカバー絵となっているのです。
絵の原本は、昨年出版された「絵本 三国志」から引用された”赤壁の戦い”
のシーンです。
薄い灰色と水色、時折紺色をおりまぜた深みの有る水に、おおらかな筆で
炎の朱色がひかれ、大勢の兵士達が戦っているのに血のにおいはありません。
この人は、三国志を歴史の流れの一部として捉えられる眼があります。
やっぱり画家だな、と思いました。
そんな画家と、昭和史に詳しい小説家が好きなものを持ち寄ってした
おしゃべりを書き取った、これはそういう本です。
「好きなもの」と書きましたが、巷の歴史好きが語るように語るわけではなく、
話を広げてゆくやりかたが自然なので、「あれがすき」「これがすき」と、
変な熱気がありません。
たとえば「三顧の礼」という、蜀の君主劉備が名参謀・諸葛亮を乞い求める
逸話があるのですが、安野光雅の若き日、柳宗理に住宅設計を頼んだ話から、
天皇陛下の美智子妃へのプロポーズまでのびのびと話題が広がってゆきます。
序章で、ふたりが中国のスケールを再確認するところから始まります。
ここがいいです。
地図上で見ると、日本よりもずっと広いことは分かるのに、地図的には
「近い」と思うものを日本地図の「近い」と勘違いしてしまう。
それは、安野光雅がいう、
『わたしの「身の丈」は、この対談の中にあるように、
日本地図的なスケールでした。中国の広大さは知識としては知っていても、
行ってみるまで、自分の身にはついていなかったのです。』
「身の丈」ということなのですが、これを二人がきちんと自覚している、
で、あえてその差を埋める気張りが無いので、「三国志」は他の国の
歴史で物語なのだな、という線引きを勝手にしてくれるところが
親切なのです。
「身の丈」からはじまって、最後はとても「身の丈」的な、
日本で江戸時代うたわれた三国志「川柳」でしめくくります。
おなべをあたためるところから始まる鍋物のように、始まりと終わりが
すきっと締まる本でした。
通っていた小学校で、4年生の頃になるまで図画を教えてくださった
先生がいました。
山男みたいな風貌で、そのくせ教え方はものやわらかで、
安野光雅が大好きな先生でした。
そして、私が算数に出会ったのも安野光雅の絵本でした。
水彩を主とする彼の絵は、水墨画と鉛筆の間のような、どことなく震えた
線で小さく事物を描いて、代わりに大きな風景をまるごと画用紙に放り込む、
小さいのに一つ一つのものが全てあるべきところであるべきかたちをとった、
安定感の有る絵だと思います。
そんな「レッドクリフ」の風景が、本書のカバー絵となっているのです。
絵の原本は、昨年出版された「絵本 三国志」から引用された”赤壁の戦い”
のシーンです。
薄い灰色と水色、時折紺色をおりまぜた深みの有る水に、おおらかな筆で
炎の朱色がひかれ、大勢の兵士達が戦っているのに血のにおいはありません。
この人は、三国志を歴史の流れの一部として捉えられる眼があります。
やっぱり画家だな、と思いました。
そんな画家と、昭和史に詳しい小説家が好きなものを持ち寄ってした
おしゃべりを書き取った、これはそういう本です。
「好きなもの」と書きましたが、巷の歴史好きが語るように語るわけではなく、
話を広げてゆくやりかたが自然なので、「あれがすき」「これがすき」と、
変な熱気がありません。
たとえば「三顧の礼」という、蜀の君主劉備が名参謀・諸葛亮を乞い求める
逸話があるのですが、安野光雅の若き日、柳宗理に住宅設計を頼んだ話から、
天皇陛下の美智子妃へのプロポーズまでのびのびと話題が広がってゆきます。
序章で、ふたりが中国のスケールを再確認するところから始まります。
ここがいいです。
地図上で見ると、日本よりもずっと広いことは分かるのに、地図的には
「近い」と思うものを日本地図の「近い」と勘違いしてしまう。
それは、安野光雅がいう、
『わたしの「身の丈」は、この対談の中にあるように、
日本地図的なスケールでした。中国の広大さは知識としては知っていても、
行ってみるまで、自分の身にはついていなかったのです。』
「身の丈」ということなのですが、これを二人がきちんと自覚している、
で、あえてその差を埋める気張りが無いので、「三国志」は他の国の
歴史で物語なのだな、という線引きを勝手にしてくれるところが
親切なのです。
「身の丈」からはじまって、最後はとても「身の丈」的な、
日本で江戸時代うたわれた三国志「川柳」でしめくくります。
おなべをあたためるところから始まる鍋物のように、始まりと終わりが
すきっと締まる本でした。