議案に対する態度が分かれることがあります。
そういう時、疑問点を質疑したり、問題点を指摘し、討論したりすると、発言することを否定する言葉が、議場から投げかけられます。議論に参加せず、外野からヤジが飛ぶわけです。
パフォーマンスと言った発言も聞こえてきます。
疑念を払しょくする質疑をすればよいのに、良い部分を指摘する討論すればよいのに、と思いますが、ほとんどありません。
大田区議会では、行政(区長)が出してきた議案にほとんどの議員、会派は賛成し、可決しています。
発言を否定ということは、反対意見は、許さないことになります。
そもそも、議会は、異なった意見があって、それを議論し、決める場所なのではないでしょうか。
会派に誘われました。
態度(賛否)が分かれても良いなら考えると言ったら、それきりなしのつぶてです。
賛否が分かれるのは困るのでしょう。
賛成が前提のように感じます。
いま、政治は、かなり厳しいところにきています。
構造改革前の日本の政治は、例えてみれば、屋台骨を官僚が支えていたようなところがあって、その屋台骨の議論は国会で、地方議会は、内装を議論しているようなものだったと思います。それが中央集権で、地方はもっと権限を!と言ってきた。
今や、国の屋台骨を支える官僚も無力化していていて、この国の秩序の整合性が取れなくなっています。
あるとすれば、投資家利益の最大化、で、国民主権は風前の灯火だと思います。
だからこそ、住民に最も身近な基礎自治体、区市町村が住民の声の代弁をしないと、投資家利益最大化の政治に押し切られてしまうのではないか、と心配です。