ホテルをチェックアウト後、バス停まで歩いて30分。香格里拉(シャングリラ)行きのバスは麗江を9時30分に出発しました。
麗江から西側の峠を越え、昨日行った拉市湖の横を通り抜けて、バスは金沙江沿いに進みます。
この辺りの金沙江の河幅は広く、山間部をゆったりと流れています。
途中王龍雪山、そして哈巴雪山を右手に見ながら(残念ながら私の席は左手で写真が撮れなかった)進みます。
金沙江の激流で知られる虎跳峡の町を通過して、バスは金沙江から外れて支流の小中甸河ぞいに進みます。
この辺りの渓流はなにやら岐阜の地元の渓谷の風景と似ていて、もちろん居ないのはわかっているんですが、思わずアマゴ、岩魚のポイントを目で追ったりしてしまいます。
小中甸(小シャングリラ)と呼ばれるところを通過して香格里拉に入ります。この辺りは広い高原状の様相をしており、さすがに3200mの高度があるので、道路こそありませんが雪が牧草地のところどころに残っています。
シャングリラの街に入ると麗江とは違い道路に車も少なく、なにか閑散とした雰囲気もあります。
バスは町の北外れにある長距離バス亭に止まりました。先にバス亭で明後日の麗江への戻りの切符だけ購入してホテルへ向かいます。
ところでこのバス停の切符売り場の地図を見ると香格里拉から拉薩(ラサ)までの路線が繋がっています。(もしこの後も休みが続いていたら、パーミッション無しでチベット入りを試みるかもしれないなあ)
大理、麗江と違ってシャングリラの街はほとんどの店が閉まっています。春節なんでこれが普通なのかもしれませんが、大理、麗江では多くの中国人旅行者を見ました。中国も従来は春節には親族が集まって祝いを過ごすという習貫から少しづつ変化してきて日本と同じように個人の楽しみを優先するようになってきているのでしょうね。(だいたい私がそうだもの)
ホテルには歩いていくつもりでしたが、住所だけはわかっているものの、地図も持っていなかったのでさっぱり検討が付かず、最後はタクシー利用となりました。
ホテル前には小さな公園があり、公園の石段を流れる水はすっかり凍っており、公園の池も氷が張って子供たちが氷の上で遊んでいます。でも氷が薄くって見ていてハラハラ。
しかし、高度が高いのと空気が澄んでいるせいで日差しが強く、日向ではほんとうに寒くありません。しかし日陰に入ると、さすがに寒く、日向と日陰で上着2枚ぐらいの温度差を感じてしまいます。
エアコンも効かない安ホテルの北側部屋に泊まりましたが、あきらかに外より寒いです。(こんなときのためにシュラフ持参で来てるんですが)
シャングリラにも独克宗古城という古城があります。麗江ほどではないですが、春節でも半分ぐらいはお店が開いていました。
古城そのものはどこでも観光地化されよく似た風景ですが、古城の南側に大きなマニ車のある朝陽楼があります。
多くの参拝客がマニ車を回しています。私も他の観光客と同じく一周回って願掛けをしました。
朝陽楼前の月亮広場でチベット民族などが春節の催し物をやっていました。
ここ香格里拉はチベット文化の色濃いところですが、もともとはただの雲南の片田舎の小さな鎮です。
イギリスの小説「失われた世界」でたまたま紹介されたチベットのどこかにあるという理想郷、桃源郷をちゃっかりここがそのシャングリラですと先に手を上げて名前を香格里拉に変更したという俗っぽさはいかにも中国らしく感じます。
ですから古城以外は実に建築物は比較的新しく、有名観光地になってから稼いだお金で作られた感じの街並みです。(どこが理想郷、桃源郷の名に値するのだろう?)
もっとも四川省も負けていません。ここ香格里拉から少し北にある四川省の亜丁という田舎も最近は同じ香格里拉を名乗っています。そのうち一省にひとつ香格里拉ができるかも(笑)
いくつかの民族衣装が見られますが、どこの民族かよくわからない、あるいは同じ民族でも地方地方で特色があり衣装も少し異なるようです。
でも最近は年配の人はともかく若い世代はだんだん春節や婚礼、なにかの祭り、儀式のときしか民族衣装を着なくつつあります。
当たり前ですよね。まあ私だって和服を最後に着たのは25年ぐらい前正月だもの。(すでに着物の柄さえ憶えていないです)
麗江から西側の峠を越え、昨日行った拉市湖の横を通り抜けて、バスは金沙江沿いに進みます。
この辺りの金沙江の河幅は広く、山間部をゆったりと流れています。
途中王龍雪山、そして哈巴雪山を右手に見ながら(残念ながら私の席は左手で写真が撮れなかった)進みます。
金沙江の激流で知られる虎跳峡の町を通過して、バスは金沙江から外れて支流の小中甸河ぞいに進みます。
この辺りの渓流はなにやら岐阜の地元の渓谷の風景と似ていて、もちろん居ないのはわかっているんですが、思わずアマゴ、岩魚のポイントを目で追ったりしてしまいます。
小中甸(小シャングリラ)と呼ばれるところを通過して香格里拉に入ります。この辺りは広い高原状の様相をしており、さすがに3200mの高度があるので、道路こそありませんが雪が牧草地のところどころに残っています。
シャングリラの街に入ると麗江とは違い道路に車も少なく、なにか閑散とした雰囲気もあります。
バスは町の北外れにある長距離バス亭に止まりました。先にバス亭で明後日の麗江への戻りの切符だけ購入してホテルへ向かいます。
ところでこのバス停の切符売り場の地図を見ると香格里拉から拉薩(ラサ)までの路線が繋がっています。(もしこの後も休みが続いていたら、パーミッション無しでチベット入りを試みるかもしれないなあ)
大理、麗江と違ってシャングリラの街はほとんどの店が閉まっています。春節なんでこれが普通なのかもしれませんが、大理、麗江では多くの中国人旅行者を見ました。中国も従来は春節には親族が集まって祝いを過ごすという習貫から少しづつ変化してきて日本と同じように個人の楽しみを優先するようになってきているのでしょうね。(だいたい私がそうだもの)
ホテルには歩いていくつもりでしたが、住所だけはわかっているものの、地図も持っていなかったのでさっぱり検討が付かず、最後はタクシー利用となりました。
ホテル前には小さな公園があり、公園の石段を流れる水はすっかり凍っており、公園の池も氷が張って子供たちが氷の上で遊んでいます。でも氷が薄くって見ていてハラハラ。
しかし、高度が高いのと空気が澄んでいるせいで日差しが強く、日向ではほんとうに寒くありません。しかし日陰に入ると、さすがに寒く、日向と日陰で上着2枚ぐらいの温度差を感じてしまいます。
エアコンも効かない安ホテルの北側部屋に泊まりましたが、あきらかに外より寒いです。(こんなときのためにシュラフ持参で来てるんですが)
シャングリラにも独克宗古城という古城があります。麗江ほどではないですが、春節でも半分ぐらいはお店が開いていました。
古城そのものはどこでも観光地化されよく似た風景ですが、古城の南側に大きなマニ車のある朝陽楼があります。
多くの参拝客がマニ車を回しています。私も他の観光客と同じく一周回って願掛けをしました。
朝陽楼前の月亮広場でチベット民族などが春節の催し物をやっていました。
ここ香格里拉はチベット文化の色濃いところですが、もともとはただの雲南の片田舎の小さな鎮です。
イギリスの小説「失われた世界」でたまたま紹介されたチベットのどこかにあるという理想郷、桃源郷をちゃっかりここがそのシャングリラですと先に手を上げて名前を香格里拉に変更したという俗っぽさはいかにも中国らしく感じます。
ですから古城以外は実に建築物は比較的新しく、有名観光地になってから稼いだお金で作られた感じの街並みです。(どこが理想郷、桃源郷の名に値するのだろう?)
もっとも四川省も負けていません。ここ香格里拉から少し北にある四川省の亜丁という田舎も最近は同じ香格里拉を名乗っています。そのうち一省にひとつ香格里拉ができるかも(笑)
いくつかの民族衣装が見られますが、どこの民族かよくわからない、あるいは同じ民族でも地方地方で特色があり衣装も少し異なるようです。
でも最近は年配の人はともかく若い世代はだんだん春節や婚礼、なにかの祭り、儀式のときしか民族衣装を着なくつつあります。
当たり前ですよね。まあ私だって和服を最後に着たのは25年ぐらい前正月だもの。(すでに着物の柄さえ憶えていないです)
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